人間に対する熱い“愛着”
07年04月08日
No.389
私はいま新潟県十日町市にいる。県議選の投票のために、選挙権がある十日町市に来たのである。この永田町徒然草は、昨日東京を発つときにセットしてきた。時間をセットしておくと決められた時間にupdateされる。ノート型パソコンがあればいいのだが、愛用したノート型パソコンは2年前に結露のためダメにしてしまった。それからインターネットからしばらく離れていたし、発信する気力もなかったので、ノート型パソコンがなくても困らなかった。
毎日何らかのメッセージを発信することを日課とした以上、ノート型パソコンは必要のようである。今度新しく買おうと思っている。Webマスターは、Macにしなさいという。どうしてか私には分らないが、Webマスターのいうことは私にとって重い。きっとMacになると思う。私にとって不安なのは、新しいことに挑戦することである。何事につけても果敢に挑戦することは私の長所だと思っているが、コンピュータに限っていえば新しいことは恐怖である。どうしてよいのか、まったく分らないからである。いままで困ったときにヘルプをみたことはあるが、ヘルプで問題が解決したことは一度もない。これは本当のことである。ヘルプのヘルプが必要のようである。
最近新しいことに挑戦したのは、写真の掲載である。4月6日の即写寸言をみてほしい。かなり短時間で5葉の写真をupdateしている。だいぶできるようになったが、それでもこの過程でトラブルがあったのだ。トラブルというより、上手くいくのもダメなのも、なぜかということが本当のところ分らないのである。上手くいっても“ たまたま”に過ぎないのである。原理原則が分らないとこういうことになるのである。手取り足取りという言葉があるが、こういうときWebマスターが神戸でなければなぁーと思う。それ以外は、東京と神戸の距離の不便を感ずることはない。
私は安倍内閣をみていると、私のパソコンのそれと同じなのではないかと思うのである。政治の原理原則、政権を運営することの基本が分っていないのではないかと感ずるのである。政権の運営は、高校の生徒会とは違うのである。彼らは、政権の重みや自民党の先輩たちが人知れず努力してきたことを学んでいないのである。若いということをいっているのではない。政治に対する姿勢の問題なのである。安倍首相も塩崎官房長官もいま話題の渡辺行革担当大臣も、典型的な二世代議士である。彼らは父君が政治家でなければ、決して政治家になっていなかったであろうし、また政治家になれなかったであろう。私のパソコンの操作のように何となくはできるのであるが、原理原則が分っていないのである。だから新しい問題にぶち当たったとき、どうすればいいのか分らないようである。
政治家にとっていちばん大切なことは、まず使命感である。いかなる国家や社会を理想とするは、政治家の全人生のすべてを懸けた信念なのである。彼らには普通の人間としての“人生”がないのである。彼らは普通の人間が実社会の中で経験する喜怒哀楽に満ちた生きるという経験がないまま政治家になったのである。だから彼らのいうことは、人間としての重みがないのである。政治家のパフォーマンスだけは、門前の小僧何とやらで知ってはいるが……。実社会の生活経験に基づく強い信念がなければ、官僚がいうまやかしを見抜くことができず、正しく問題の解決をすることができない。官僚の勝手な理屈を論破し、押し戻すことはできない。人間に対する熱い“愛着”がないと良い政治家にはなれないということである。これは、中央の政治家に限ったことではないであろう。地方政治家にもいえることだと思う。
それでは、また明日。