永田町徒然草のスケール
09年01月30日
No.1068
昨日の“つづき”である。私が永田町徒然草で用いてるスケール(定規・尺度・基準・物差し)の第一は、なんといっても“日本国憲法”である。南無日本国憲法。私は日本国憲法に帰依する者である。日本国憲法のもっとも重要な内実は、自由主義である。それも歴史の試練に耐え、それを踏まえて充実された自由主義すなわちリベラリズムであろ。
日本国憲法の文言は60年余まったく変わっていないが、その内実は判例や政治的・社会的事実の集積により充実する。日本国憲法の前文第1節には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基づくものである」と書かれている。リベラリズムが“人類普遍の原理”である以上、世界各国の動向・前進も参考にしなければならない。
日本国憲法は激動の歴史の中で誕生した。憲法の制定の前には、必ず大きな政治的出来事がある。わが国の場合、それは第二次世界大戦における敗戦だった。アジアだけでも数千万人の命が失われた悲惨な戦争であった。日本人は加害者でもあったが、同時に被害者でもあった。日本国憲法が誕生したとき、わが国は飢餓一歩手前の状態だった。軍国主義は、個人尊重の対極にある思想・状態である。軍国主義で固められた国家・社会の中から日本人は“新しい歩み”を始めた。私は63歳である。“新しい歩み”の全部を目撃していないが、50年近くその苦闘の歴史を目撃してきた。
永田町徒然草で用いる第二のスケールは、私が目撃してきた“わが国の歴史”である。私は歴史学者でもないし、普通の市井の市民でないのかもしれない。政権政党の中枢にかなり長い間いた人間である。私は多くの人々と接触し、その話を聴き、変革を訴え、それを実現するために戦ってきた。その過程で一般の人々より多くのことを目撃することができた。それが歴史の目撃者として適切なものかどうかは分からないが、私が目撃した歴史はそれなりに貴重なものだと思っている。そういう視点から私は政治や社会の変化を見つめている。今日も時間が来てしまった。“つづき”は後日とする。
それでは、また。