菜種梅雨と円安
12年02月25日
この10日間に、東京では何度か雨が降った。陽が差さないので、けっこう寒い。多くの人々は寒さのぶり返しと捉えるようだが、これは菜種梅雨と思った方がよいだろう。菜種梅雨の季語は、春である。これを知っていれば、肌寒い雨でも、春が感じられる。Wikipedia で「梅雨」を調べると、菜種梅雨の項に「近年は、暖冬傾向および、温暖化の影響もあり、菜種梅雨が冬に繰り上がるきらいがある」と説かれていた。
明日、私は千葉県の勝浦温泉に行く。国会議員時代から続いている、後援会の皆様の旅行会の宿泊先である。房総半島は菜の花の産地として有名だ。明日はたぶん、「菜の花料理」にありつけるかのではないか。菜の花料理 ─ それは、私にとって特別の思いがある献立だ。私が育った新潟県十日町市は、日本一の豪雪地帯である。雪の季節が終わる(おおむね2月下旬)と、秋に菜の花を植えておいた畑や田んぼの雪を掘り起こす。
4月に入っても、周りにまだ雪は残っている。しかし、日差しは相当に強くなっているので、菜の花の植えてある畝(うね)の雪は消え、菜の花はどんどん育っていく。そこで、芽吹いた新芽を摘んで食べるのだ。生野菜が絶対的に不足したので、その旨いこと、旨いこと。おひたし・胡麻和え・油炒め・煮菜等など。「体が黄色になるぞ!」といわれるくらい、食べたものだ(笑)。ほうれん草をこうして育てた記憶は、ない。また、ほうれん草をあまり食べた思い出も、ない。
今週、ドルやユーロに対する為替レートが、かなり円安となった。これを受けて、東京市場は少し活気付いた。これを“菜種梅雨現象”といえるのだろうか。私は、そうは思わない。日銀は、金融政策を少し変えたようだが、市中におカネが回ってくるような気配は、まったく感じられない。おカネを必要としている人々には、依然としておカネが回ってこないからだ。日銀や財務省は、「誰がおカネを必要とし、どこにおカネを回すべきか」が、まったく分かっていないようだ。
おカネがなくて餓死したのではないかというニュースが、今週いくつかあった。“絶対的な貧困”が、わが国を支配している。政府がどんな統計を使って誤魔化そうが、債務整理の仕事に携わっている私には、“絶対的な貧困”との認識は覆らない。この絶対的貧困をどう克服するかが、政治に携わる者の共通認識・共通意識でなければならない。今週行われた国会の予算委員会の議論をできるだけ見ていたが、与野党とも、こうした認識・意識がなかった。
社会保障は、基本的に所得の再配分によって、貧困の問題を解決しようとするものである。所得の再配分は、国家の基本的機能のひとつである。しかし、その財源は、所得税や相続税でなければならない。野田政権が目標としている、消費税の増税ではない筈だ。逆進性の強い消費税で社会保障を充実させるのは、そもそも論理矛盾なのだ。所得の低い人には、消費税を戻すとし、そのために“納税者番号みたいなもの”を導入するという。財務官僚の、永年の悲願達成だ。野田首相よ、もういい加減にして欲しい。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。