談合の構造
07年05月26日
No.437
農林水産省所管の独立行政法人「緑資源機構」が関与する入札談合事件がこの数日間大騒ぎになっている。こういう談合事件が起きる度に、その都度「談合はけしからん。税金を食いものにするものだ!」とおおぜいの人が悲憤慷慨する。しかし、談合体質はわが国の公共事業のすべてに組み込まれている。私は自民党の中でその談合を取り仕切る人たちを長い間みてきた。これを本気で改革する気があるならば、それだけでわが国の行政や政治のあり方はは大きく変わる。だが本気で談合体質を変える気がある者がいるのだろうか。
私は談合を認めているわけではない。談合は、私のもっとも嫌いなものである。私が新潟県出身でありながら、田中派・経世会支配と闘ってきたのもそのためである。私の20年間の国会生活の大半は、田中派・経世会支配との闘いであった。角福戦争は、田中角栄氏と福田赳夫氏の政争であって、談合体質を改革するなどということが問題になったことはなかった。福田氏や福田派もそれなりに利権を求めてきたし、利権は談合という手法を用いなければ現実に利益を産まない。
談合は、機会均等という自由主義経済の根本に抵触するものである。自由主義経済は、機会平等が最低限度守られなければ発展しない。しかし、機会均等は実質的な機会平等を保障するものでなければならない。そこでいろいろなルールが必要になるのだが、それは実質的な機会平等をどう達成するかという視点からなされなければならない。ところが、そのことに乗じて利権をもつ者は公正なルールでないものをつくり、利権が現実に利益を産むような仕掛けを作るのである。そのルール作りは、政治家だけでは絶対にできない。官僚の協力が必ず必要になってくるのだ。
談合は、政官業三者の合作によってはじめて機能する。談合に関与する政治家も官僚も業者も基本的には自由主義経済を信奉する者ではないのだ。官僚が自由主義経済を信奉しないのは不思議なことではない。官僚は基本的には自由主義者でないからである。自由主義を標榜しながら談合に加担する政治家は、本質において自由主義者でないと思う。経済人でありながら談合によって利益を得ようとする業者(企業)は、冥加金を納めて特権を得ようとした江戸時代の悪徳御用商人と同じだというのが私の考えである。
官製談合などという言葉が使われているが、官僚が関与しない談合などというものが本当にあるのか。官僚が関与しなければ、恒常的な談合は機能しない。安定的な談合にはならない。安定的な談合でなければ、談合に加担しても利益を得ることはできない。利益を得られない談合には、誰も参加しない。参加する者がなければ、談合組織は成り立たない。このような談合組織やグループが、公共事業の周辺には無数にたむろしているのである。それがわが国の現状である。間歇的に談合事件が摘発されても、交通違反と同じで“運が悪かったね”と捉えられるだけで、談合体質を本気で根絶する試みがなされたことなどない。これが私の談合や利権に対する基本的な認識である。談合体質を改めるだけでも、内閣の命運を懸ける価値のあるテーマなのであるが……。
それでは、また明日。