頭が腐った者は…
09年02月21日
No.
“政局よりも政策”は、麻生首相が就任以来発している名言、いや迷言である。これにならって自公“合体”政権の政治家も“政局よりも政策”と言っている。彼らは確かに政策という漢字は読めるようだが、その意味が分かっていないようである。
政府与党はお金(予算)をもっている。彼らにとっては、お金を“ばら撒く”ことが政策のようである。お金を使えば、その分だけ政府支出は増える。政府支出も確かにGDPだが、ちょっと待ってほしい。彼らが自分のお金を使うのならばGDPを押し上げるが、彼らがばら撒くのは国民のお金である。まず国民の了解を得なければならない。そして予算が有用・有効なものでなければならない。この両面からみて、定額給付金は“政策”などと呼べるシロモノではない。
現在平成21年度予算が審議中である。とにかく予算を成立させることが重要な景気対策だという。しかし、本当にそうなのだろうか。予算案には、人件費や国債償還金などの既定費が多くある。そんなものには政策的要素などない。政府支出であるからGDPにはなるが、ただそれだけのことである。さらに重要なことは暫定予算を組んだ場合、ほとんどの野党もそんなものには賛成する。だから、そんなものに政策的要素などないのだ。問題はそれ以外の政策的経費なのだ。
自公“合体”政権は、もう国民の支持を完全に失っている。政府がいくら旗を振っても、誰も付いてゆかない。お金を呉れるというならば国民は貰うであろうが、ただそれだけのことだ。定額給付金を受けとるのと同じである。政府が税金を使って行う政策にはそれ以上のものが必要なのだ。難しい言い方をすれば、税金を使って行う政策には“被統治者の同意”が必要なのだ。被統治者とはもちろん国民のことである。
国民の支持と信頼を失った政府はお金をばら撒くことはできても、政策を実行することなどそもそもできないのである。自由主義社会の政治では特にそうだ。憲法の基本=自由主義を蔑(ないがし)ろにした者には、このことが理解できないのだ。魚は頭から腐るという。人間は特にそうだ。恐ろしいことだ。頭だけではなく全体が腐っているのが、現在の実情である。自民党と公明党の動きをこのように捉えるならば、何があっても不可思議ではない。驚くには当たらない。
それでは、また。