大晦日に思う。
09年12月31日
No.1382
大晦日である。明日から新年が始まる。364日いろいろな事があった。それぞれの人に楽しいことがあり、つらいこともあった。嬉しい出会いもあったが、つらい別れもあった。こうして人は、またひとつ年を重ねていくのだ。新しいことを始めるためには、過去を総括しなければならない。これまでの人生をふり返ることも大切だが、今年一年だけでも確(しっか)りとふり返った方が良い。記憶もまだ確りと残っているだろうし、失敗ならその痛みも残っているはずだ。今日も私は仕事だが、合間を見て、今年一年をふり返る大晦日にしようと思っている。
この一年間、なんとか“原則として毎日”永田町徒然草を書き続けてきた。そして、毎日読んで下さる方々がいた。いまや、その数は相当のものである。毎朝、ホームページのアクセスカウンターが集中的に上がる。それに急(せ)かされるように、何とか書き綴ってきた。疲労や情報不足、或いは時間がないため、已むを得ない時は、“お休み”にした。私一人でやっていることだから、ご寛恕いただきたい。それにしても、毎日のアクセスに感謝したい。
2009年の最大の課題は、総選挙で政権交代を実現することである。わが国の政治で、国民が現政権を打倒し、これに代わる新しい政権を樹立できたとしたら、初めてのことだ。まさに“100年に1度あるかないか”の出来事である。
この国の政権を現に牛耳っている自公“合体”体制は、実にこの数年間、おぞましいことをやってのけてきた。彼らがそのツケを払わなければならないのは、自業自得である。同情の余地はない。憐憫の情も湧かない。
しかし、この期に及んでも私に確かな勝利の展望はない。自公“合体”体制が、すんなりと政権の座を国民に明け渡すとは思えない。最後の悪あがきをする筈である。魑魅魍魎が跋扈する。政界再編などという“まやかしの変革”を仕掛けてくる筈である。国民の一部がこれに惑わされる虞は、十分にあり得る。
これは永田町徒然草No.1038「2009年元旦」に書いたことである。念願の政権交代は達成できたが、私にはあまり高揚感がない。革命に裏切られたなどというつもりは、毛頭ない。革命を呆気(あっけ)なく成し遂げてしまったのは、国民自身だからである。革命を実行したと勘違いしている与党は、革命によって国民が手にした政権の使い方を知らない。わずかばかりの改革をやって自画自賛しているのは、与党議員だけである。
“脱官僚”を一枚看板にした民主党だが、官僚たちはこの程度で済んだかとほくそ笑んでいるであろう。“始め”が肝腎なのである。“始め”をみれば、これからの展開はおおよその見当がつく。官僚という人種は、選挙で受かってきた議員や首長の初心を骨抜きにし、官僚たちの道具として使うことなど朝飯前なのだ。これには、中央も地方も変わりがない。官僚たちの御(ぎょ)し方を多少経験した者から見たら、歯がゆくてしょうがない。
別にしゃしゃり出るつもりはないが、私も民衆革命に参加した一人なのだから、堂々と言いたい事は主張する権利があると思っている。それに耳を傾けないようなら、そんな政権は長く持つはずがない。そのために、国民がせっかく手に入れた政権を再び手放さなければならなくなったら、それは我慢できない。
激動の時代には“魑魅魍魎が跋扈する”ものだ。魑魅魍魎だから、平気で人を騙す。敵方にも“人誑(たら)し”が上手い者はいる。味方の中にも魑魅魍魎は平気でいるから、厄介だ。こういう魑魅魍魎を見抜くのにも、長い経験は役に立つ。出しゃばりたいとは思わないが、さりとて遠慮する必要もないと思っている。それは、私だけではない。民衆革命に参加した、国民一人ひとりの権利であるはずだ。今日はこのくらいにしておこう。
どうぞ良いお年を。