両切りピースを煙管で吸う風流
「減量したかったら、まず体重計にのることだ。そしてその体重を必ず記録しなけばならない」と強く勧めておきながらその実情は以上のようなものである。食事・運動・減塩・生活スタイルをコペルニクス的に変え、その結果3ヶ月で13キロも体重は減り、血圧も正常となったが、どれも最初から完全に変えられた訳ではないということだ。体重計にのりこれを記録することをキチンと実行したのは、健康生活を始めて1ヶ月半も過ぎてからだった。他もおって知るべしだ。ただ大切なことは、自分にとって一番できそうなことからまず始めることをお勧めする。自分にとって楽しいこと・あまりつらくないことは続けられるからである。それを実行していると不得意や苦手なこともダンダンできるようになるのだ。
現に健康生活の実践といっても、いまもって私はたばこを吸っている。専門家にいわせれば他のどれよりも優先させなければならないのが禁煙であろう。私だってそう思う。しかし、禁煙をどうしてもしなければならないというと今の私には健康生活を実行できないことになるのだ。だから私は最初から禁煙を目標から外したのだ。禁煙をしていないのであるから、私の健康生活など「半健康生活」に過ぎないと非難する専門家が多いであろう。そういわれてもいいのだ。それでも私がいう「健康生活」の実践を何もしないよりははるかにマシであることは否定できまい。1歩でも半歩でも前進は前進なのだ。それでいいではないか。
以下は喫煙をしない人は読み飛ばしてもらってもいい。たばこに関して述べる。私はこの20年近く「マイルドセブン」を吸っていた。1日最低でも2箱、だいたい3箱は吸っていた。国会議員だった頃は、あっちこっちに行った。人と会っている時必ずたばこを吸う。そしてこれをしゅっちゅう忘れてくる。私の秘書はいつもたばこをもっていなければならなかった。少なくとも1日に5箱は封を切った。麻雀や原稿書きをしている時は、置き忘れはしないが今度は喫煙量が増える。1日に5箱6箱だ。これが私の喫煙であった。ところが現在では両切りの「ピース」を吸っている。1日に2箱、20本まで吸わない。そして一本を半分に切って煙管(きせる)で吸っている。東京では路上禁煙の所が増え、盛り場などではスモーキング・エリアで吸わなければならない。煙管をおもむろに取り出してたばこを楽しんでいる私を若い人たちは不思議そうに見る。確かにこういうたばこ吸(すい)は滅多にいない。
なぜこんな風変わりなことを始めたかとこういうことである。たばこをウエスト・ポッシェットに入れて歩くことにしたことは前に述べた。運動をしていると1時間くらいたばこを吸わないのは何ともなくなるのだが、それでも1時間以上吸わないと吸いたくなる。適当な所を見つけてたばこを吸うのであるが、1本丸々吸ってもどうも満足感がない。ちょっと足りないのだ。運動をしていない時はこんなことはなかった。もっともその場合は、1時間もしないですぐ吸うのだが……。運動をしている場合は、次に吸うのは1時間後なのである。ここで私は考えた ─「マイルドセブンというたばこは、私にとっとは弱すぎるたばこである。もっと強いたばこにすれば、こういうことはないだろう」と。
たばこに関しては、私も学識経験者のひとりで…いや、学識はないが、堂々たる「経験者」だ。文句はいわせない。たばこの学識経験者としていわせてもらうと、タールやニコチンが何mgだとかいうものはあまり意味ということだ。たばこに害があるのは、ニコチンでもなければタールでもない。正確にいえば、ニコチンやタールの害よりももっと悪いのは、熱い空気と一酸化炭素を吸うことにあるというのが私の「学説=新説・珍説」である。たばこの煙というのはけっこう高温なのだ。熱い空気を喉に吸い込むのが第一に体に良くないのだ。またたばこは煙っている。要するに完全燃焼していないのである。だからたばこの煙には一酸化炭素がいっぱい含まれている。いっぱい含まれているなんてもんじゃない、一酸化炭素ガスそのものを吸っているようなものだ。一酸化炭素は赤血球のヘモグロビンと仲がいい。これが一酸化炭素中毒の原因だ。たばこを吸う人は軽い一酸化炭素中毒の血液状態を自らつくっているのだ。
これは学識からではなく、経験的に知ったことだ。前にも触れたが、私は水泳は好きだったし、得意だった。しかし、たばこを吸うようになってからは息が苦しくなって、あまり泳ぎたくなくなった。30歳の時から、選挙に出た。いつも大声で演説しなければならない。選挙期間など1日中演説しっぱなしだ。どうしても喉を痛める。それでもたばこはやめらっれない。私は選挙期間になると缶入りピースを吸っていた。本数が少なくて済むからである。学識ではなく経験からいうことだから、専門的には間違っているかもしれない。私のこの説は、あまり信用しない方がいいかも知れない :P。人に私の説を押し付けるつもりはないが、私が私の理論を信ずるのは自由であろう。長年付き合ってきたマイルドセブンではあるが未練を残さず捨て、両切りのピースを吸うことにした。
両切りのピースが置いてある店や自動販売機は限られているが、買い求めることはそれほど困難ではなかった。ピースを買い求め、実際に吸ってみると今度は強すぎて弱ってしまった。またフィルターが付いてないのでちょっと吸いにくい。これは煙管で吸うのが良いと、すぐ思った。しかし、煙管を買い求めるのは意外に大変だった。こういうものはデパートにいくのが一番だと思い、三軒回ったが売っていなかった。最後にいったデパートの店員がシブチカ(渋谷のハチ公溜り場の地下商店街)の喫煙具店に行けばあると教えてくれた。さっそく行ってみると、いかにもたばこ屋のおばちゃんという風情のご婦人が、
「煙管、ありますよ。刻みたばこだって売っていますよ」
と待ち構えていた。
「刻みたばこを吸うほどまだ枯れていませんので、煙管だけで結構です」
といって2本買った。1本は20センチ、もう1本は携帯に便利だろうと思い12センチくらいの物である。
これはやはり大正解だった。まずむちゃくちゃ美味しい。たばこがこんなに美味しいものと久々に感じられた。しかし、煙管で吸っても、ちょっと強すぎた。昔、大人たちがたばこを半分に切って吸っているのを思い出した。私も半分に切って吸ってみた。これがちょうどいい感じであった。強いたばこなので、1回吸うと小1時間は大丈夫だ。私は思い切り楽しみながらたばこを吸うようになった。昔の大人は煙管入れの袋に半分に切ったたばこを入れていたが、それは持っていないのでピースの空き箱にいれて持ち歩いている。空き箱は無駄にならない。男の喫煙率が50%を割ったという。だからたばこの話もこの位にしておこう。