何のための手荷物検査…!?
09年10月05日
No.1308
率直にいって、このところ永田町徒然草を書くのが重い。自公“合体”政権はいろいろと悪事を働いていたので書くことは何ともなかった。ところが鳩山内閣はいろいろと話題は提供してくれるが、いまのところ毒にも薬にもならない事ばかりであろう。まぁ、性急に変革の実を出すことが難しいことは理解できる。それにしても鳩山内閣が誕生していったい何が具体的に変わったのだろうか。少なくともひとつやふたつくらいは変わったことがあっても良さそうなのだが、私にはそういう感じがしない。私が性急すぎるのだろうか(笑)。
“脱官僚”は結構だが、日々の行政を行っているのは“官僚”たちである。日々の行政は待ったなしである。その行政のやり方に見直すことはないのか。私が日々直接に接するのは裁判である。司法行政である。少なくとも裁判や司法行政のやり方は、政権交代があっても何も変わっていない。司法行政や裁判は果たして改革する必要はなかったのか。私に言わせれば、改革しなければならないことだらけだと思っている。しかし、何も変わっていないのである。
具体例を挙げよう。東京地方裁判所と東京高等裁判所の庁舎では、弁護士や検察官や裁判所職員など以外の人は、手荷物検査を受けなければならない。手荷物検査を受けなければ庁舎内に入れない。いったい何のための手荷物検査なのか。最も人権が重視されなければならない裁判所において、こういうことが平気で罷り通っているのだ。かつて“荒れる法廷”が問題になったときも、手荷物検査などなかった。もし荒れる法廷対策なのだとしたならば、問題が起きそうな法廷の入り口で行えば良いではないか。
議員会館の正面玄関でも手荷物検査を行っている。通行証(記章)を持っていない人は、正面玄関の入り口以外からは入れない。ほとんどの人は議員に会うために議員会館に行くのである。ところが手荷物検査を受けなければ議員の部屋にも行けないのである。これは官僚たちが決めたのではない。衆議院と参議院の議院運営委員会(すなわち政治家たる議員たち)が決めたのである。
裁判官や国会議員はそんなに偉いのか。手荷物検査を受けた安全な人でなければ会えないとでも言いたいのか。こういう感覚が私にはどうしても理解できないのだ。政治を行う者は、命懸けでなければならない。危害を加える虞のないない安全な人としか会わない。そういう感覚が驕りでなくていったい何だというのか。自公“合体”政権は“テロ対策”と称して管理社会にしてしまった。民衆の代表として当選した新人議員たちがこういう点を改めなくて、いったい誰が改めるというのか。“脱官僚”政治の打破の前に、官僚たちが日々行っていることを民衆の目で見直すことが大切である。
それでは、また。