『永田町・権力の興亡』
09年11月04日
No.1334
11月1日から3日間にわたり放映されたNHKスペシャル『永田町・権力の興亡』を見た。それなりによく考えて作った番組ではあったが、現代史の検証番組としては少しお粗末だった。政治家の証言だけで歴史を語ることは危険である。政治家が己の行動について発言するとき、残念ながら自分の立場を離れられないからである。そもそも、政治家は己の立場からしか政治を見られないのである。そして、己の行動をどうしても美化しようとするのである。
この番組は結局のところ軽薄な小沢礼賛番組となってしまった。私はこの16年間の政治が小沢氏を中心に回ってきたと思っていない。日本の政治をそれほど動かす力を小沢氏が持っていたとするならば、今年の3月から5月にかけて何故(なにゆえ)に民主党は迷走したのか。西松建設事件で小沢氏はなぜ進退極まってしまったのか。また民主党代表としての小沢氏を検証する場合、どうしても福田康夫首相との“大連立構想”について検証しなければならなかった筈である。
自由党党首として自民党との連立を果たしたとき「自民党が自由党の主張を呑んでくれたのであるから、それならば政治が変わることだ」、と小沢氏は番組の中で発言していた。同じような趣旨のことを“大連立騒動”の時も言っていたように記憶している。小沢氏は政治の中身が変わることを問題にしているようである。私が問題にしているのは、政治の担い手であり、その過程である。
政治家は政治の理念が違うから、それぞれの政党を興し、その政党に所属しているのである。政治の理念が違うということは、大袈裟に言えば“不倶戴天”、共に天を戴かずという関係でさえある。不倶戴天の敵と組むことも、政治の世界ではときにある。しかし、それは外敵の侵略など非常時においてであった。平時において不倶戴天の敵と組むことは普通あり得ない。自社さ連立政権の成立と運営がもっとも苦労したのは、この点であった。自社さ連立政権を作った以上、自民党は劇的に変わらなければならないと私は肝に銘じていた。
そして自社さ時代の自民党は己を変えることに全力を尽くそうとした。そうしなければ自民党との連立を決断した社会党に義理が立たないと思ったからである。自民党が“リベラル”な自由民主党になることによって、自社さ連立は完結すると私は考えた。党幹部を含めて自民党は“リベラルな自民党”たるべく努力した。しかし、自社さ政権が誕生したため細川政権側に移っていた自民党議員の復党があり、また平成8年総選挙後新進党が解党したために自民党の議席が衆議院の過半数を超えたことにより、自民党のリベラル化の機運は急速に衰えていった。
平成8年の総選挙後も自社さ連立は閣外協力ということで続いたが、小渕内閣の時、自民党は公明党との連立に方向転換した。公明党との連立など、自社さ連立・自由主義の立場からはおよそ考えられないことであった。私が危惧したとおり自民党はまったく逆の方向に変質していった。自民党は次第に創価学会党化し、自由主義政党の本旨から大きく外れていった。この点については、『フォーラム21』に掲載された私の小論 「創価学会党化した自民党」を参照されたい。
権力の興亡を現象面から追うとそれなりに面白いが、その底流には国民の政治意識・価値観があることを忘れてはならない。それを抜きに永田町の政治も動けないのだ。世論調査を超えて国民の政治意識・価値観の変化を深く捉えなければ、永田町の政治も進められない。もうひとつ大切なことは、政治家がどのような理念や理想を国民に訴えるかである。国民は政治家が理念や理想をもつことを期待しているのである。それは、政治家の役割でもあるのだ。国民に政治意識や価値観を明示するとき、国民はそれを支持するのである。政治は、人間が行うものなのである。
それでは、また。