フォトエッセイ 即写寸言
鉢の中の花は、満開である。
手間取ったが何とかupdateできた。
この日の気温は10℃前後でかなり寒いのであるが、ご覧のとおり鉢の中の花は満開である。こういう光景は、雪国ではまずお目にかかれない。
※ 即写寸言ー2010年初のupdate
これは珍しい写真である。手前に見える屋根は法務省の屋根。その先に見える緑は、皇居の緑である。左のビル群は丸の内。これがどうしたというのか? 1月中に即写寸言のupdateをしようと思ってたまたま撮り貯めていた写真の中からピックアップしただけのことである。失礼。
[大きな画像で見る]ある取材風景
あるテレビ局の取材風景。場所は白川勝彦法律事務所の私の執務室です。かなり長い取材でしたが、放映されたのはほんの1、2分でした。テレビの取材とはいつもこんなモノです。
[大きな画像で見る]※ 『幸運の薔薇』
ある人に頼まれてHさんに『翔べ!鳩山由紀夫』を送呈したところ、お礼に頂いたリトグラフである。アルゼンチンのクシスチナ・ヴィラモール女流画伯の作品である。作品名は『幸運の薔薇(金色版)』
アルゼンチンの無名で病弱ですべての人生の運から見はなされていたセニョーラ・マリア・プリエトは、ある日、蚤の市へ出かけガラクタの山から一枚の絵を見つけたのが、この版画でした。小額で求めることが出来たので、その日から自室に掲額した。以後、プリエト夫人の身辺に惹き起こされた数々のラッキーな諸現象は、南米諸国で有名な高(超高)額当選金の宝クジ一等当選、順調な健康回復、3人の子宝に恵まれるetcであり、すべてはこの小さなバラのもたらした幸運の賜物。
中南米諸国では伝説な“幸運を呼ぶ絵”と称されており、この作品で女史は特にビッグネームとなった。この作品を頂いてから私も数々幸運に恵まれた。インターネットで、幸運は伝わらないかもしれないが読者への幸せのお裾分けである。
※ "マッカーサー道路" 工事中
この通りは新橋西口通りである。新橋駅烏森口に出る。夕暮れになるとどこもかしこも勤め帰りのサラリーマンで賑わっている。下戸の私は、それを見ながら自宅へと向かう。この通りは東京でも有名な飲み屋街のひとつである。この通りを直角に横切っていま“マッカーサー道路”の建設が急ピッチで行われている。間もなく完成する。
それにしても戦後六十有余年経っていよいよ完成とは,さすが“マッカーサー元帥”の威光である。大したものではないか(笑)。
建設が進むマッカーサー道路の光景
上記道路のようにビッシリと建物が立っていた繁華街の建物をきれいに取り壊さして工事は着々と進んでいる。その道幅は狭いところで50~60メートルくらい。自動車道は地下なのだが、その上がどうなるのか私は知らない。まさか元のように建物がビッシリ建ったのでは、“あまりぞっとしない”と思うのだが・・・。
マッカーサー道路の起点は汐留辺り。終点は虎ノ門辺りである。その距離は約1キロメートルである。ここが公園や遊歩道になれば素晴らしいと思うのだが・・・。白川勝彦法律事務所は完成間近のマッカサー道路のすぐ近くにある。
この写真は新橋西口通りから虎ノ門三丁目交差点に向かって撮影。
※ 『翔べ! 鳩山由紀夫』第二刷 発行
民主党政権誕生のために発刊した拙著『翔べ! 鳩山由紀夫』だったのだが、選挙期間中は思うほど売れなかった。ところが民主党が勝利し、鳩山政権が誕生すると『翔べ! 鳩山由紀夫』の注文が殺到した。皮肉なものである。しかし、嬉しい悲鳴である。出版社は第二刷を決定した。理由はどうであれ、著者としては第二刷は嬉しいものである。
初版は大急ぎで発行したために誤植などがあったため、第二刷に際し訂正した。またカバーや帯を改めた。その写真である。畏れ多くも現職の総理大臣と著者のツーショットが掲載されている本はまだないであろう。そのことを表すために写真には「2009年6月30日撮影」と明記しておいた。看板に偽りがあってはいけないからである。
[大きな画像で見る]となりの男の身づくろいは…!?
