三日見ぬ間の桜かな
09年09月01日
No.1276
世の中は 三日見ぬ間の 桜かな
こんな俳句が確かあったと思って検索してみたら、江戸時代の俳人・大島蓼太 [1718(享保3年)〜1787(天明7年)] の句だとあった。「俗気紛々たる句多し」と正岡子規が評したそうだが、中興俳壇に果たした役割は与謝蕪村以上に大きいとも言われるらしい。俳句も川柳も、この世の真実を穿(うが)ったものが、実に多い。
実(じつ)があるなら今月今宵、一夜明ければ皆が来る。
これは高杉晋作が作った都々逸(どどいつ)と言われている。戦いをしている者はいつもそんな気で闘っている。蓋(ふた)を開けてみれば民主党の圧勝だったが、それぞれの現場で戦っていた者は日々そんな気持ちで闘っていたのだろう。
昨日のテレビを観ていて、その感を強くした。いつも言っているように、自公"合体"政権は、過去のどの政権よりもマスコミを強く掌握していた。かつて自民党政権の中枢にいた私ですら、“ここまでやるか”と仰天するほど露骨であった。自公“合体”体制において、マスコミは体制構成要素のひとつでさえあった。衆議院の構成は選挙によって変わったが、この体制はまだ変わっていない。まもなく誕生するであろう民主党政権を陰に陽に牽制・攻撃している。このことを忘れてはならない。
政権交代はひとつの革命である。劇的変化なのである。変わるのは衆議院の中だけではない。行政も劇的に変化する。官僚政治の打破を民主党は旗印にしてきたのだから、行政は劇的に変わらざるを得ないのである。自民党や公明党と同じくらい官僚組織や官僚のやり方には問題が多かったのである。無謬(むびゅう)こそ、わが国の官僚の誇りであった。しかし、最近の官僚は間違いなど“平気の平左”である。過ちだらけの大臣たちの体質が伝染したのだろうか…(笑)。
時代は変わる。世の中も変わる。その中で人もいろいろと変わる。変わっていい。変節などというつもりは毛頭ないが、誰がどう変わったかということはキチンとみておいた方が良い。その人の本性がみえるからである。戦いはまだ当分続けなければならないからである。
それにしても麻生首相のいうことはいつもピント外れである。昨日辞任の意思を表明したが、「私たちは政権を必ず奪還する」と宣(のた)まっていた。ご立派、ご立派。政権は奪還するものなのか。政権は委ねてもらうものだろうに…。
それでは、また。