大震災に対する緊急措置の大要
11年03月25日
No.1474
いまわが国は、国家的規模の危機を乗り越えていかなければならない秋(とき)である。危機に対処する措置(以下、災害対策と呼ぼう)は、まず時間的な段取りを間違ってはならない。重要な災害対策も、ある時点では死活的に重要であるが、時間が経過すれば必ずしも重要な災害対策と言えなくなる場合もある。具体的状況の具体的分析が必要である。そこを間違ってはならない。いまわが国が国家としてやらなければならない緊急の災害対策は、大きくいって4つあるのではないだろうか。これらは同時並行でやらなければならないが、便宜上AからDと書く。その対策に優劣がある訳ではない。このところを誤解しないように。
A 被害者の捜索と救命
B 被災者の救援と生活支援
C 福島第一原発事故の封じ込め
D 救命・救援・支援・復興の基地の確保……
1 国民の生命を守ることにまず全力を投入すること。
国家のもっとも基本的な役割は、国民の生命財産を守ることである。いま2万を超える国民の生命がなくなり、あるいは危機に晒されている。死亡者の埋葬と行方不明者の捜索と救出は、最優先で行われなければならない。行方不明者の多くの安否確認は、主として行政の任務なのであろう。しかし、行方不明者の捜索と救出は、現状では自衛隊・消防・警察である。捜索と救出が必要なエリアのどの程度の任務が済んだのかも一向に明らかにされていない。行方不明者の生存の可能性が少なくなった場合には、その任務の重点も変わってくる。
2 被災者の救援と生活支援は待ったなし
大地震と大津波で家屋が倒壊・流出し、元の住居で生活できず避難所で生活しなければならない人々がいまなお20数万人もいる。こうした被災者の生活を救援することは、国家的規模で実行されなければならない。大地震と大津波から14日経つというのに、未だ通常の交通手段では、救援できない避難所や被災地域がまだ相当ある。こうした所への救援は、自衛隊を中心とする実行部隊がその任に当たらなければならない。そして、避難所にはいないが自宅等で生活している人々も多い。こうした人々への救援は、避難所と同じように行わなれなければならない。通常のライフラインやネットワークをいち早く回復させ、被災者が自力で生活を維持することを支援することである。
3 福島第一原発事故という大災害について
福島第一原子力発電所で発生した事故(以下、原発事故という)は、それ自体が大災害ある。この原発事故は、14メートルを超える大津波によって惹き起こされたものではあるが、原発事故そのものが大地震と大津波に匹敵する大災害と見なさなければならない。半径30キロメートルに居住する人々が避難している現状を見れば、そのことは明らかである。
この“原発災害”の特徴は、いまなお大きな被害をいろいろな分野に与えている“現在進行中の大災害”であることである。原子力発電所は、人間が造った物である。今回の原発事故は自然災害によって惹き起こされたものだが、原発という人工物がなければその被害は発生しないのであるから、人災と言わざるを得ないのだろう。
自然災害であろうが人災であろうが、被害者から見たら災害は“災害”に過ぎない。違いは、人災の場合には被害に対する責任を負う者がいるという点くらいである。現在進行中の災害の場合、災害の原因者は災害による被害の発生を防止したり、被害を拡大させないために特段の義務があるということである。その義務を十分に果たさない場合は、不作為による被害に対しても責任を負う義務が生ずることも認識しなければならない。今回の原発事故の原因者が、東京電力と国であることは明らかである。
以上のような視点に立って現在の福島原発の事故対応を見ていると、国および東京電力が災害の原因者としてその義務を果たしているとはとうてい思われないのである。また被害を拡大させない義務を十分に果たしているとも思えないのである。私が拘(こだわ)っている思慮を欠いた計画停電に起因する被害に対しても、国も東京電力も責任を問われることがあるということだ。だから、私の主張することをもっと真摯に受け止めて貰いたいのだ。
4 災害対策基地の確保とヘッドクォータについて
大規模な災害には、大規模な災害対策の支援基地が不可欠である。支援基地を構築しないで大災害に立ち向かうことなどできる筈がない。支援基地を構築することは大災害に立ち向かう者の義務である。組織的な災害対策を遂行するためには、機敏にして有能なヘッドクォータが不可欠である。国家的規模の災害対策のヘッドクォータは、一次的には政府である。菅内閣もその自覚をもって災害対策に当っているのであろう。
しかし、以上述べたような「大災害に対するヘッドクォータとしての認識と責任と覚悟と能力」が菅内閣には決定的に欠けている、と言わざるを得ない。これは日本国民にとっては極めて不幸なことである。しかし、不幸を嘆いているという訳にはいかない。放置しておけば、国民と自らに被害と不幸が及び、さらには拡大するからである。災害対策について、国民は主張すべきことを主張し、政府や政治家はその主張に対して謙虚に応えないければならない。