お粗末にして仰々しい70年談話
15年08月15日
No.1769
8月15日の終戦記念日は、たいてい、暑い日が多い。昭和20年のその日も暑かったという。この日は、先の戦争で命を落とした人々に想いを致し、その冥福を祈り、平和を祈念する日である。多くの日本人が、ごく自然にそのようにしてきた。私も、いつも特別な日として過ごしてきた。ところが、今年は違った。昨日の安倍首相の戦後70年談話を、多くの人々がどのように評価しするのか、また、関係諸国からどのような反応があるのか、それを確かめるのに忙しかった。
そもそもの私の作業は、昨晩から始まっていた。まずは、昨日午後6時から始まったテレビの記者会見を見て、何かおかしいぞと思った。安倍首相が、焦点の定まらない、宙を仰いだような表情で、訳の分からないことを長々と喋っている。一体何が始まったのかと、多くの人々が感じたと思う。確か、プロンプターが左右にあった。安倍首相は、プロンプターに映っている70年談話を読んでいたのだ。
何も、4000字を超えるような談話(声明文)を
何を言っているのか分からなかったので、私は、パソコンをみた。すると、既に70年談話の全文が載っているではないか。安倍首相は、プロンプターに映っている70年談話を、できるできるだけ説得力があるように読もうとしていたのだ。読み難いところがあったのだろう、目が宙に浮かんだり、不自然な表情になってしまうのだ。4000字の談話を諳んじたからといって、誰も、「安倍首相は頭がいい」などとは言わない。格好いいとも思わない。周りには、いろいろな人物がいるようだが、今回の演出は一体誰なのだ。
さて、70年談話の中味だが、私の評価はゼロ点である。その理由は、安倍首相が長々と述べた不幸な戦争や歴史をすべて踏まえて、わが国の憲法前文と9条が制定されたのだから、だ。それを確認するのが一番大切だし、諸外国に対しても、重みのある談話となる。しかし、安倍首相はそこを認める気が全くないのであるから、しょうがないのだ。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄に、これまで以上に貢献してまいります。
これは、70年談話の結びの部分である。積極的平和主義に、わざわざカギ括弧が付けらている。積極的平和主義などという用語は、安倍首相が使う浅はかな政治用語に過ぎない。その積極的平和主義に基づいて、集団的自衛権の行使容認の閣議決定を行い、多くの国民が反対している安保関連法案を国会に提出したのだ。安保関連法案は何としても成立させるぞと内外に言うために、仰々しい70年談話をわざわざ出したのだ。何とも、お粗末な話ではないか。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。