国家と国民の付き合い具合
12年02月19日
No.1537
持続可能な社会保障を続けるために、野田政権は、断固として消費増税を行うという。果たして、どのくらいの人々が、現在の社会保障政策によって救済されているのであろうか。決して、ゼロなどというつもりは更々(さらさら)ない。しかし、現在の社会保障の現状に多くの問題があることは、間違いない。現行の社会保障に、多くの不合理や不条理な問題があることは、いまや国民の共通認識である。それは何故か。
社会保障のそれぞれのアイテムは、戦後のその時々の政治情勢の中で、それぞれ、真剣に議論され制定されてきたものである。しかし、あらゆる制度は、ひとたび制定されると、それが自己増殖をはじめるのである。わが国のほとんどの社会保障の実施主体は、公共である。すなわち、役人の手によってなされている。わが国の役人には、権限と関与を拡大する習性という特徴がある。これは、明治以来の際立った特性である。
いくら時代遅れになったとはいえ、ある社会保障がまったく必要ないというものは、少なかろう。問題は、それに要するコストと担い手である。誰しもがその恩恵に浴する健康保険や年金制度は、保険システムとして仕組まれていた。しかし、保険制度としても、年金で問題になったように、その出鱈目さとコスト意識の欠如が歴然としていた。自民党が政権から転落した理由のひとつが、これであった。
保険制度として仕組まれ、社会保障の対象となっている中には、本来は保険制度に馴染まないものも多くある。それらのコストは、本来は保険料ではなく、税金で賄われるべきものなのである。それは、所得の再配分=税の再配分と考えるべきものである。税の再配分機能に根拠があるのなら、その場合の税は所得税であり、断じて消費税ではない。わが国の消費税の導入は、税の課税ベースの拡大、すなわち誰にでも最低限の税負担をしてもらうことであった。
最近は、野田政権がいう社会保障なるものに、多くの国民が問題意識をもち始めた。それはそれで、結構なことである。しかし、この問題意識をさらに深める必要がある。そうしないと、社会保障という美名に騙されて、消費増税を許すことになる。その結果いちばん喜ぶのは、手厚い社会保障で救済される人々ではなく、社会保障に関与する役人と、これに寄生するマフィアなのである。社会保障マフィアは、建設マフィアと並ぶ巨大マフィアである。
巨大資金に寄生する厚生マフィアを撲滅することは、至難な業である。しかし、たったひとつ途(みち)がある。それは、資金そのものを断つことである。あらゆる寄生虫を駆除するには、この方法がいちばんなのだ。偽善者やマフィアたちが言うほど社会保障が本当に必要なのかどうかを判断するために、この方法が有効なのだ。建設マフィアは、道路特定財源の暫定税率廃止を小沢氏に頼み込んで、この途を封じた。この際、そのことを思い起こせ!!
この数ヶ月の間に、まやかしの消費増税が罷り通るかどうかが決まる。消費増税が実施されなくとも、社会保障そのものが崩壊することなど、決してない。そもそも、既に崩壊している社会保障も多くある。いまの日本において、国民が本当に求める社会保障を実現する絶好の機会と捉えるべきである。それは、国家と国民一人ひとりがどう付き合うかという正念場でもある。それを通じて、現代のわが国における「国家と国民の関わり具合」が決まる。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。