来るべき総選挙は…(その2)
09年06月02日
No.1183
創価学会党化した自民党に理念はない
<永田町徒然草No.1182からつづく>自公“合体”政権には、果たして理念やmanifestoと呼べるものなどあるのだろうか。
自民党は、その実態はともかく自由主義を標榜するわが国の唯一の政党だった。だが、自由主義とは無縁かつこれと敵対する創価学会を母体とする公明党と連立を組み、これと“合体”したことにより、唯一の存在価値であった自由という理念を放棄してしまった。
公明党と連立すれば、自民党がこうなることは目に見えていた。だから、私は自民党を離党したのである。自社さ連立は、さまざまな評価をされた。だが、これにより政権党になった自民党から逃げていく者はなくなり、逃げていった者が数多く帰ってきた。そのような自民党に“絶縁状”を叩き突けたのは、私が名誉ある第一号であった。
政党とは理念を中核として生成・発展するものである。理念を失ったとき、その政党は必ず死滅する。およそこの世には物の道理に背いて存在できるものなどないのである。
自民党の傍に立った公明党は、自民党から自由の欠片さえをも奪った。自民党は創価学会党化した。宗教団体としての創価学会が今後どのような運命を辿るかは、私の専門外である。しかし、創価学会党化した自民党と創価学会党の本家本元である公明党で作る自公“合体”政権が、国民の支持を失い衰退していくことだけは確かである。
小沢事件が意味するもの
いかに醜悪な存在でも、およそ生命あるものは死滅を免れるために必死に抵抗する。政党の生命の源は、理念である。理念に磨きをかけ、これを盛んにすることが生き延びる途である。自公“合体”政権にはこの理念がないのである。
自然界の存在は、自然の摂理に反するものは死滅するしかない。が、人間界の存在は、敵対者を倒すことによって一時的に生き長らえることができる。
平成12年(森内閣)の総選挙から専門的にみれば自民党と公明党はすでに“合体”していた。その時から実は国民の支持を失い、大幅に議席を減らしたのである。
総選挙後どうにもならなくなった自公“合体”政権は、小泉首相というマガイモノを担ぎ出した。自民党をぶっ潰すと言う総裁を選び出すこと自体が、論理矛盾なのである。しかし、マガイモノに騙された国民は、平成13年の参議院選挙で大勝させてしまった。平成17年の郵政解散でも詐術的戦術に引っ掛かり、国民は3分の2を越える化け物のような議席を与えてしまった。
人の良い国民も騙されたことにようやく気が付いた。平成19年(安倍内閣)の参議院選挙で、自公“合体”政権は歴史的な敗北を喫した。
安倍首相→福田首相→麻生首相と、手を変え品を変えても駄目になったとき、小沢事件が起きた。
それぞれの最終決戦
「小沢事件の政治的本質は、自公“合体”政権が検察を使って政敵を抹殺する卑劣な行為である」
と秘書逮捕直後から私は一貫して主張してきた。
詐術→謀略。マガイモノや詐術が通用しなくなったとき、権力が使う常套手段である。この企みは成功するかに見えたが、鳩山民主党“新”代表の選出により、民主党と国民は辛うじて難を逃れた。小沢事件が起きる以前よりの情勢は良い。何事も、“過ぎたるは及ばざるが如し”だ。
小沢事件では、マスコミは共同正犯としての役割を果たした。そのマスコミは岡田克也氏を代表に選出させようとした。しかし、私は鳩山由紀夫氏を民主党代表に選出すれば民主党は選挙に勝てると考え、応援した。私の直感は間違っていなかったようである。
このままいけば、自公“合体”政権を倒すことはできる。私には10年がかりの闘争である。これは私の私憤ではない。憲法20条に反する政権は、わが国にあってはならない。憲法を疎(おろそ)かにすれば、この国がおかしくなるのは必定なのである。
弁護士として私は債務整理を主たる業務としている。依頼者から聴く経済状態・生活環境は劣悪である。警察や検察や司法の専横は、目に余るものがある。慇懃無礼な行政官に泣かされている国民は沢山いる。
それぞれがそれぞれの思いを込めての“最終決戦”なのだ。
この決戦は必ず勝たなければならない。
<おわり>