最大の一害は…?
09年08月15日
No.1258
あの1945年(昭和20年)8月15日から64年が経った。終戦の詔勅を国民に向かって発した昭和天皇が崩御されて20年になる。政府主催の全国戦没者追悼式が東京の武道館で今年も行われる。この全国戦没者追悼式で昭和天皇が最後のお言葉を述べられたのは、昭和63年だった。昭和天皇のご病気は重く臨席が危ぶまれたが覚悟を決めて臨席された。私が昭和天皇を間近に拝謁したのはこれが最後だった。翌年は平成になっていた。
現在のわが国は、1945年8月15日から始まった。それまで大原則とされていたことが、音を立てて崩れていった。崩れたモノに代わって、新しいモノが占領軍の命令で矢継ぎ早に作られていった。新しい国の形が生まれてきた。戸惑う人々も相当いた筈であるが、国民の多くは新しいモノを受け入れていった。私が物心付いた昭和20年代後半には、新しいモノがだいぶ形作られていた。しかし、いろいろなところでまだ古いモノと新しいモノがぶつかり合っていた。
古いモノが直ちに消えていくものではない。意外に頑固に古いモノが抵抗することもある。錦の御旗を得たからといって、新しいモノがヘゲモニーを確立するものではない。保守というのは新しいモノに心酔する風潮に対峙する生き方である。新しいモノですべてが治まるものではない。不都合や不具合や行き過ぎもあるものである。人間が理想として考えるモノなど意外にそんなものだ。これまで存在してきたモノは、それなりに自立・自足していたのである。ヘーゲルの“現実的なものは合理的である”という思想の根幹はここにある。保守思想の基本である。
マニフェストの最大の争点は、新しいことを主張することではないと私は思っている。新しいことには、常にそれなりの問題があるのだ。新しいことを始める場合、いくつかの選択肢があるからだ。必ず意見が分かれ、すべての人々の希望に叶うモノなどありえないのだ。価値観が多様化すればするほど、新しいことで多くの人々の心を掴むことは困難になる。マニフェストの基本は、“現在行われていることの何を止めるか”に徹した方がよいと思っている。興一利不若除一害に尽きるのだと思う。
すなわち「一利を興すは、一害を除くに若かず。何事においても、一つの利益あることを始めるよりは、一害を除くほうに用いるべきだ」ということである。今日のいろいろな問題は、自公“合体”政権がいろいろと新しいことを始めたことに起因しているものが多い。だから自公“合体”政権をその座から放擲するしかないのである。今回の総選挙の争点は、きわめて単純かつ明白なのだ。マニフェストなどとハイカラなことを言うから話は難しくなり、議論が混乱するのである。
それでは、また。