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 FORUM21   2007年5月15日 通巻126号

創価学会党化した自民党 ─ 9

連載の“ひとまず”の終りにあたって

白川  勝彦  (元衆議院議員)

私が自民党を離党した理由

本誌責任者の乙骨氏と6年ぶりの再会と同氏の私に対する要らぬ持ち上げから9回連続して本誌に執筆することとなった。隔週号に連載物を書くことことは、かなり“しんどい”仕事であった。しかし、諸般の情勢が厳しい中、本誌を5年間も発行している乙骨氏の苦労に思いを馳せ、なんとか終章を書くところまでこれた。私の拙い原稿を掲載してくださった同氏とこれを読んで下さった多くの読者にまず謝意を申したい。

創価学会の問題点を扱った論述は、数多くある。今後もいっぱい出るであろう。そうした中で私が書くテーマは、少し違ったものでなければならないと最初から考えていた。私は公明党と連立を組んだことにより自民党がどう変わったかということを明らかにするところに私の役割と使命があると思った。これは自民党の中にいて、自民党の改革に長い間情熱を傾けてきた私でなければ書けないことだと思ったからである。

また私が自民党を離れたのは、自民党が公明党と連立を組むことに反対だったからである。私は非力のために自民党と公明党との連立を阻止することができなかった。公明党との連立に反対しながら、公明党と現に連立を組んでしまった自民党に、そのまま籍をおくことは私の潔しとするところではなかった。私は平成13年2月自民党を離党した。

私が自民党と公明党の連立に反対したのは、憲法論と信義則に悖るということからであった。どちらも理念であり理屈の問題である。理念や理屈に反することは、どこかに必ず無理が出てくる。それは時間の経過によって明きからになってくる。平成13年の新党・自由と希望を立ち上げての参議院選挙への挑戦は、まさにそうした戦いであった。

自公合体政権の自民党は、本質において邪である

その参議院選挙に敗れてからの私の政治行動は、公明党と連立を組んだ自民党そのものがターゲットであった。自公合体政権は、小泉純一郎という稀代の詐術師をトップに据えて全盛を誇った。私の仕事は、その詐術を見抜き、これを指摘することに重点を移さざるを得なかった。小泉純一郎という政治家を間近でみてきた者でなければ、その詐術を見抜くことは難しかった。優れた政治評論家と思っていた人たちでさえ、小泉氏の詐術に引っかかり、自民党や小泉内閣を支持する者が続出した。

詐欺師は、その時々にはある程度まともなことをいうものである。そうでなければ多くの人が騙されないからである。しかし、詐欺師の本質は、人を騙して邪な利益を得るというところにある。邪な利益を得ようという公明党と連立を組んだ自民党は、その本質において邪である。嘘や間違ったことを平気でいう。またそういうことを実際に行った。

そうすると全体としては、無理があっちこっちに出てくる。無理を誤魔化すために自らを変身させざるを得なくなってくる。そして自民党は変質してしまった。どのように変わったのかを論証することがこの連載の目的であった。

自民党の変質は、公明党の本家である創価学会が抱えている問題点や特質を具現化していくというものであった。創価学会や公明党からみたらそれは好ましいことであろうが、国民や伝統的な自民党支持者からみたら決して好ましいものではないし、その利益を明らかに損なうものである。

創価学会党化した自民党の五の特質

  1. 排他独善、高じて批判者を抹殺する体質
  2. 反自由的で非民主的な体質
  3. 詐術的・謀略的手段を平気で用いる体質
  4. 理想や理念を求めようとしない俗物的体質
  5. 寄生獣(パラサイト)的体質

いうまでもなく、このような体質・特質は、創価学会の問題点として多くの識者が指摘するものである。自民党はこのような体質をもった政党に変質した。見事に創価学会党化したのである。

この中には公明党との連立以前にはなかった体質もあるし、そのような傾向がなかった訳ではないが公明党との連立により、傾向というよりハッキリとした自民党の体質・特質となったものもある。前記2および4の体質などは明らかに後者である。

前記1・3・5の体質などは、前者である。すなわち公明党との連立以前にはほとんど自民党には見られなかった体質である。だから公明党と連立以前の自民党は、公明党のそういうところを捉えて批判したり非難していた。しかし、自らもそのような体質をそなえるようになった自民党が創価学会や公明党を批判することはないだろうし、その資格もなくなった。また批判などすれば自民党は自らの意思でそのような者を抹殺する。

創価学会には批判者を抹殺するいかがわしい実行部隊があるといわれているが、自民党の場合は権力という大きな力をもっている。権力という大きな力を背景に阿吽の呼吸で批判者を抹殺することはできるし、最後は警察や検察を使い正義の名において批判者を抹殺することもできる。権力の内部には、時の権力者に無条件で迎合する者も多い。だから正義の名においてそのような挙にでることは十分に可能なのである。

公明党は“下駄の石”

創価学会党化した自民党を、以前の自民党と同じと考えることはできない。“古き良き”自民党は、もう死滅してしまったのである。

「最近、永田町の政治記者の間では、公明党・創価学会のことを“下駄の雪”とは言わなくなりました。雪だと暖かくなれば溶けて下駄から離れますが、公明党・創価学会は何があろうと絶対に自民党から離れない。ですから最近は“下駄の石”と言われています。下駄に挟まった石は取り外すことができない。公明党・創価学会はすでに自民党と一体化しており、離れることはないという意味です。もう“自公連立”ではなく“自公党”という一つの政党になっています。ただ、やがて“石”のほうが主人公になるでしょう。公明党・創価学会が自民党の上に立つ時期はもうすぐです。自民党は落ち目です。これを助けているのが公明党・創価学会です。とくに創価学会の選挙パワーが自民党を支えています」