問題の写真の大写しである。この写真はすでに永田町徒然草No.1213「この男、只者にあらず…!」で掲載しておいた。この時は忙しかったので、私は取り敢えずの出立(いでた)ちで出かけた。何分にも陣中であったのだ。いま考えれば、もっと身づくろいをしておけばよかったと後悔している。こんど会う時には、きちんとした服装で出かけようと思っている(笑)。p> [大きな画像で見る]
※信濃川の水――悪名高き宮中ダム
コンピュータを変えたのでデジカメの写真をコンピュータに取り込むことができなかった。5月中に即写寸言を一度くらい更新しなければならないと思っていたのだが、何とか可能となった。しかし、1ヶ月間もサボっていると以前のようにできなくなる。苦労してようやくupdateに成功した。
いずれも5月の連休に十日町市に行った時に撮った写真である。テーマは信濃川の水である。
昭和の初期に国鉄(あるいは鉄道省か)は、十日町市近辺の信濃川を堰き止め、その水を取って発電所を2基作った。十日町市にある千手発電所と小千谷市にある小千谷発電所だ。そしてこの発電所で発電された電気は、現在まで東京の山手線などの電車を走らせる電気として使われていた。
この写真に写っているのが、十日町市宮中にある取水のために作られたダム「宮中ダム」である。現在はこのように大量の水が放水されているが、ほんのチョロチョロとしか流さなかったのだ。
当然のこととして水を取られてしまった十日町市を流れる信濃川は干し上がってしまった。信濃川は死んでしまったのだ。ところがJR東日本は認められた水利権をはるかに超える水を取水したことが発覚し、数ヶ月前に国土交通省はJR東日本の発電水利権を取り消した。
そのため十日町市内の信濃川に元の水が戻ってきた。私は現職の国会議員だったころ、信濃川の水問題にも関わったので、この連休は滔滔と流れる水を見たくて帰郷したのである。これはその時にとった写真である。
早晩この問題については、永田町徒然草で訴えなければならないと思っているが、今日のところは拙い写真のみの掲載となる。
宮中ダムの下流にある姿橋付近の光景
悪名高き宮中ダムから4~5キロ下流の架かる姿橋付近の光景である。水が川幅いっぱいに滔滔と流れている。これが水利権取り消し前は、人が歩いて渡れるくらいしか流れていなかったのである。信濃川の水を干しあげて発電していたのだ。そんな電気を環境にやさしい電気とJR東日本はいう。その考えが私には分からない。
[大きな画像で見る]姿橋のたもとで
上記姿橋のたもとの水流である。ここはかなり川幅が狭く、深さは数メートルあるように見えた。水利権取り消し前は、その水量はきわめて少なかった。
[大きな画像で見る]※冬の富士山
1ケ月ほど前になるが、私はある会議に出席するために箱根に行った。よく晴れ日であった。どこでも富士山がよく見えた。富士山の写真など珍しくないが、ちょっと凝ったアングルの写真である。プロに言わせれば噴飯物であろうが…・。
[大きな画像で見る]箱根の関
上の写真を撮った所の近くに 箱根の関所がある。今回どうしてもここに来たかったのである。以前この関に来たことがあるが、今回どうしても来たかった。この前、勿来の関に行ったからであろう。昔の旅には関所があった。最近の旅には○○が…。
こちらが江戸御門である。向こう側が京都御門である。その間に番所がある。今度箱根に行く機会があったらここに行くことをお勧めする。近くに資料館もあり、ちょっとした歴史勉強になる。
京都御門
こちらは京都御門である。この門から出て、多くの人々が西の都・京都に向かったのであろう。幕末の志士たちは命懸けでこの門を往来したのであろう…。
[大きな画像で見る]※ちょっと緊張して記念撮影
多くの人に囲まれて私が記念撮影のど真ん中におさまっている。これはいったい何処の、いかなる記念写真なのであろうか。まずは順を追って見ていただきたい。
[大きな画像で見る]白川勝彦の日々のアルバム
2003年第43回衆議院総選挙や2004年十日町市々長選挙のデジカメ写真記録です。
国会TV 政治ホットライン出演記事
ちょっと動きが感じられるTVからのキャプチャ画像群で、番組を再現しています。
白川勝彦OFFICE [ 白川勝彦へメール送信 ]
Copyright©K.Shirakawa Office 1999-2008
Web pages Created by DIGIHOUND L.L.C. All Rights Reserved ©1999-2008