自公連立の一考察
06年12月30日
No.291
最近また公明党の政権参加・自公連立ということを問題にする人が増えてきたようである。結構なことだが、ちょっと分析の動機や視点が狭く浅いように私は思っている。自公連立の持つ意味や影響はもっと深刻であり、わが国の政治の問題を語るとき自公問題を抜きにしては語れないところまできてしまったのである。
私が自公連立を問題にし、これと激しく戦ったのは平成12年の総選挙と翌年の参議院選挙のときだった。もう7年くらい前のことである。平成8年の小選挙区制による初めての総選挙では、公明党の政権参加が重大な争点になった。「新・新党は創価学会党である」という俵孝太郎氏の論文は、自民党候補のバイブル的文書となった。自民党の幹部も多くの識者もこのことを口にした。国民の間にも公明党の政権参加を拒否する素直な感情があった。その結果、自民党はマスコミの予想を覆して新進党に勝利した。
公明党が政権に参加したのは、平成11年10月小渕内閣のときであった。そのときは小沢一郎氏率いる自由党と一緒であった。自自公連立は自公保連立となり、保守党の消滅で自公連立となってもう 年になる。新進党は創価学会党であるが、自民党は大きいので公明党と連立を組んでも創価学会党にはならないと主張する者もいた。かつて新進党を創価学会党と激しく叫んだ人である。しかし、この8年間の自公連立の固定化により、自民党はやはり創価学会党となった。公明党が政権に参加し、選挙まで一緒になって戦うようになった必然的結果なのである。自民党は公明党と連立を組むことにより変質してしまったのだ。これは自民党という政党の性質やメカニズムを分析すれば簡単に分ることなのである。
自民党は長年にわたり政権党であった。政権党になるために、また政権党であるが故に自民党には各界各層の支持者・支持団体がある。それはわが国のほとんどの分野をカバーしているといって過言ではない。労働組合は支持団体として直接自民党を支援することはないが、労働組合員で自民党を支持する人はかなりいた。労働組合が支持政党を調査したら、組合の中でいちばん支持の多いのが自民党だったという笑えない話もかなり耳にした。だから自民党は、わが国の全部とはいわないがこれに近い人々によって支持され、支えられている政党なのである。自民党が唯一の「国民政党」といっていたのは、あながち間違ってはいなかった。その代わり、自民党は利害の対立する諸階層や諸団体の中庸をとった政策をとらざるを得なかったのである。党内には主張を異にする派閥もあり、自民党の総裁といっても絶対的な力など無かった。総理総裁といえども、「戦々兢々として薄氷を踏む思い」で政権や党の政策決定や運営をしなければならなかった。
自民党には、かつての社会党の総評や公明党の創価学会のように、支持母体の中で大きな時には圧倒的な力をもつ支持団体などなかった。よく引き合いに出される特定郵便局長会や医師会なども当選に必要な数%を確保できればいい方であった。会社にたとえるならば、1%にもならない多くの小株主に支持された社長が自民党の総裁であった。多くの株主のいうことに耳を傾けなければ会社運営に支障が生ずるのである。自公連立によって10数%から20%近くの株をもつ大株主が出現したのである。社長はこの大株主の気分を害さなければ地位が保てるようになった。もう多くの株主=国民に「戦々兢々と」しなくてもよくなったのである。このような幸せな社長だったのが小泉首相であり、現在の安倍首相である。こうなった結果、小株主=国民が幸せになったかどうか、それが問題である。小株主が結束して創価学会という大株主に対抗するのは非常に困難である。こんな会社の株はさっさと売っ払うしかないのではないか。
以上は私がある雑誌に書いた小論である。面白い視点ではないかと私は思っている。お歳暮代わりに掲載した。この小論にどういう見出しが付けられたと思います? それに端を発して、私は大論文を書かなければならなくなった。その顛末記は新しい年になってから書くことにする。今年もあと2日、私は温故の年賀状書きに徹しなければならない。
それでは、また。