死んでいる政治
09年02月11日
No.1080
今日は私にとって思わぬ休日となった。2月11日が建国記念日だということはもちろん知っていたが、今日が休日だという認識がなかった。ハッピィ・マンデー制が導入されて以来、国民の祝日がそのまま休日にならないことが多いからだ。
私が使っている手帳は、休日がハッキリ判らない。たぶん2月11日は“赤”で書いてあるのだろうが、私にはそれが明確に分からないのだ。私がけっこう強い赤緑色弱だからである。そんなことで私は昨日の夕方近くまで、今日が休日であることを知らなかった。“思わぬ休日”といったのは、そのような理由だ。昨日書いたように、最近の私には、永田町徒然草をじっくりと書く環境と時間がない。
内心忸怩たる物を毎日updateするのは、私の望むところではない。私が文筆を業とする者ならば、私は毎日のupdateをとうに止めているだろうし、止めるべきである。私は文筆を業とする者ではない。ひとりの政治家としてこの永田町徒然草を書いているのだ。バッチを付け、国から俸給をもらっている者だけが政治家ではない。この国の政治を憂い、それを変革したいと思う者は、政治家の資格があると私は思っている。
問題はそのことを継続することである。法律用語では、“業務”とはあることを継続反復することをいう。自動車の運転を継続反復して行う者は、業務として自動車の運転をする者である。だから自動車事故を起こし他人に傷害を負わせてしまった場合には、“業務上”過失傷害罪に問われるのである。自動車の運転で金銭的対価を得ているかどうかは、業務性と関係ない。
私の場合、長い間政治を職業としてきた。その経験に基づき、政治はかくあるべしと継続反復して多くの人々に訴え続けている。今では毎日1万を超える人々がこの永田町徒然草にアクセスする。そのことは現実の政治に必ず影響を与えると私は考えている。「ひとりの政治家としてこの永田町徒然草を書いている」とはそのような趣旨である。バッチを付けたからと政治家になる訳ではない。バッチを付けることだけに拘っている人間が多すぎる。
金融危機に直面していま世界中でいろいろな変化が起こっている。世界中の人々が苦しんでいる。それぞれの国の政府は、それに対しいろいろな模索をしている。自公“合体”政権も“百年に一度の危機”だといって、いろいろな対策をとると言っている。しかし、多くの国民は自公“合体”政権がやろうとすることなどほとんど関心もないし、期待もしていない。現に自公“合体”政権が緊急に行っている対策の効果など少しも出ていない。わが国の政治は死んでいる、といっても過言ではないだろう。かかる時に永田町徒然草を止めることはできない。
それでは、また。