自民党総裁選
09年09月29日
No.1302
昨日は朝から忙しく、自民党総裁選の様子を見ることもできなかった。投票場の様子は多分NHKテレビで中継されたものと思うが、とても観られなかった。その後のニュースも見られなかった。どうせ結果は分かっている。しかし、票の出方を見たかったのである。NHKの“ニュースウオッチ9”で見ようと思って大急ぎで自宅に帰った。ところが自民党総裁選の結果が報じられたのは、3番目であった。NHKの変わり身の早さには、驚かされる(笑)。
候補者名 | 議員票 | 地方票 | 総数 |
---|---|---|---|
谷垣禎一 | 120 | 180 | 300 |
河野太郎 | 35 | 109 | 144 |
西村康稔 | 43 | 11 | 44 |
数字は正直であり冷酷である。上の投票数は、今回の自民党総裁選の実態を如実に表している。今回の総裁選は、派閥のボスたちが何とかその力を保持すべく性懲りもなく蠢(うごめ)いた。如実にそのことを表しているのが、西村氏の43票という議員票である。世代交代・脱派閥という若者連合(党改革派)を阻止するために押し立てた西村氏に票をある程度回したのである。だが、そんなことは大っぴらには言えない。だから地方票は11票しか出なかったのである。
世代交代・脱派閥を若い世代が本気で行う気なら、世代交代派から統一候補を擁立すべきであった。その場合の候補者は、たぶん河野氏でも西村氏でもなかったのであろう。残念ながらご両人は自民党総裁としてはまだまだ勉強不足である。経験不足である。もっと衆知を集めて統一候補を模索すれば、“然るべき人”がいた筈である。そうすれば地方票の半数以上が若き統一候補に集まったであろう。そうすると議員票が動かざるを得ないのである。
今回の総裁選で、派閥のボスたちは世代交代を恐れたのである。長い間、自民党は長期低迷の道を歩んでいたのである。その最初の表れは、平成9年(当時の総裁は橋本龍太郎氏)の参議院選挙の大敗であった。次に最も深刻な危機に直面していることが明らかになったのは、平成17年(当時の総裁は安倍晋三氏)の参議院選挙の歴史的大敗だった。その時でも派閥のボスたちは世代交代を恐れて福田康夫氏を総裁に選出した。先の総選挙で壊滅的惨敗を招いた直接の原因は、ここにあると私は思っている。谷垣氏は小派閥ながら派閥の領袖(!?)として、この謀議に参画したのである。
谷垣氏とは大学の同学年である。谷垣氏の初出馬の時(昭和58年8月父君の谷垣専一衆議院議員の死去に伴って行われた補欠選挙)、私は20日間京都に泊まり込んで応援した。同じ宏池会に属し、加藤紘一氏を総理大臣にすべく活動してきた旧友である。自民党改革のために共に活動した時期もあった。今は昔である。
私は谷垣氏に恩もなければ恨みもない。だが、危機に瀕した今日の自民党を立て直すことは、谷垣氏の得意な分野ではないのではないか。谷垣氏をよく知っている者として、率直に私はそう思っている。ご苦労なことである。
それでは、また。