大衆の心を己の心に
10年02月27日
No.1420
“原則として毎日更新”から解放(?)されて、最初の永田町徒然草のupdateである。この間、ぶち切れていたためにupdateしなかったのではない。白川勝彦法律事務所の仕事で忙殺されていたのである。それには明確な理由があるのだ。あと1週間もすれば、そちらの方は目途が立つ。そうしたら、もっと永田町徒然草を書けるようになる。やはり“もの言わぬは腹ふくるるわざなれ”だ。
国会と内閣の動きが、まったく面白くない。民衆革命を受けた国会なのだから、もっと躍動感があってよい筈なのだが、そのような力強い動きは少しも感じられない。それは、昨年の総選挙で当選した民主党議員が、昨年起こった民衆革命の意義を正確に会得していないからなのであろう。政治家には、大衆の心を己の心とする力が必要である。そのような心をもって日々政治家の仕事に努めれば、躍動感あふれる政治家になれる。
いまの与党の政治家の中に、“大衆の心を己の心”とすることができる者は、残念ながら見当たらないような気がする。それは、民主党という政党が元来もっていた性格・本質に由来するのであろう。民主党という政党は、そもそも革命党でも大衆党でもなかった。私にいわせれば、“何でもよいから、とにかく国会議員になりたいという者たちの集合体”という政党なのである。
民主党の議員たちがよく口にする“政権交代可能な二大政党制を作りたい”などというスローガンは、そもそも低次元で政治的には無内容な主張なのである。そんな陳腐で無機質なスローガンを掲げた歴史的革命など、歴史の教科書には載っていない。革命の歴史は、もっとドラマチックなのである。平成21年に起こった民衆革命も、元来はドラマチックなものであった。民衆は革命的なものを望んで、民主党に投票した。あのドラマチックな開票日のことを、皆、ぜひ思い返してほしい。あれが国民の意思だったのだ。
国民の意思が変わったのではない。国会議員のバッチを付けて有頂天になり、本懐を遂げて満足しきっている民主党の国会議員たちに問題があるのだ。政治家指導の政治というが、ボンクラな政治家が行う政治は、下手をすれば最悪となる。その例は、歴史に掃いて捨てるほどある。「国会と内閣の動きがまったく面白くない」と書いたが、面白くないだけならまだよい。ボンクラな政治家が行う最低の政治に堕しつつあることを、この際あえて忠告しておこう。もっと謙虚になれ。もっと真剣に勉強し、命懸けで行動せよ。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。