小沢事件の教訓は…?
09年09月11日
No.1286
小沢幹事長の就任を巡って、二重権力構造という批判・非難がある。かつて自民党は、“総裁は内閣、党務は幹事長”というのが通例だった。それに対して二重権力などという批判・非難は無かった。昔は総裁派閥から幹事長が選ばれることが多かった。しかし、“総幹分離”ということが云われ出し、近年では総裁派閥から幹事長が選ばれないことが通例となってきた。むしろ権力の一極集中を嫌う傾向が強くなってきたのだ。
小沢一郎という政治家は、あまりにも過大に評価され過ぎているのではないか。もっと冷静に評価した方が良いと私は思っている。この世の中に万能などという人はいないものである。今回の総選挙における民主党の勝利は、すべて小沢氏の力と評価する意見が圧倒的に多い。もし小沢氏が民主党代表を辞任しないで総選挙に臨んだ場合、民主党は今回のように圧勝できたであろうか。西松事件で小沢代表は進退窮まったのだ。端的にいえば辞任せざるを得なかったのである。
辞任した小沢氏の後を襲ったのは鳩山代表だった。鳩山氏を代表にした場合、小沢事件のイメージダウンを拭(ぬぐ)えないということで鳩山氏を代表に選ぶことに異論が強くあった。また鳩山代表が、辞任した小沢氏を代表代行に選んだことに対しても轟々たる非難があった。しかし、小沢氏を代表代行に選任したのは鳩山氏の度量であった。
就任直後、鳩山代表にも政治献金事件の疑惑がかけられたが、鳩山氏はこれをひとりで乗り切った。私は事実関係を承知し得なかったので、小沢事件の時のように弁護することもできなかった(笑)。しばらくすると大した問題ではなくなった。鳩山氏は政治献金疑惑を乗り越え、選挙選の先頭に立って戦った。そして勝利したのである。近代選挙とくに小選挙区制では、党首力がモノをいう。“鳩山氏の党首力はゼロ”とでも前出の論者たちはいいたいのだろうか。
小沢事件のときも小沢氏を擁護する党内の意見は弱かった。鳩山氏が疑惑を懸けられたとき、党内でこれを弁護する声は少なかった。小沢事件の際、私が口を酸っぱくして説いたことは、検察や警察の邪(よこしま)な権力行使に民主党がどう対峙するかということであった。“官僚政治打破” ・ “脱官僚”という声を聞かない日はないが、“検察や警察の邪な権力行使”から国民を守るという声は一向に聞かない。民主党議員は、おカネのこと以外に関心がないのか。おカネよりも大切なことは自由であり、人権であろう。小沢事件の教訓を思い出して欲しい。
国民の護民官たれ
検察や警察の横暴に泣いてきた者は多い。検察や警察の不当な権力行使に民主党が護民官として関心をもち、それを是正するために尽力してきた実績がないから、国民は民主党をあまり信用できないのである。しかし、国民を検察や警察の不当な権力行使から守るということは重要である。野党第一党である民主党はこういう問題に関心をもち、政権を獲得したら必ず改める決意をもたなければならない。小沢問題が起きたからといって、急に“不公正な権力行使”・“国策捜査”と叫んでも誰も信用しない。“検察や警察を使って国民を追い落す”ことを民主党は許さないという決意と信念に基づいて行動したとき、流れは変わる。
以上は2009年03月08日付の永田町徒然草No.1104「日頃の言動がモノをいう」からの引用である。民主党は政権を獲得したのである。だからといって、あまり格好良いことやハイカラなことなど言わなくてもよい。官僚を使いこなすことは、「言うは易く、行うは難し」である。まずは官僚たちがやろうとしていることを聴き、理解することである。その上でなければ官僚は動かせない。
しかし、官僚たちが行っている悪行(あくぎょう)を改めさせることなど簡単である。そのことにより多くの国民が救われるのだ。興一利不若除一害(一利を興すは一害を除くに若(し)かず)なのだ。
それでは、また。