発行人の信用が問題なのだ。
09年07月29日
No.1241
一昨日(7月27日)民主党が発表したマニフェストが、大きな話題となっている。これに対して麻生首相をはじめ閣僚が一斉に批判をしている。その言い方が非常に口汚い。民主党のマニフェストに対する反論は、自民党の政策担当者が行うのが筋なのだろう。現在の麻生内閣は、総選挙後の特別国会で新しい内閣が選出されるまでの残存事務を行うために存在しているに過ぎないのだ。この内閣がそのまま存立する可能性は、いまやほとんどない。だから出過ぎたことはすべきでないのだ。
正統性に疑問のある内閣が存立している状態を“政治空白”というのだろう。政治空白を作る訳にはいかないといって、解散総選挙を伸ばしてきたのは麻生首相であり、自公“合体”政権であった。解散から40日後に選挙の投票日を設定すること自体が間違っているのだ。このことにより少なくとも10日間の政治空白が生じてしまった。この空白は、非常に大きい。こんなことが分からない麻生首相や自民党・公明党に、“国家や国益だ”などという見識や資格はそもそもないのだ。
マニフェストの個々の課題について議論するする前に、こうしたことをまず論評しなければならないのである。多くの学者や評論家やコメンテーターがマスコミに登場し、発言をしてる。しかし、誰もこのようなことを指摘しない。その理由は単純である。今回の総選挙は、誰に政権を委ねるかの選択なのだという本質が分かっていないからである。自公“合体”体制に政権を委ねることの是非なのだ。マニフェストなど見なくても多くの国民は、自公“合体”体制に引き続き政権を委ねられないと思っている。それが正論なのである。マニフェスト云々という人は、そのような立場に立っていないのだ。
マニフェストは手形や小切手のようなものである。手形や小切手で取引する場合、商売人は発行人の信用を問題にするのだ。信用のない人が発行する手形など誰も受け取らない。今週中に麻生首相が自民党のマニフェストを発表するという。そこに何を書き込んでも、誰も信用しないであろう。そこに目新しいことを書き込んだからといって、麻生内閣不支持の人が支持に変わることはまずないであろう。麻生首相の顔をみなければならないこと自体が嫌なのだ、という国民が多い。こうなることが分かっていなかったのか。だから私は“已んぬる哉”というのである。
それでは、また。