政治家の顔
09年01月27日
No.1065
昨日述べたように、最近の私はニュースなど報道番組をあまり見られずにいる。新聞や雑誌などの記事を読んで政治評論を書くことは、私の仕事でないような気がする。政治的事実も映像で見ないと本当のことは分からない。活字と映像の情報量の差は大きい。政治的メッセージも活字だけでは分からない。メッセージを発する政治家の表情を見て、人々はメッセージ全体の意味を判断する。
自民党と公明党は自公“合体”政権の与党である。だから自民党と公明党が発する政治的メッセージは野党に比べ圧倒的に多い。しかし、世論調査の度に両党とも支持率を落としている。言葉もさることながら、自公“合体”政権の幹部たちの表情が悪い。情報量は圧倒的に多いのだが、それが却って災いしている。リンカーンは「40歳を越えたら人間は自分の顔に責任をもたなければならない」といった。
テレビによく映る自公“合体”体制の幹部の表情を見て、国民は彼らの言うことを判断している。それは仕方がないのである。政治家は自らの顔と表情に責任があるのだ。最近では麻生首相の顔を見るのが嫌だという人が多くなった。私もその一人である。初場所の千秋楽で優勝した朝青龍に総理大臣杯を授与するために麻生首相が登場した。朝青龍の優勝に多くの人々が感慨を感じていたところに麻生首相が登場し、薄笑いを浮かべながら「やっぱり横綱は強くなくちゃ」との意味不可解な“迷言”を吐いた。なんとも場違いで興醒めであった。
一事が万事である。自公“合体”政権や与党の幹部たちは得意げにその顔を露出しているが、それが逆効果を齎(もたら)している。この数年間にわたる自公“合体”政権の悪行を振り返えれば、それはやむを得ない。政治家の顔は、自らの過去の行動の履歴書なのである。最近の私は朝ほとんどNHK-BSの『おはよう世界』を見ている。世界の各国で報じられるニュース映像を見られるのがありがたい。みのもんたの顔をいくら見せてもらっても、政治はなにも分からない。
それでは、また。