裁判員制度がスタート…。
09年05月21日
No.1171
今日の政治的で国民にとって最も重要なニュースは、裁判員制度のスタートであろう。これをどう報道するのかを確認するためにテレビを観ていたが、NHKの午前7時からのニュースでは冒頭から18分間、豚インフルエンザについてであった。鳩山民主党代表が選出した直後もそうであった。私はあの北朝鮮の飛翔体事件のバカ騒ぎのことを思い出した。どうも可笑しい。自公“合体”政権とマスコミは、国民の“愚民化”を進めているのではないか。そんな気がしてならない。
裁判員制度に関する報道は午前18分~24分までの6分間だけであった。NHKの世論調査によれば、裁判員制度は必要ないと考える人が60%、裁判員に選ばれた場合に参加したくないと答えた人は72%だという。裁判所はこうした実情を考えて、裁判員に選任された人の辞退をできるだけ認めるようにするために制度の柔軟な運用を心掛けるという。そうすると裁判員になりたいと考える人が、実際の裁判員になる割合が多くなるのではないか。これだけでも裁判員制度に致命的欠陥があることになる。
麻生首相は、裁判員制度を「わが国の司法の歴史に新たな一ページを加えるもの」と位置づけた上で、「広く国民に刑事裁判に参加していただくことにより、その視点や感覚が裁判に反映され、裁判が迅速で分かりやすいものとなる」、「制度の導入は『国民に身近で、速くて、頼りがいのある司法』の実現につながる」などとの談話を発表した。たぶん最高裁か法務省の役人が書いたものであろう。能天気な談話である。
「国民に身近で、速くて、頼りがいのある司法」の実現とは、どういうことであろうか。言葉としては分かる。裁判員制度で裁判員が参加して裁判事件は、殺人や放火などの法定刑が重い事件である。こんな事件は、果たして一般の国民にとって“身近な事件”なのであろうか。このような重大な事件には、いろいろな背景があるのが普通である。理由なき殺人も近年多くなっているが、そのような事件では被告人の属性を判断するかという難しい案件となる。こんな事件を“速く”処罰することなど、実際問題として難しい。このような重大事件を裁判員が参加して裁判すると、どうして“頼りがいのある司法”の実現になるというのか。
裁判員制度については、これからいろいろな報道がなされるであろう。私も別の機会に折にふれて論じなければならないであろう。だから、ここでは詳しく論じない。結論だけいえば、今日スタートする裁判員制度は「興一利不若除一害」の典型的な事例であるということだ。そのことだけは確信をもって言えるであろう。この際、読者諸氏も裁判員制度に関心をもって欲しい。
それでは、また。