わが国の自由が…。
13年01月13日
No.1549
1月13日(日)のNHK日曜討論は、自民党の安倍首相をはじめ、各党党首のインタービューを放映した。私は、その全部を見た。そして、複雑な想いをもった。もっとも印象的だったのは、日本維新の会代表の、石原慎太郎氏の発言だった。占領の遺物である憲法を改正するのが、基本政策であり、急務であると強調していた。自民党と日本維新の会は、憲法改正を現実的なターゲットに据えて、明らかに動き出した。リベラルを政治信条とする私としては、緊張せざるを得ない。
先進的な自由主義諸国でも、当選者は少ないものの、極右政党が誕生している。日本維新の会の政治的性格は、わが国における極右政党と呼んでも、差し支えないのではないか。立ちあがれ日本→太陽の党→日本維新の会・東軍の主力メンバーは、かつては、自民党の改憲強硬論者達だった。もともと、これといった政治信条など持たない大阪維新の会が国民の支持を受けたので、その中に潜入しようとしたのだ。これからは、自民党と日本維新の会が先頭に立って、日本国憲法の改正を画策しようとするのだろう。
わが国において、自由主義が国政の基本に据えられ、自由主義が現実に機能し始めたのは、日本国民憲法が制定されてからであった。しかし、GHQ占領中は、自由主義もその制限下にあった。GHQの占領が終わった1953年頃は、冷戦真っ最中で、反共勢力が自由主義諸国で大きな力を持っていた。もともと自由主義の伝統が脆弱だったわが国においても、長い間、わが国の権力中枢で跋扈していた極右勢力が、アメリカの支援で復活していた。この勢力の悲願は、憲法改正だった。
しかし、日本国憲法で宣言された自由主義の精神は、国民の心を放さなかった。自由主義の伝統こそ必ずしも十分ではなかったが、衆参両院議員の3分の2の発議を要するという憲法改正規定に守られて、日本国憲法の改正は阻まれてきた。日本国憲法を制定した人たちは、自由主義の伝統が脆弱なわが国においては、このような改正規定を設けておかなければ、憲法が保障した“自由と基本的人権”および“民主主義と国民主権”は危うくなると考えていたのではないか。
しかし、いよいよ日本国憲法の改正が、政治の現実的なテーマになろうとしている。そう簡単には、憲法の改正はできないであろうが、油断できなくなった。それが、現在の政治情勢の率直な実情である。日本国憲法が果たす役割を重んじる人士は、困難を乗り越えて、大同団結していかなければならない。それが、わが国の政治に関心をもつ者の、中心的課題である。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。