これは政治評論家の森田実氏が紹介している政治記者の話である。きわめて正鵠を得た話だと私は思う。

野党が戦わなければならない現在の政権を構成する自民党はこのように変わったのである。戦いを行う場合、敵を見誤ることは敗北に通がる危険なことである。異質のものをもった連立政権は、脆弱である。責める方が、連立を組む政党の齟齬を衝くことは古今東西の常套手段である。この攻撃は連立政権にかなり有効な攻撃ができる。連立政権のいちばんの弱点はここにあるからである。

しかし、連立とはいってもかなり同質な政党同士が連立を組んでいる場合、そのような攻撃はやりにくい。創価学会党化した自民党と創価学会党の本家本元の公明党との結びつきは、当然のこととしてかなりきついものがある。だから私は現在の政権を“ 自公合体政権”と呼んでいるのだ。

「選挙宗教団体・創価学会」と指摘する森田実氏

また森田実氏は次のように指摘している。

『野党側が2007年春の統一地方選を通じて最大の教訓とすべきは、“野党にとっての最大の敵は公明党・創価学会であり、とくに公明党・創価学会との対決姿勢を強め、学会批判を強めなければ7・22決戦(2007年夏の参議院選挙のこと—筆者注)には勝てない”ということである。野党側はこのことを肝に銘じ、「選挙宗教団体・創価学会」への警戒心を高め、批判・攻撃を強めるべきである。今日の日本の政治は、自公連立政権という形をとって、創価学会に支配されている。創価学会支配との戦いを強化しなければならない。』——同氏のWebサイト『森田実の時代を斬る』2007・4・23(その1)から引用。

森田実氏は、野党を温かく理解する数少ない政治評論家である。その森田氏が2007年の統一地方選の“最大の教訓とすべき”といっているのだ。野党各党は耳を傾けなければならないと思う。いまのところそのような気配はほとんど感じられない。

私はこの問題に長い間携わってきたが、創価学会・公明党と戦うということは正直にいってかなり“キツい”ことは確かである。しかし、“キツい”からといってこの点を曖昧にしたり避けたのでは、自公合体政権に勝つことなど到底できない。自公両党は連立しているのではなく、すでに“合体”しているのである。 自民党と戦うということが本気であるならば、創価学会・公明党と戦うことを避けることなど所詮できないのである。いろいろと弁解してもそれは言い訳であり屁理屈に過ぎないのである。厳しいようだが、今日の政治の状況下においてはそれが現実なのである。

藤原弘達氏の遺言

困ったことだが、自民党は公明党との連立で安定多数をもったと錯覚し始めた。これは明らかに錯覚なのだ。自民党は、単独では過半数をとる力もいまやないのであるが……。自民党の右翼反動政治家の悲願(?)は、憲法改正である。自民党右翼反動の系譜に育ち、そのような考えをもっている安倍首相は、憲法改正を内閣の課題として打ち出してきた。 また国民のかなりの人たちも錯覚している。公明党は憲法改正には慎重であろうという錯覚である。確かに公明党はそのようなイメージを今なお出している。しかし実際に果たしている役割は、安倍首相の憲法改正の動きを可能にしているのは公明党なのである。自公合体政権の弊害は、ここにもみることができる。

「(公明党が)自民党と連立政権を組んだ時、ちょうどナチス・ヒットラーが出た時の形態と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における狂信的要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁を安定化する機能を果たしながら、同時にこれをファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性を非常に多く持っている。そうなった時には日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる。そうなってからでは遅い、ということを私は現在の段階において敢えていう。」

いまや創価学会問題の古典ともいえる『創価学会を斬る』の中で、著者の藤原弘達氏がのべていることである。いま日本国民にとっていちばん大きな課題は、自民党の右翼反動が目論む憲法改正をどうやって阻止するかだと思っている。彼らが考える憲法改正を許せば、基本的人権の尊重と民主主義は危殆に瀕することは確実である。そうなったら“まさにアウト”だ。

自公合体政権の打倒は、国民的課題

自公合体政権が衆議院の3分の2を超える議席をもっている現在の政治情勢はきわめて危険である。しかし、これは小泉自民党が詐術を用いて詐取した議席である。恐るる必要はない。だが詐術を用いることは、いまや自民党の体質である。警戒をしないとまた嵌められることにもなる。要注意である。

いま創価学会の池田大作名誉会長は、世界中から何百個も勲章を集めている。そしてそのことを創価学会は宣伝しまくっているが、国民の多くは創価学会・公明党の体質や野望を決して許容していない。多くの国民は創価学会の危険性というかいやらしい体質にいまなお警戒感を強くもっている。

国内的にみても何となくいかがわしい自公合体政権の実態が国際的に明らかになれば、そのような政権が支配するわが国は警戒感をもたれ、国際社会において“名誉ある地位”を得ることなど絶対にできないであろう。政治体制を問わず、“反独裁”はいまや世界のもっとも普通の政治的価値観であるからだ。自公合体政権は、大きな視野に立てば国益にするものである。

自公合体政権は、基本的人権の尊重・民主主義・平和主義というわが国の憲法の基本を脅かす危険な政権である。自公合体政権を可及的速やかに打倒しなければならない。それは国民の幸福を実現する上で不可欠な課題であることを銘記しなければならない。

私は長い間自民党に籍をおき、日本の政治に参加してきたという自負がある。それだけに自民党の変質を指摘できるし、その危険性を痛感している。警鐘を乱打しつつ“ひとまず”筆をおくこととする。

この拙稿が、わが国民の自公合体政権に対する戦いに少しでも役立てばこれに優る喜びはない。

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