戦いの秋に向けて
08年08月18日
No.904
私の夏期休暇は、昨日で終わった。今日から仕事である。ほとんどの方がそうであろう。1週間の休みがあったのだから、できれば海外にでも出かけようと思っていた。久しぶりに韓国に行ってみようと思っていた。事務所に韓国通の者がいたので、夏の韓国は過ごしやすいのかと尋ねた。ソウルの夏は日本と同じくらい暑いとのこと。それで気持ちは萎えてしまった。休み前の暑さにいささか疲れていたのであろう(笑)。
昨日の東京の最高気温は22.5℃くらいだった。そのためであろうか、いま朝の爽やかな涼しい風が窓から入ってきている。今日は再び30℃になるという。“暑い、暑い”と挨拶を交わすのも、あと半月くらいしかない。何事も絶頂期を迎えたとき、もう退潮期が始まっているのである。私は暑い盛りにそう思ってきた。だからあまり口説かないように思ってきた。それは政治をみる場合でも同じである。
3年前の9月11日の総選挙で、自公“合体”政権は衆議院の3分の2を超える大勝利を収めた。自公“合体”政権は絶頂期に達した。しかし、満ちれば欠けるだけなのである。私はそう思って、自公“合体”政権の振る舞いをみてきた。自公“合体”政権は有頂天になっていた。その最たるものが、郵政造反議員の復党を認めたことであった。また憲法改正に突き進んだことであった。いずれも安倍前首相がやったことである。その驕りが参議院選挙で大敗の原因となった。衆議院の大勝からわずか2年間の絶頂期に過ぎなかった。
参議院選挙で歴史的な大敗を喫したのに、安倍前首相は辞任しなかった。これは憲政の常道に反することだった。しかし、そのような野望は無理だった。安倍首相は辞任せざるを得なかった。その後を継いだのが福田首相である。福田康夫氏を首相に選出した自公“合体”政権の思惑はハッキリしている。解散をしないで総選挙をできるだけ先延ばしすることである。できれば任期満了まで総選挙を延ばしたいのであろう。
自公“合体”政権は、総選挙で敗北することを恐れている。あれだけ勝ったのだから、次は相当減ることは最初から覚悟しなければならない。それは自明の理である。ところが、自公“合体”政権は参議院の大敗後、“選挙恐怖症”にとり憑(つ)かれている。選挙が怖いのである。だから選挙から逃がれようとしている。“待てば海路の日和あり”とでも思っているのだろうか。しかし、そういうものではない。悪いときには、悪いことが重なるものである。
選挙を恐れ選挙から逃げようとする政党や政治家には、気迫というものがなくなる。政治とは、そういうものである。気迫のない政党や政治家が選挙に勝てる筈がない。こんな単純なことが、なぜ分からないのだろうか。物事の道理が分からない者を“馬鹿”という。自公“合体”体制は、馬鹿な政治家が屯する政治集団である。改造した福田内閣は口舌の徒を配し誤魔化そうとしている。国民は騙されてはならない。永田町徒然草はそれらを論じていくことが、主たるテーマとなる。“秋”は、「とき」とも読む。
それでは、また。