今回の「小沢問題」
10年12月21日
No.1451
また「小沢問題」が、政局の中心になってきた。いよいよ衆議院解散・総選挙を目前にした約2年ちょっと前の小沢問題では、私は小沢氏を断固として擁護した。それは「検察を使って政敵を抹殺しようとする自公"合体"政権の卑劣な行為」であったからだ。しかし、民主党はその本質を理論立て、闘い切れなかった。そして、小沢氏は辞任せざるを得なかった。
今回の小沢問題は、これと同じなのだろうか。自公"合体"政権は、既になくなった。小沢氏は、政権の実力者である。民主党政権が抱えている問題である。民主党は、こういう問題をどのように解決するのか、その政権能力が問われているのだ。小沢氏は、この問題を解決しなければならない当事者の一人である筈だ。ところが、小沢氏はこの問題を政局の中心にしている。
裁判で審理される問題であるから、裁判でハッキリさせたいと言っているのだ。小沢氏は人権の問題だと言いたいのかもしれない。少なくとも、小沢信者たちはそういっている。基本的人権に関する問題だと言いたいのかもしれない。政権の実力者が「基本的人権を守って欲しい」とは、何とも奇怪な話である。小沢氏の基本的人権を抑圧している権力とは、いったい“如何なる権力”なのだ。政権を掌握したのだから、そのことは明らかにして欲しい。
小沢氏は、ときどき問題の本質を捻じ曲げる。昨年の予算編成の時、道路特定財源の存続を「多くの国民が要望している」といって、官邸にのり込んでこれを存続させただけでなく、もっとひどい制度を作った。私は唖然とした。民主党が国民の期待を裏切った、最初で最大の背信行為だ。民主党政権の凋落は、この時から始まったのだ。この時、小沢氏の背信行為に断固として闘う民主党議員は、ほとんどいなかった。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。