犯罪と政治
07年05月19日
No.430
昨日の万歩計は、13,927であった。昨日は朝早くから出かけ、夜10時ちょっと前に帰ってきた。古舘伊知郎の『報道ステーション』に、かろうじて間にあった。午後9時ちょっと前に愛知県長久手町の拳銃をもった人質立てこもり犯は、投降して逮捕された。29時間立てこもっていたらしい。昨日はきっと1日中、このニュースでもちきりだったのだろう。詳しいことは分らないが、夫婦関係や家族関係の縺(もつ)れからの犯行らしい。一人の若い警察官が殉職した。
この事件も、銃と暴力団がキーワードだ。銃器犯罪の重罰化がさっそく政府筋で検討された。。しかし、銃器犯罪に対する刑罰はすでに十分重い。そんなことではないのだ。ヤクザと銃に対する取締りをキチンとすることが大切なのである。その法律も予算も、手当ては十分にされているのだ。その実行がなされていないのである。一般人に対する人権を無視した職務質問が日常茶飯事になされている。テロ対策と称して治安当局はやりたい放題である。しかし、いずれもポイントがズレている。テロ対策に悪乗りして治安当局の権限や予算を拡大しようなどという姑息な考えをやめ、やらなければならないことを地道にやることが大切なのである。
ここでいちいち述べられないほど、嫌でおかしな事件が毎日のように起こっている。酷なようだが、これはわが国の政治が乱れているからである。為政者は、犯罪に対してそのような認識をもたなければならない。為政者は、世の中のすべてのことに責任があるのである。その気概がない者には、政権を担当する資格がない。検察や警察にも同じようなことが求められる。犯罪は、鬱積した社会情勢の現われなのである。確かに異常者はいる。そのような異常者はいつの時代もいたし、異常者が犯す犯罪はあった。しかし、そのようなことでは説明ができない事件が多すぎる。それは、現在の社会にいいしれない不満や鬱憤が充満していて、それが犯罪として現れているに過ぎないのである。
国家公安委員長を務めていたとき、私はいつもそのような思いで朝6時のニュースをみていた。政権を担当することは、厳粛なものである。そのような凛としたものが政権にあれば、それは必ず国民に伝わるものである。いまの安倍内閣のやっていることは、私にいわせれば出鱈目である。出鱈目のやり放題である。国家の品格とかいう本を書いた人は、どうもこの安倍内閣を支持しているようである。この人は、安倍内閣のやっていることを品格のあることと思っているのだろう。もしそうだとしたら、この人がいう品格ということが問題にされなければならない。安倍内閣が出鱈目をやっていたのでは、出鱈目をする国民が必ず出てくる。そういうものなのである。これは中国の古典などが教える政治の要諦である。
それでは、また明日。