辞任すべきは福田首相!
07年11月09日
No.608
小沢民主党代表の辞任問題は、どうやら収束したようである。右翼反動が考えていたような結果にはならなかった。私は小さいときからかなり無茶をやったが、骨折は一度もやったことがない。よくいわれることだが、一度骨折したところは、再び骨折しないという。右翼反動は、まだまだ大連立や小連立の芽が残っていると、世論や民主党や野党の疑心暗鬼を煽っているが、それは逆である。もうこの手は使えない。“右翼”反動の割には、往生際が悪い。
今回の党首会談には、儀礼的なものとそうでないものがある。儀礼的な党首会談とは、たとえば大事な外国訪問に出発する際に野党各党の意見を拝聴するために行われるなどといったものである。今回の党首会談はそういうものではなかった。実質的な党首会談だった筈である。実質的な党首会談とは、ある問題について政治的決着をするために行うものである。風邪のために私は今回の党首会談に至る経緯を十分にフォローしていなかった。最初に今回の党首会談について述べた際に、永田町徒然草No.598で次のように書いた。
昨日の党首会談についていろいろな揣摩臆測がなされているが、私には興味ない。党首会談とは、政治決着するために行われるものである。政治決着とは、いろいろな問題をすべて呑み込んで政治的に一挙に解決するものである。新テロ特措法をはじめとして国会の情勢は、まだ政治決着をしなければならないほど煮詰まっていない。この段階で党首会談をセットしたことが私には奇異に感じられた。そして今週末に再度党首会談を行うことだけが決まったと発表された。今回の党首会談の評価はその時の決まる。私はそれほど大したものとは予測していないが……。
このように今回の党首会談は、最初からどうもおかしかった。しかし、双方の狙いは。現在の政治状況に対して政治決着をつけたいという思いで行われた。党首会談の課題は、実に“大したもの”だったのである。そのような“大した”問題について政治決着をつけようとした福田首相は、“大した”政治家でなかった。一国の首相が政治決着を行なおうとして行った党首会談が不調に終った場合、その政治的責任が問われる。しかし、福田首相にもこれを仕掛けた自民党にもそのような考えはまったくない。責められるべきは、本当はこのことなのである!!
“大それた”政治決着を図った者は、それが失敗に終った場合には責任をとらなければならない。その覚悟で臨まない者には、政治決着を語る資格などない。今回行われた党首会談の目的が達せられなかったのであるから、辞任すべきは小沢民主党代表ではなく福田首相なのである。そうであるのに福田首相は、“いけしゃーしゃー”と能天気なことをいっている。あまつさえ、福田首相や自公“合体”体制は小沢民主党代表の辞任騒動を民主党バッシングに使っている。煮ても焼いても食えない卑劣な連中である。これが自公“合体”政権の本質なのである。今回のことで小沢民主党代表を非難する者は、その10倍はこのことを非難しなければならない。そうでなければそれは批判ではなく単なるバッシングに過ぎない。
私は1979年(昭和54年)福田首相が総理大臣を辞めた後で国会に当選した。しかし、角福戦争はまだ続いていた。その最初の洗礼が当選7ヵ月後のハプニング解散だった。私は田中の支持を得ていた宏池会に所属していたが、次第に田中角栄的なるものと戦っていかなければならないと考えるようになった。反田中陣営の先頭に立っていた大将は、もちろん福田赳夫元首相であった。反田中の戦いは、田中元首相が脳梗塞で倒れるまで執拗に続けられた。その時々の局面で福田赳夫氏は大袈裟な言い振りをしたが、大言壮語の割には結局何も行わなかった。いうことは立派だが行動が伴わないというのは、清和会の特質である。強権的というのは、田中派・経世会の特質である。そのようなDNAに支配されているのだから、これはなかなか変わらないようである(笑)。
それでは、また明日。