“政界再編”!?
08年06月25日
No.850
このところ白川勝彦法律事務所Webサイトの開設などでバタバタしていたため、永田町徒然草はちょっと気合が抜けていた。それもあるのだが、政局がちょっと拡散しているせいもある。洞爺湖サミットが間近に迫り、CO2排出を2050年までに60~80%削減するなどといった大きな話が飛び交っている。ゴウギな話に煙を巻かれてしまう。福田内閣の支持率が少し盛り返しているのもそのせいか。
政治の世界では、“政界再編”の話があちこちで言われている。“政界再編”という言葉は昔からあった。しかし、私は“政界再編”という言葉の意味がよく分からない。“政界再編”論者は、どういう意味でこの言葉を使っているのだろうか。私も政治を動かしたいと思ってきた一人であるが、“政界再編”という言葉を使って私たちの動きを方向付けようとしたことはない。“政界再編”とは、政治の枠組みを変えようということなのだろう。政治の枠組みが変わったことはある。自社さ政権や自公“合体”政権の誕生は、政治の枠組みが変わった。これも“政界再編”だったのであろうか。
自社さ政権の誕生は、ドラスティックな政治の枠組みの変更であった。しかし、“政界再編”ということで行なったのではない。私たちは旧経世会勢力と公明党・創価学会勢力が日本の政治を籠絡(ろうらく:「巧みに言いくるめて自由にあやつること」――広辞苑)することを阻止するために自社さ政権を作ったのだ。だから自民党と公明党との連立は、自社さ政権と真っ向から対立するものであった。私はこれに反対せざるを得なかった。自公“合体”政権は伝統的な自民党単独政権論とも矛盾する。公明党との連立を画策した人たちが“政界再編”という言葉でこれを理論付けようとした記憶はない。
「政界には“ガラガラポン”が必要だ」とよく言われる。“ガラガラポン”とは、いったい何なのだ。私はサイコロ遊びをやったことはないが、“ガラガラポン”とはどういうことをいうのだろうか。想像するに、いろいろなモノを掻き混ぜてひとつのモノを作ろうということなのであろう。政治にとって大切なのは、なぜいろいろな政党や政治家がいるかということである。歴史的な経過や理念的な相違があるから、さまざまな政党や政治家が存在するのである。しかも政党や政治家は、歴史的・社会的な存在である。“ガラガラポン”するとといっていくら掻き混ぜても、水と油のように簡単には混ざり合わないのだ。大義名分が必要である。主体的変化も必要である。
“政界再編”という言葉には、歴史的・社会的な存在である政党や政治家をひとつに纏めようというニュアンスがある。いや間違いなくそういう意味合いで使われる。ひとつに纏めるモメントは、国益とか安定とか“ねじれ解消”などの抽象的概念である。この抽象的概念が問題なのだ。政治は具体的問題で意見が分かれ争われているのだ。立場の違う政党や政治家のどちらも国益を主張しているのだ。それを国益という概念で束ねることなど、どだい意味のないことである。だから“ガラガラポン”などという意味不明な言葉で誤魔化そうというのだろう。
“政界再編”という言葉は、政治的には意味不明の言葉である。意味不明な言葉で政治を変えようというのは詐欺師のやることだ、と私は思っている。政治が混乱してくると、政治的詐欺師が暗躍するものだ。これだけ政治が混乱しているのだから、詐欺師が頭を擡(もた)げても不思議ではない。詐欺師をどう見分けるか。それはそんなに難しいことでない。それは別に述べることにしよう。いずれにせよ、“政界再編”は怪しげな言葉である。要注意である。
それでは、また。