熱い情熱と怜悧な判断
11年04月03日
No.1477
大震災から20日余り経ち、4月に入った。一部の地域から復旧のニュースも届いているが、まだ救援が急務な所がいっぱいある。この際、以下に述べる基準で被災地の色分けをする必要があるのではないか。ひとつの基準は、災害を齎した原因である。大地震と大津波と福島原発事故である。大地震は被災地の全域に及ぶが、それに大津波が重なる地域がある。さらに原発事故の被害が重なる地域もある。この三重苦の地域も相当に広い。
もうひとつの基準は、被害状況に対する対策の性格である。これは、救援→復旧→復興の三段階に分けることができる。原発事故の被害に見舞われ、避難・自主退避に指定されている地域は、いまなお日々被害に見舞われているのだから、全域が救援が必要な地域ということになる。農業の産物の出荷停止が行われた地域は、日々被害に見舞われた地域と同じなのではないのか。
救援が必要な地域は、手段や採算など言ってはいられない。あらゆる方法を駆使して、何としても命や生活を守らなければならない。国家の基本的な義務である。一昨日から自衛隊とアメリカ軍海兵隊が合同で行った大規模な捜索活動などはその典型である。この捜索活動を終了しなければ、次の段階の対策も進めることができないのだ。政府は10万人の自衛隊を投入しているのだから、少なくともこの捜索・救援活動が被災地のどの地域でどの程度行われたのか、分かり易く発表する必要がある。官房長官の記者会見(=政府発表)は、なぜ原発事故に関する細かな報道だけなのか理解に苦しむ。
以上の三つの基準をクロスさせれば、どの地域にいかなる対策が求められどのような人員を投入すれば良いか、かなり整理される筈である。マスコミの報道もこのような視点をもって対策等を報道する必要があるのではないか。いまなお救援対策が求められている地域で、部分的に復旧的な明るいニュースがあったからといってこれを情緒的に大きく報道するのは、国民の災害対策に対する認識を誤らせてしまう。大きな困難に立ち向かうためには、熱い強い情熱と怜悧な知識・判断が必要なのである。
最後に指摘しておきたいのは、これらの救援→復旧→復興を支える根拠地の確保である。政府の不適切な災害対策等により、この根拠地を傷けないことが必要である。私が計画停電に反対しているのは、最大の支援根拠地でなければならない首都圏の生活や生産活動を傷つけてはならないという信念からである。漸くそのような認識が生まれてきたが、まだまだ徹底していない。前号で指摘したノブレス・オブリージュとして現段階において何が求められているのか、この際、一人ひとりの国民が考え欲しいのである。
それでは、また。