政治家失格…!?
09年10月19日
No.1320
永田町徒然草の読者のほとんどは、自公“合体”政権を支持することができず、先の総選挙で民主党を中心とする野党を支援したと思う。鳩山内閣が誕生し、閣僚が派手にハシャいでいることに違和感を感じている人は意外に少なくないのではないだろうか。永田町徒然草の読者の多くは私と同じように自公“合体”政権と特別に深い関わり合いをもっていた人々であろう。しかし、ダメなものはダメということで自公“合体”政権に愛想を尽かし、先の総選挙ではじめて民主党を中心とする野党を応援した人は、現在の鳩山内閣の閣僚たちの派手なパフォーマンスに嫌悪感すら抱いている人がいると思う。
その理由は単純である。政権を取ったのだから何でもできるという尊大さを感じさせる面々が結構いるからである。民主党や鳩山内閣には謙虚さが欠けているのである。いまから2年前の永田町徒然草No.538「天網恢恢疎にして漏らさず」において、民主党には謙虚さが欠けていることを指摘した。野党の時でさえ、実は民主党にはは謙虚さが欠けていた。ましてやこれだけの大勝利をしたのだから、謙虚さを失うことなどごく自然なのであるが、それでは困るのだ。その原因も単純である。政治的に未熟であるからだ。
政権は、“戦々兢々として薄氷を踏む思い”で運営しなければならない。他国はいざ知らず、これは政権運営の要諦である。この基本から外れた政権は必ず国民の信を失う。郵政総選挙で大勝した自公“合体”政権はこの基本を忘れてしまった。衆議院の3分の2を超える化け物のような議席をもち、難攻不落の城のようにみえた自公“合体”政権もいとも簡単に崩れ落ちてしまったではないか。大勝利した民主党が同じような道を辿る惧れは容易にあり得ることである。そんなことが分からないのかと言いたい。
多くの人々が現在の民主党や鳩山内閣のやり方に違和感を感じるのは、「国民の生活が第一」という民主党の一枚看板から外れ、一端(いっぱし)の為政者気取りになっているところであろう。いま鳩山内閣の閣僚たちがハシャいでいる問題は、国民の生活の中でいちばん切実に悩んでいること・希望していることからだいぶズレている。なぜ国民の生活実感からズレてしまうのか。それは民主党の議員たちが国民と深い対話していないからであろう。率直に言って、私がたまたま知っている民主党の議員たちは人と深く付き合うことが苦手の人が多いようだ。人と深く付き合うことができない政治家なんて、ハッキリいって“政治家失格”なのである。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。