“ねじれ”国会――何をなすべきか?
07年11月04日
No.602
東京は今日も爽やかな秋晴れである。こういう日は例の散歩に出かけたいが、まだ風邪が治っていないのでダメである。きわめて残念なことである。やはり“健康がいちばん”である。仕方がないから、日曜定番の政治番組を観ている。NHKまで例の党首会談・大連立のことをわざわざ報道している。あの“化け物のような大連立”の話を、そんなに真面目に議論する必要があるのか。おかしくて仕方がない……。
自公“合体”政権の与党議員が、いろいろなことをいっている。本当に彼らは
茶坊主みたいな存在である。その根本は、政権党でいたいだけの浅ましい自公“合体”体制にどっぷり漬かっているかである。彼らは、ものごとを批判的に考える能力を失っている。そもそも大連立などという発想は、正気の沙汰ではない。自公“合体”政権の与党の中でも批判されるべきことなのである。自公“合体”政権は、これからの政治運営の絵が描けないのであろう。未来に対する絵が描けないことは、政権担当能力がないことの裏返しのことなのである。
自公“合体”政権のスポークスマンである町村官房長官は、「現在のような状況では国家の意思が何ひとつも決められない。それでいいのだろうか」と盛んにいう。だが、それは間違っている。現在のような国会の状況は、自公“合体”政権がやりたいことをやらせないために国民の意思で作ったのである。自公“合体”政権の浅ましい強欲な政策など、国民はもうウンザリしていたのである。それなのに自公“合体”政権も福田首相も己の考えに固執し、そのことがやれないと国家が大変なことになる、国益が損なわれるという。私にいわせれば、ねじれているのは彼らの根性なのである。
現在の当面の問題は、新テロ特措法である。新テロ特措法が必要だという自公“合体”政権の理由・説明をこの際よく聴いてみるがいい。十年一日の如く、同じことをいっている。アフガン戦争はアメリカが9・11同時多発テロの報復として行った戦争以外の何ものでもない。そんなアメリカの戦争に協力してもわが国の国益が損なわれることなどあろう筈がない。実に単純なことなのである。日米同盟という呪縛に囚われている自公“合体”政権は、フレキシブルな外交政策を考えることができないのである。北朝鮮の核問題に対するわが国の対応をみていれば、そのことは明らかであろう。
なぜこのような状況になっているのだろうか。それは自公“合体”政権が衆議院における3分の2の議席に頼ろうとしているからなのである。確かに参議院で否決された法律案を衆議院の再議決で可決する議席はもっている。しかし、それは過去に与えられた議席でしかないのだ。過去に与えられた議席にこだわることは、過去にとらわれるということである。過去にとらわれる者には未来はない。「参議院選挙は政権選択ではない」と嘯(うそぶ)き、安倍首相の続投でこれからもやれると考えた自公“合体”体制の政局観こそが問題だったのである。福田首相の選出も同じような政局観に基づくものである。要するに、自業自得なのである。
現在の状況は、今後3年間は続く。このような状況下で政権を担当する者は、国民の利益を図ることに専念することを心がけなければならない。国民の利益を図るためにやらなければならないことは、山ほどある筈である。その中心の課題は、行政の民主化である。官僚の官僚のための行政を、国民のための行政に変えることである。それこそが行政の“改革”であり、構造“改革”なのである。小泉改革では、このようなことはまったくなされなかった。思いをここにいたせば、ねじれ国会など何の問題もないのである。このように考えられないのは、根性がねじれているからだと私がいう所以である。
それでは、また明日。