闘いは、まだ終わっていない。
13年12月07日
No.1625
平成25年12月6日深夜、参議院において特定秘密保護法案が採決に付され、自民党と公明党の賛成により可決された。ここに、特定秘密保護法が成立した。この法律は、わが国の政治・社会のあり方を大きく変えることになるであろう。自由を愛する国民は、今日という日を、長く記憶しておかなければならない。この法案に対する私の意見は、これまでクドイくらい述べてきた。それをここで繰り返えそうとは思わない。
結論だけを言えば、真の自由主義政治家ならば、特定秘密保護法案に賛成することなどあり得ない。自民党・公明党・日本維新の会から、この法案に対して表立った反対の声は上がらなかった。これは、これらの党には真の自由主義者がいないことの証明だ。みんなの党は、早々とこの法案に賛成を表明したが、党の方針に反対する者が数人現れた。彼らの行動を、私は高く評価する。彼らを殺してはならない。
自由主義政治家も、一人では生きられない。自由主義政治家も、一人ではその理想を実現することができない。そういう政治家が活動できる政党として、自由民主党があった。私も、自由主義政治家の一人として、自由民主党に籍をおいた。私は、自由民主党の多数派ではなかったが、少なくとも自由主義政治家は排除されなかったし、私たちの主張が党の大勢を占めることもあった。
自由民主党が変質し、自由な雰囲気がなくなったのは、公明党と連立してからである。公明党との連立は、自由民主党をそのような政党に変える惧れがあった。だから私は、自公連立に強く反対したのだ。最初は私の意見は、決して少数派でなかったが、私は徐々に孤立していった。自民党が自公連立にのめり込んでいくのを阻止できない以上、自由主義政治家である私は、自由民主党を離党するしかなかった。
このような経過を知っている私は、かなり以前から、自民党の政治が明らかに自由主義政治から遠ざかっていくという認識があった。それに対しては、その時々に、自由主義政治の立場から反対の意を表してきた。しかし、自由主義という哲学を失った自民党が、自由主義とは相容れない右翼反動の道を歩むのは、避けることのできない必然であった。その原因は、わが国の政治基盤に深く起因しているのだが、これについては、別に論じたいと思っている。
自由を愛する多くの国民は、この点に対する理解が十分でなかった。だから、民主党の出鱈目に怒って、自民党や公明党や日本維新の会に、近時の選挙で多数の議席を与えてしまった。彼らが多数を取れば、右翼反動の本性を現すことは、予測可能なことであった。そして、自民党と公明党と日本維新の会は、直ぐにその本性を露呈し始めた。政治は闘いである。油断も隙も許されないのだ。
自由を希求する国民は、今回のことを忘れずに、これからも闘い続けなければならない。自由を希求する国民の意志に反する政治は、いかなる政党にもできないからである。今回成立した特定秘密保護法は、法律として不完全であり、このままでは、実際に稼働できないのだ。審議の過程で自公"合体"政権は、多くのことを約束し過ぎたからである。それらを実行させるためにも、まだまだ闘いを続けていける ─ いや、闘い続けていかなければならないのだ。
忌まわしい特定秘密保護法が成立したその日、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領が95歳の生涯を閉じた。マンデラ氏の戦いの人生は、過酷なものであった。しかし、彼の戦いが成功したのは、マンデラ氏を支えた多くの国民がいたからである。わが国の自由を守る戦いも、一人ひとりの自由を愛する国民の闘いによって、支えられなければならない。極めて短期間の闘いではあったが、わが国には、自由を愛する多くの国民がいることを証明した。悲観することはない。闘うのみである。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。