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2006年11月17日

血圧の高い家系

私にはこの8年くらい前から何かと診てもらってるお医者さんがいる。主治医というほどのものではないが、何かにつけて診てもらっているのだから強いていえば主治医といってもよいのだろう。この先生に診てもらうようになったのは、8年前メニエール氏症候群にかかった時である。ご存知の方もいると思うが、メニエール氏症候群というのは、疲れなどから三半器官が炎症をおこし、平衡感覚がおかしくなる病気だ。一過性で習慣になることもなく、それほど重大な病気ではないという。しかし、これも現れる事態は深刻だ。

これも仲間の議員と麻雀をしている時に発症した。その日の麻雀、私は滅茶苦茶ついていた。すごい手がどんどんできるのだ。にもかかわらず何となく目が回るような感じになってきた。すごくついていたのでやめるのは忍びないのだが、そのうちにとても麻雀を続けていける状態ではなくなった。友人たちは救急車を呼ぼうかといってくれてたが、少し横になれば治るだろうと思い、別室で横になった。横になったにもかかわらず、目が回るのである。そしてだんだんそれが酷くなってくる。

これは中風になったのかなぁーと思った。私の父は60歳ころ中風になった。母は50歳ころ中風になった。正確には脳梗塞か脳溢血というのであろう。父は最初の発作で軽い麻痺をもつ体となった。母は麻痺をもたなくてすんだ。そして必死の療養で、以後中風にはならなかった。このように私の家系は中風にかかる者が多かった。めまいはますますひどくなった。私はこれは中風にやられたなぁと観念した。ついに耐えることができなくなったので、「おぉーい、救急車を呼んでくれ」と最後は私の方から頼んだ。私は救急車で病院にいった。救急車の中で私は手と足の感覚を確かめていた。幸いにもちゃんと感覚は残っていた。

翌朝目を醒ますと、若い先生がベッドの横に立っていた。脳梗塞か脳溢血と観念していた私に対し、「3つの可能性があります。よく調べた上でないといえませんが、きっとたいしたことはないと思いますよ」といってくれた。絶望のどん底にいる患者に対して、医師はこうでなければならない。果たせるかな、私の場合はメニエール氏症候群だった。大騒ぎの割にはたいしたことはなく、1週間で退院できた。一過性で習慣性もなく、もちろん後遺症などは残らなかった。それ以来、私はこの先生を絶対に信頼している。専門は脳神経内科なのであるが、胃が悪るかろうが腰痛であろうがまずこの先生に診てもらう。大きな病院の副院長なので、その先生から専門の科に紹介してもらって診てもらう。

私の血圧は、そのころから上が120から130、下が85から90くらいであった。高血圧かどうかの限界線上にあるのだという。不摂生な生活をするとこれよりも上がることがある。だから、薬を呑みますかと何度かいわれたことがある。しかし、薬を呑むと簡単にはやめられないと聞いているので、私はそうしなかった。先生も無理には勧めなかった。こんなことがあるので、女医さんから専門の先生に血圧関係を診てもらいなさいといわれたが、結果はだいたい分かるといったのだ。だから、ちょっとしたことがあっても気軽に診てもらっていた私だが、この先生のところになかなか足が向かなかったのである。

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