道路特定財源と暫定税率は不可分(2)
08年04月14日
No.772
昨日の日曜定番の政治番組をみていたら気持ちが悪くなった。福田首相の道路特定財源の一般財源化提案を“大英断”と持ち上げる者がかなりいた。昭和29年揮発油税が道路特定財源になってから、ガソリンに課せられる税は次のように増えていった。このことを論者は知っているのだろうか。ガソリン税の推移が問題であるから、法律の条文に従い1キロリットル当りの税額を記載した。増大した税額に注目してみて欲しい。<以下再掲>
ガソリンに課せられる税額の推移
- 昭和26年1月 揮発油税11,000円/キロリットル
- 昭和29年4月 揮発油税13,000円/キロリットル
- 昭和30年8月 揮発油税のほかに地方道路税が課せられるようになる。その分だけガソリンに課せられる税額が増えたわけであるが、地方道路税が導入された時点の税率は手元に資料がないので不明である。
- 昭和39年4月、揮発油税24,300円/キロリットルに引き上げ(プラス地方道路税の本則税率)。この間、他の道路関係税創設、自然増収等により大きな制度改定なし。
- 昭和49年4月、第7次道路整備五箇年計画の財源確保のため 「暫定的」に揮発油税29,200円/キロリットルに引き上げ (プラス地方道路税の暫定税率)
- 昭和51年7月、揮発油税36,500円/キロリットルに引き上げ (プラス地方道路税の暫定税率)
- 昭和54年6月、揮発油税45,600円/キロリットルに引き上げ (プラス地方道路税の暫定税率)
- 平成5年12月、揮発油税4,600円/キロリットルに引き上げ、地方道路税5,200円/キロリットルに(確か?)引き下げ(手元に資料がないので不確実)。 (平成20年3月31日までの暫定措置)
- 平成20年4月1日 租税特別措置法の期限到来により揮発油税24,300円/キロリットル+地方道路税4,400円/キロリットルの本則税率に引き下げられる。 <再掲終り>
<永田町徒然草No.711から続く>昭和30年に揮発油税とともに、地方道路税がガソリンに課せられるようになった。道路特定財源の主役=いわゆる「ガソリン税」が正式に誕生したのである。地方道路税は昭和49年の暫定的な引き上げによってもその税率はあまり大したものでないから、以下昭和30年の導入時の本則税率を4,400円/キロリットルとすると、ガソリン税は道路特定財源とされた昭和30年ころの2ヵ年で、それ以前の11,000円/キロリットルが17,500円/キロリットルに引き上げられたことになる(13,000円+4,400円=17,400円)。ガソリンに対する税額は、実に60%もアップしたのである。
ここで考えて欲しい。昭和30年ころのわが国では、ガソリン車はきわめて高価なものであった。一般庶民が買える代物ではなかった。ガソリン車は業務用か高額所得者しか買えない物であった。いうならば贅沢品といって良かった。贅沢品であるガソリン車を走らせるガソリンもまた贅沢品であった。この当時、贅沢品には各種の物品税が課せられていた。ガソリン税はその範疇の物品税であった。また日本の道路がきわめて劣悪であったことは事実であった。現在とは著しく事情を異にすることを忘れてはならない。
特に昭和39年4月のガソリン税のアップは注目しなければならない。道路特定財源になる以前のガソリンに課せられる税金11,000円/キロリットルに比べれば、揮発油税24,300円/キロリットル+地方道路税4,400円キロリットル=ガソリン税28,700円/キロリットルになったのである。実に3倍近くも増えたのである。しかも、モータリゼーションの波は地方にも一般家庭にも徐々及んでいた。多くの国民が関係する税になっていたのである。
30年以上も続けてきた「暫定税率」はないだろうというのは、人口にいちばん膾炙(かいしゃ)しやすい言い分である。悪名高いこの「暫定税率」が導入されたのは、昭和49年4月である。しかし、昭和39年4月のガソリン税の税率アップに比べれば、大したものではない。凄いのはこれをさらにアップした昭和51年7月と昭和54年6月の暫定税率である。このベラボウな税率アップを可能にしたのは、オイルショックしか考えられない。自公“合体”政権が地球温暖化対策を急にいい出して暫定税率の維持を正当化しようとしているのは、この故事を見習おうとしているのだろう。
専門家の分析によれば、ガソリンの価格と消費には反比例の関係がないという。自動車は、いまや生活必需品だからである。生活をするために必要なものであるから、ガソリン価格が高くなったからといって、自動車を使うことを止める訳にはいかない。公共交通手段が整備されている都市部では、自動車の使用が抑制されることがあっても、地方ではそんなに変わりがないのだ。道路特定財源を一般財源化して環境税に振り向けるという論者は、環境や地球温暖化問題を真剣に考えているのだろうか。再考してもらいたい。
環境税を導入することに私は反対しない。だが、ドサクサに紛れて道路特定財源を環境税に衣替えしようという考えには、賛成できない。環境対策は重要であるが、税は民主政治の基本だ。環境対策も国民の理解と協力がなければ成果を収めることは決してできないであろう。あわせてディーゼル車とその燃料である軽油に対する税=軽油引取税も再考する必要がある。軽油引取税も道路特定財源であり、地方税である。暫定税率がガソリンと同じように課せられている。環境問題の基本は、石油を無駄に使わないことである。原油を精製するとガソリンとともに一定の比率で軽油もできる。軽油をガソリンと同じように大切に使うことが大切である。ディーゼル車の開発では、わが国はヨーロッパに大きく遅れをとったようである。ガソリンと軽油に対する課税は一元的な視点で行わないといけない。
以上、かなり細かい議論にお付き合い頂いた。このようにガソリン税の推移をみると、ガソリン税を道路特定財源にしたこととその税の税額アップには深い関係があることが理解できるであろう。暫定税率の導入とその税率アップも、道路特定財源という大義名分がなければ決してできることではなかった。だから、道路特定財源と暫定税率問題は、不可分一体なのである。従って、暫定税率に触れない、あるいは暫定税率を維持したまま道路特定財源を一般財源化する議論など、事の本質や歴史的経緯を弁えない為にする詭弁である。
現実として存在したものには、確かに合理的な理由もあった。だが、諸行無常。道路特定財源という大義名分も永遠には正しくない。大義名分がなくなったら、現実に則して大義名分を見直すことが“真の改革”である。税の換骨奪胎(かんこつだったい)は、卑劣な手法である。新しい税を設けるためには、新しい皮袋をまず作らなければならない。そうしないと新しい税が腐ってしまう。権力者に安易な道を歩ませてはならない。民主主義社会の要諦である。