ガソリン170円の責任者!?
08年06月03日
No.827
ガソリンが1リットル170円を超えた。国民の悲鳴が聞こえる。原油価格が高騰したのだから政府としては如何ともしがたいところがある。しかし、自公“合体”政権は去る4月30日一旦廃止された暫定税率を復活して25.1円を上乗せさせたのだ。原油価格の上昇分であろうが、暫定税率分であろうが国民にとっては同じことである。ガソリン1リットルが170円になったことに政府は責任がある。そのことを忘れてはならない。
市場経済社会において物価のコントロールは非常に難しい。市場経済社会において、政府は物価に対して無力であるともいえる。それが市場経済社会の市場経済たる所以である。だから政府が物価高騰をなんとかするという公約(口約?)は、気休めに過ぎないことが多い。与党面をして偉そうなことをいっても政府ができることはきわめて限られている。だが、政府は物価に対して決して無力な訳ではない。きわめて限定されているとしても、政治がやれることを命懸けで行うことは政治の責任である。
物価対策として政府が絶対に行ってはならないことが一つだけある。それは政府が物価高騰に油を注ぐようなことを絶対に行わないことである。これはそんなに難しいことでない。だからといって簡単な訳でもない。現に大臣や知事たちが道路特定財源の暫定税率の廃止に反対した。難しいことではないが、政府が歯を食い縛ってでも貫かなければならないことがある。道路特定財源の暫定税率を廃止するために政府や都道府県は歯を食い縛るような努力をしただろうか。断じて否である。
自公“合体”政権が4月30日3分の2の多数で道路特定財源の暫定税率を復活させたとき、物価高騰の懸念は十分すぎる程あった。それにもかかわらず、諸物価に大きな影響を齎(もたら)す暫定税率を復活させたのである。国民の3分の2の意思に反することを強行したことは、きわめて非民主的である。そればかりではない。経済政策として明らかに間違ったことを行ったのである。非民主的政府であっても、経済政策として間違ったことをやった場合その責任を問われる。自公“合体”政権はそれを行ったのである。国民はその責任を問わなければならない。
道路特定財源の一般財源化でその税収を他の分野に使い、国民の負担をたとえ少し軽減したとしてもその責任が免罪されることはない。市場経済社会の経済あるいは自由主義社会の政治において、原理原則を踏み躙(にじ)ることはもっとも大きな被害を結果として齎すからである。自由主義社会や市場経済社会は、原理原則を共通な準則とすることにより秩序を作ろうとする体制だからである。
原理原則が共通な準則として是認されなくなったとき、自由主義社会や市場経済社会は、本来の秩序を失う。ひとたび失われた秩序を回復するためには想像を絶する代償を払わなければならない。自公“合体”政権は、現代の私たちが知っている最悪にして凶暴な政権である。野党はそのような政権と戦わなければならないことを肝に銘じなければならない。自公“合体”政権がそのような政権であることを、国民も覚悟しなければならない。その認識と覚悟がちょっと欠けているような気がしてならない。
それでは、また。