織り込み済み…!?
09年07月17日
No.1229
自民党両院議員総会の開催問題がどのように展開していくかを、私はいま最も注視している。マスコミは自公“合体”政権の執行部の意向に沿った報道に終始している。野党などもどうでもいい問題と高を括っているが、果たしてそうだろうか。大きな戦いも、個々の局面における闘いの帰趨によって勝敗が決まるのだ。両院議員総会の問題は自民党内の動きと思っている人々が多いが、そんなことはない。これからの日本の政治を考える上で、注視しなければならない問題なのである。来るべき総選挙の勝敗にも大きく関係する問題なのだ。
自民党などが「今日の苦境から脱する唯一の道は、“決死の行動”のみである」と私は指摘しておいた(永田町徒然草No.1227「残された唯一の道」参照)。
“決死の行動”とは、あまり理論的な概念でない。否、極めて情緒的な表現である。しかし、自由主義政治の世界における戦いは、そもそも一人ひとりの人間が行う闘いなのである。一人ひとりの人間が行う闘いは、その人の総合力を駆使して行う闘いなのである。人間などというものは、理の部分が半分、理でない部分が半分と考えた方が良い。だから情緒的な側面は否定できないのだ。
自民党などという政党は、それほど実体のない存在である。同じく民主党という政党も実体が掴めない存在である。だから自民党VS民主党という構図を期待してもあまり意味がないのだ。ところが都議選では、自民党VS民主党という構図になった。それは民主党が強かったというより、麻生首相という存在がそのような構図を作ってしまったのだ。麻生首相をトップにしていたのでは、300の小選挙区が自民党VS民主党という構図になってしまうことを自民党の候補者は恐れているのだ。
だから自民党の候補者にとって、麻生首相という存在を取り除くことは必死なのである。必死な思いから“決死の行動”が生まれる。決死の行動から何が生まれるかは、そんなに簡単に予測できない。株の世界では、よく“織り込み済み”という表現が使われる。私は株をやらないから、どういう意味か正確には分からない。政治の世界で安易に“織り込み済み”などと言っていたら、その人や勢力は敗北する。“四番煎じ”の危険性とバカらしさを前から指摘していたのは私と自負しているが、実際に“四番煎じ”が起こったら事態は必ず大きく変わる。今日はそのことだけを指摘しておこう。
それでは、また。