総括・小泉純一郎(その3)
07年03月12日
No.362
総括・小泉純一郎(その2)で、「小泉純一郎という政治家はもっとも悪しき意味における派閥政治家である」という栗本慎一郎元代議士の証言を紹介した。小泉首相は、党内の族議員を抵抗勢力と看做してこれと戦うことを改革と演出し、国民の支持を集めようとした。マスコミもそのように報道し、小泉人気を煽り立てるのに一役も二役も買った。しかし、小泉純一郎という政治家は、総理大臣になっても典型的な大蔵族であった。なぜこんな単純なことをマスコミは見逃し、多くの国民は騙されてきたのだろうか。
私は初当選した1979年(昭和54年)から10年間大蔵委員会に籍を置いた。その間、小泉氏もいつも一緒だった。多分この間に小泉氏は大蔵政務次官や大蔵委員長をやったが、それ以外は小泉氏は大蔵委員会の委員であった。彼はそのことを自慢していた。要するに、小泉氏は徹底した大蔵族議員に自ら望んでなろうとしていたのだ。そんな関係で私は小泉氏の政治的本性をよく知っていたので、私のWebサイトで機会あるごとに指摘してきた。ホームページにある白川サイトの検索エンジンで「小泉+大蔵族」と検索すると8件出てきた。
これらは、その時々に必要に応じて書いたものだが、興味のある部分だけでいいから目を通してもらえるならば幸いである。これらを要すると、小泉純一郎という政治家は総理大臣になっても、大蔵省(現在は財務省と金融庁として存在する)の利益を代弁し、大蔵省のいうことならば白でも黒と理解しようとする政治家だということである。いや小泉氏は自分の頭で考えようとしないで、優秀な大蔵官僚のいうことがこの世でいちばん正しいのだと信じる哀れでお粗末な政治家なのである。最後は、国民投票制度などないのにそれを詐術的に演出し、郵政民営化だけではなく反自由主義的な政策を強行することができる衆議院の3分の2の議席を詐取したのである。財務省にとってこんなに働いてくれた族議員は未だかつていなかったであろう。
こんな哀れでお粗末な政治家が“鈍感” にもまた自分の出番がきたと錯覚して動き出した。小泉氏が財務省のいうことはこの世でいちばん正しいことだと信じることは自由だが、そう信じて国政を動かすのは勘弁してもらいたい。大蔵省・財務省は、官僚機構の頂点に立ち、予算を通じて官僚機構を支配してきた。官僚の中の官僚といわれる所以である。しかし、わが国の政治の諸悪の根源のひとつが、この官僚が行政や政治を私物化してきたことはいまや常識となっている。小泉氏の復活は、官僚政治の復活・強化でもあるのだ。要注意、要注意!
それでは、また明日。