わが国の最大の危機は ?
14年10月04日
No.1696
先週、この永田町徒然草をupdateしたのは、御嶽山噴火の直後だった。それから、丁度1週間が経った。この1週間、マスコミのニュースの7割は、御嶽山噴火の報道だった。50人余が亡くなったのだから、大きく取り上げることに異存はない。しかし私は、、大きな災害や事故・事件が起こる度に、いつも感じることがある。災害や事故・事件を報道するのは重要だが、問題は、そのバランスである。ニュース報道は、国民の暮らしや未来に関することを常に念頭において、報じられなければならない。そのバランス感覚が重要だ、といいたいのだ。
例えば、広島市の大規模土砂崩壊の時、今回と同じように、ニュース報道の7割は広島の土砂崩壊であった。それから1ヶ月半しか経っていないのに、広島のことなど、ほとんど報道されない。広島市の大規模土砂崩壊は、全国の何処でも起こり得る災害なのだ。それだけに、その後どうなっているのかをフォローし、報道する必要があるのだ。“異常に盛り上がり、そして直ぐに忘却する”は、マスコミだけでなく、わが国民の悲しい
噴火後の火口付近の惨状は、相当に
わが国は、災害列島なのだ。現にこの原稿を書いている東京で、いま関東大震災を超える大地震が起こっても、少しも不思議でないのだ。科学者は、その可能性が非常に高いと現にいっている。そう分かっていても、私は大丈夫のように備えていない。周りの家具等が倒れないように一応の備えはしているが、プリンターや空気清浄機などが飛んできて、致命傷を負う恐れは、十分にある。私には、ある種の諦観がある。天災に遭って死ぬことがあっても、この日本に住んでいる以上は仕方がない、と…。
いかなる災害が起こっても、絶対に死なないようにする。そのために必要な防災対策を行おうとしたならば、いくらお金をつぎ込んでも足るまい。私は、防災対策が必要ないなどといっているのではない。しかし、想定されるあらゆる災害に万全な対策をとるのは不可能だし、その必要性を認めないということなのだ。これも、要するに「バランスが必要だ」ということだ。わが国は災害列島であるが、全国土が壊滅するような大災害は、おそらく起きないであろう。全国土が無くなっていく状況を想定したのが、小松左京の『日本沈没』である。
閑話休題。ここでは一々書かないが、安倍首相が行っている政治は、もう無茶苦茶である。その結果が、私たちの日常生活の中で次々と現実となっている。その有様は、私に言わせれば、あの凄まじい御嶽山の山頂と変わらず、広島市の大規模土砂崩壊の現場も同じだし、東日本大震災直後の現場とも同じだ。人間は、環境に順応する生き物である。安倍首相の政治の現実に騙され、それが普通だと思うようなっている。堕落したマスコミが、その洗脳を手伝っている。
いまほど、真のジャーナリズムが必要な時はない。いまほど、安倍政治と正面から闘う野党が必要な時はない。いま、そのようなジャーナリズムや野党がないことこそ、私に言わせれば、わが国の最大の危機なのだ。御嶽山の噴火を目の当たりした時、私の直感は「神が怒っている」だった。 永田町徒然草No.1696 のタイトルを「神、怒る。民、… ?」としたのは、国民に対する私の絶望的な問い掛けなのである。国民も怒らなければ、わが国はこのままズルズルと駄目になっていく。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。