ホリエモン判決雑感
07年03月17日
No.367-2
昨日、ライブドア前社長である堀江貴文被告人に対する証券取引法違反事件について、東京地方裁判所は懲役2年6月の実刑判決を言い渡した。朝から夜までテレビはこの報道で持ちきりだった。私はいわゆるホリエモン現象はおかしいと思ったが、基本的には興味はなかった。だから昨日の判決には、特にこれといった感慨はない。しかし、面白かったのは、ホリエモンに関係した者の発言やビヘエビアであった。
私は一応弁護士である。私たち法律家は、記録や証拠を見ないで他人が行った判決について論評することはしない。求刑懲役4年に対して2年6月(私たち法律家は「にねんろくげつ」という)の実刑判決が妥当なのか不当なのかも普通はいわないものである。従って、私もこの点については何もいうつもりはない。また裁判官は弁明せずという諺がある。裁判官は判決文にすべてのことを書いているのであり、判決に対してどのような批判があっても弁明することはしないし、許されないのである。
同じようなことは、検察側にも弁護側にもいえるのではないか。普通の訴訟手続ならば、検察官も被告人や弁護人も自らの主張を十分保障されている。その手続きの中で自らの主張は十分できるし、またそこで主張しなければ裁判にとって意味がない。その主張が容れられなかった場合、不服として控訴できるし、そこで改めて争うべきものである。私はこう思っているので、昨日の判決に関する関係者のいろんな動きの中でいちばん奇異に感じたのは、古舘伊知郎の『報道ステーション』と筑紫哲也の『ニュース23』に堀江被告人(民事事件では被告といい、刑事事件では被告人という)が出演したことであった。
私がもっともおかしいと思ったのは、判決が出た当日に堀江被告人をテレビに出演させたテレビ局の判断である。私は堀江被告人が当日テレビに出演することを知っていたので、冒頭どのような考えで堀江被告人を番組に出演させるかについてどう説明するのか注視していたが、両番組ともこのことについて何も触れなかった。これまでも社会的に注目された事件というのは、無数にある。被告人は法廷でもマスコミでも自分の主張をしたいであろう。それは当然である。しかし、これまでに判決当日に昨日のようにテレビ番組に出してもらってそのような機会が与えられた被告人は、無罪判決の場合を除き私には記憶にない。ふたつのテレビ局は、これからはそのようにするというのだろうか。その基準を私はぜひ知りたい。
もっとおかしかったのは、安倍首相の記者団に対するコメントであった。「自民党は(堀江被告人を郵政総選挙で)公認も推薦もしていない」と発言していたことである。だからこれに関してコメントはできないし、コメントする必要がないとでもいうのだろうか。どう考えてもこれはおかしい。広島県6区は郵政造反組の首謀者ともいうべき亀井静香氏が立候補していた選挙区である。自民党がここに郵政民営化賛成の候補者を立てないことは許されないことであった。しかし、亀井氏はなかなか選挙に強い。生半可な刺客では、まず勝ち目はない。そこで最終的に決定したのが当時人気絶頂の堀江被告人であった。
自民党が主導したのか、堀江被告人が望んだのか知らないが、自民党にとっては願ったり叶ったりの候補者だったことは間違いない。確か堀江被告人は立候補の声明を自民党本部で行ったと記憶している。亀井氏に対する刺客とし戦っていた堀江候補に自民党は武部幹事長や竹中平蔵大臣を派遣して応援した。これは事実上の公認であり、推薦と同じだ。このとき安倍首相は、確か党の幹事長代理を務めていた筈である。幹事長代理というのは、形式的も実質的にも選挙についてもっとも大きな権限と責任をもっている者である。安倍首相は、堀江被告人の広島6区からの立候補に責任がないとは絶対にいえない立場にいたのである。こういう点を追及しない記者は一体何をするために安倍首相の傍にいつもいるのだろうか? <つづく>
風邪のために体調がすぐれない。このつづきは、様子をみてまた書く。それでは、また明日。