ダサいと愚直の違い
11年09月19日
No.1512
9月に三連休が2回もあることを、昨日はじめて知った。私はそういうことに関係なく、日曜日だけを休みにしている。だから、明日も事務所には出ていくつもりだが、スタッフは休日態勢である。出勤するスタッフは、少なくとも平日通りに作業ができるので、業務には特に差し支えない。世の中は、本当に不景気だ。不景気になると、苦しむのは国民だ。とりわけ、多くの借金を抱えている人々は大変だ。債務整理の“剛腕”仕事人を自負している者としては、三連休などと浮かれてはいらねない。
ところで、野田政権にどう向かい合ったら良いのか、国民もマスコミも、躊躇(ためら)っているようだ。私は、そんなに深く分析をしている訳ではないが、直感でいうと「野田政権はダサい」という気がしてならない。ダサい政権が捗々(はかばか)しい成果を挙げられるかというと、答えはNoである。政治には、勢いというものが必要だ。気風が必要なのだ。気風があるものには、華がある。政治には、華が必要なのだ。そういうものがまったく感じられないのが、野田政権だ。だから、野田政権は、国民が期待しているような成果を挙げることはできないだろうと、私は思っている。
野田政権がダサいのは、必然である。民主党全体が、いまやダサい存在なのだ。ダサい民主党が切羽詰まって誕生させたのが、野田政権である。だから、野田政権がダサいのは当然なのである。理想に向い、歩みは遅くともがむしゃらに努力する様を“愚直”という。ダサいと愚直は違う。野田首相は、ベラベラとよく喋る。演説も、それなりに上手い。しかし、みんな他人の言葉の受け売りなのである。自分の頭で考え抜き、編み出した言葉ではない。演説に至っては、財務官僚の作文そのものを読んでいるだけだ。
民主党全体を見回してもこの程度の人間しかいなかったのだから、仕方ない。国民がそういう民主党を選んでしまったのだから、国民は甘受しなければならない。たぶん、国民の期待に応えられる首相は、民主党の中からはとうぶん輩出されないであろう。このことこそが、最大の“政治空白”だ。しかし、野田首相は「政治空白を作っている場合でないから、解散総選挙は考えていない」という。裏返すと「あと2年間は、民主党の衆議院議員の給料を確保して欲しい」と言っているのだ。
自民党の衆議院議員たちも、自分たちの生計のために政権に固執した。そして、2年前に大敗した。民主党の衆議院議員たちも、自分たちの生計を確保したいために「政治空白は許されない」と言っているに過ぎないのだ。こうなると、“ダサい”という表現も甘過ぎるのかもしれない。卑しいと言った方が良いのだろう。要するに、日本の政治は堕落してしまったのだ。その究極の責任は、国民にある。よほど頑張らないと、この負のスパイラルはとうぶん続くような気がする。私ごときがいくら悲歌慷慨しても、どうなるものでもない。だから、私は、政治向きのことを述べるのが億劫になってしまったのだ。
それでは、また。