ヘッダバイパス[j]ump
liberal-shirakawa.net 白川勝彦 Webサイト (HOMEへ)
白川勝彦へメールを送る
永田町徒然草を閲覧しています
自薦論文を閲覧します
白川文庫を閲覧します
フォトエッセイ即写一言を閲覧します
永田町徒然草
自薦論文
白川文庫
フォトエッセイ 即写一言
プロフィル
リンク

 

憲法と国会は、こう破壊された―1

15年09月21日

No.1781

9月19日未明の永田町徒然草で書いたように、私は3日間国会で半徹夜した。白川勝彦法律事務所の仕事は普通にやらなければならないので、相当に疲れたことだけは確かだ。9月19日も事務所に行って仕事をしたが、それが終わると自宅に帰り、とにかく休むことにした。この間も多くの人々が、当 白川サイトを訪れておられたので、申し訳ないと思ったがupdateできなかった。

なぜ私は、毎日のように国会に行ったのか ─ その理由から、まず述べよう。私は、国会正門前の抗議活動に何度も参加した。多くの人々が集まっているのはテレビを見れば分かるが、現場に行き、その中に入らなければ、その抗議行動の意味や質が分からない。私たちが若い頃やったようなデモとは、かなり雰囲気が違うことは確かである。しかし、その政治的意味を知るためには、現場に行って、それをこの目で見なければ、本当のところは分からない。政治は、現場が大事なのである。

8月30日の大行動は、本当に凄かった。参加人数についていろいろと言われたが、間違いなく、12万人を超える人々が集まっていた。世界的な、ベトナム戦争反対の切っ掛けとなった、パリのカルチェ・ラタンの行動を想起させるものであった。ベトナム反戦の世界的拡大は、あそこから始まった。私たちの学生時代の諸運動も、それを見習って広がっていった。8・30大行動は、日本各地に戦争法案反対運動を巻き起こした。多くの政党がこれに触発されたのは、間違いない。

9月に入ると、毎日のように国会正門前に多くの人々が集まって、安保法案に反対していた。9月に入ると、毎日のように雨が降った。その中でも、毎日のように反対行動が続いていた。その人数も大事だが、どういう人が、どのような気持ちで集まっているかが、政治的には重要なのだ。その輪の中に入って、参加者の顔ぶれ・表情・発言等を見なければ、その政治的意味を探ることはできないのだ。

いよいよ安保法案の審議が大詰めになると、安保特別委員会の動きが緊迫してきた。9月16日、横浜で地方公聴会が開催された。そして、鴻池委員長が職権で、その日の午後6時から締めくくり総括質疑を行うと、職権で決めた。これは、私たちが見れば、採決を行うぞという意思表明である。野党がこれに反対するのは、当然のことである。

この情勢を受けて、当然ながら、反対する人々が国会正門前に集まってくる。この日も、雨が降っていた。抗議行動に集まる人々は、国会正門前の歩道に集まる。その人たちが車道に出ないように、車道と歩道はアルミ製の柵で仕切られていた。しかし、歩道に多くの人々が集まり過ぎると、自然と車道の方に人々が溢れてくる。これを、行動参加者は“決壊”と呼んでいた。ところが、国会正門前道路に何十台もの警察車両をびっしりと停車させ、決壊をてこでも防ごうとした。だから、歩道に集まっている人々の人数も様子も、正門前道路からは全く分からない状態であった。

私は、国会議員をしていた関係で、前議員バッチというものを持っている。だから、必要があれば国会に中に入れる。どこにでも行けるし、本会議等を傍聴することもできる。私は、9月16日午後7時頃から、問題の参議院第一委員会室近辺へ行ったり、顔見知りの議員に会って、話し合ったりしていた。この夜は、安保特別委員会理事会が紛糾。9月17日の午前4時まで続いたが、その日の午前8時50分、“理事会”を開くことで与野党が合意し、理事会は休憩に入った。

9月17日のことは、永田町徒然草No.1779「右翼反動が正体を暴露した9月17日」に書いたとおりである。ただし、安保法案のこのような形での採決を、国会でよくあることだというようには、認めない方がよい。近代自由主義の法理論では、“due process of law (適正手続き)”が重要な概念として論じられている。民主主義の手続きにおいても、その手続きが“due process of law ”の観点から認められるかどうかは、個別事案ごとに真剣に論じなければならない。

これまでにも、強行採決と非難されるような採決は確かにあった。しかし、強行採決した与党(そのほとんどは自民党であるが)にも、ギリギリの理屈はあった。また、ギリギリ説明すれば、まぁ一応採決されたと評価もできた。だが、今回の“処理”は、どう説明しても、採決と呼べるようなシロモノではない。国会が始まったら、野党は徹底的に追及した方がよい。

私がこの採決と称されているモノに拘るのは、右翼反動というものを正しく認識する必要があると考えるからだ。わが国の政治の歴史で、“右翼反動”と呼ばれる勢力がどのように振る舞ってきたかに思いを馳せると、今回の自公“合体”政権のやり方こそ、まさに、戦前の右翼反動が行ったことに酷似しているのだ。右翼反動は、根強くこの国の、とあるところで生きていて、ある日突然牙を剥くことを、私たちは知らなければならない。そして、今回まさにその牙を剥いたのだ。

9月17日午後1時から、NHKでも中継された鴻池委員長の解任決議案の提出動議と、これに賛成する各野党の討論は、かなり迫力のある、内容の濃いものであった。国会の先例は、いつもこのような“due process of law (適正手続き)”の積み上げでできあがったきたのだ。今回のようなことを“先例”として許したら、これからの国会の手続きや先例は、意味のないものになってしまう。議会の崩壊である。

あのドサクサの“処理”が行われた直後に、安倍首相は、惻々と委員会室から出て行った。あの処理を最終的に指示したのは、もちろん安倍首相である。自ら指示しておいた処理が実行されたのだから、安倍首相は、その真ん中にじっと居るべきであろう。その処理が無事収まったことを確認する義務が、安倍首相にはあった筈である。それを、我知らずというのか、あまりにも恥ずかしかったからなのか知らないが、惻々と委員会室から立ち去ったことに、私は安倍首相の本性を見た。

この日は、本当によく雨が降った。私が国会に向かった時などは、車に乗っても前が見えないくらいの土砂降りであった。委員会のあのよう形の“処理”が、簡単に収まる筈がない。夜の報道がどのようになされるのかを確認するために、私は、一旦自宅に帰ることにした。テレビを見ていたら、18日午前0時10分から、中谷元防衛大臣に対する問責決議案が参議院本会議で審議されると報じらた。私は再び、国会に向かった。これから後のことは、またの“続き”としよう。

それでは、また。

  • 15年09月21日 03時23分AM 掲載
  • 分類: 2.国内政治

白川勝彦OFFICE   白川勝彦へメール送信 ]

Valid XHTML 1.0 TransitionalValid CSS!Level A conformance icon, W3C-WAI Web Content Accessibility Guidelines 1.0

Copyright©K.Shirakawa Office 1999-2016 - Web pages Created by DIGIHOUND L.L.C. All Rights Reserved ©1999-2016
Powered by Nucleus CMS. Page designed by James Koster.Ported to Nucleus by Joel Pan. Re-design and adjusted by DIGIHOUND L.L.C. © 2006-2016