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2003年10月28日
* これは、10月15日に財界展望社へ送った「日本を斬る」の原稿に、10月28日時点で補筆したものです。 |
この稿が読者の目に触れる頃、私は衆議院新潟五区でタスキをかけて戦っている。前号の原稿を書いた頃(九月十日)こんなことになるなどと、私は全く考えていなかった。政治家の決断や行動には、このように非常識かつ無謀と思われることが時にはあるのである。しかし、政治家本人としては真面目も真面目、いや、大真面目に考えているからこそできる決断と行動なのである。 なぜ長年活動してきた新潟六区から立候補せず、全く地盤の無い新潟五区から出馬することになったのか。全く異なる二つの理由による。 第一の理由は、新潟六区には民主党の公認候補となる筒井信隆代議士がいるからである。筒井氏と私は平成十二年の総選挙では激しい戦いをした。しかし、平成十三年二月、私は自民党を離党し、反自公保の立場に立った。そのような政治的スタンスのもと、参議院比例区にも新党を立ち上げて戦った。 以来、私は野党の特集を訴えつづけてきた。このことは本コラムの読者が一番ご存知のはずである。 私は、民主党、自由党、社会民主党の三党は一大集結をすべきだし、できるといまでも考えている。自社さ連立を実際やったものとしての経験上の確信である。 諸般の事情があったからであろう、三党の合流はできなかったが、民主党と自由党は合併し、新しい民主党が誕生した。そして、民主党と社会民主党は、ほとんどの選挙区で政権交代のため力を合わせて戦っている。特に新潟県では、選挙協力が行われている。 だとしたら、反自公保・政権交代の立場に立つ私が、新潟六区から立候補する政治的大義はなくなった。私は、民主党と自由党の合流が決定したとき、この決断をした。 これと新潟五区から立候補することになったのは、全く別の理由による。新潟県には六つの小選挙区がある。三党の協力のもと、他の5つの選挙区では反自公保・政権交代の立場にたつ有望な魅力ある候補者が決まって勝利に向けて駒を進めていたが、新潟五区では決まらなかった。その理由の一つとして、田中真紀子の存在があったのだと思う。 しかし、いかなる理由があるにせよ、政権交代の是非を争う選挙となる今回の総選挙において、新潟五区において反自公保・政権交代の立場に立つ候補者がいないということは、新潟県の一人の政治家として甘受することはできない問題であった。 現在の小選挙区制選挙は都道府県単位の団体戦なのである。反自公保・政権交代の陣営が、もし、新潟五区において候補者を擁しないとあたかも穴の空いた凧と同じく、うまくあがらないのである。 平成八年の総選挙、自民党の総務局長としてその采配をした時、このことを痛感した。大阪府、兵庫県、岩手県、長野県、沖縄県などは新進党が強く、自民党は歯が立たなかった。 六つの選挙区しかない新潟県において、一つの空白自区があることは、反自公保・政権交代の陣営にとってはかなり致命的なことなのである。 もちろん、新潟五区に地盤をもつ政治家が立候補するのが一番好ましいのだが、九月後半を過ぎても現れない以上、そして、私については三党の代表者が統一候補として協力してくれるとの確証がとれたので、私は新潟五区から立候補を決断し、九月二十四日に出馬を表明した。 このように、極めて単純かつストレートに経緯で新潟五区から立候補することを決断したのであるが、なぜか、全国で一番注目される選挙区となった。 しかし、これは私にとってはありがたいことである。白川勝彦という男が新潟五区から立候補するということを三十才近くの有権者に知ってもらうために、実は大変なエネルギーとコストがかかるのである。これは一連の真紀子報道で画像入りで徹底した。この宣伝効果は一億円を下らないだろう。 また、最初から私が予測していたことであるが、今回の総選挙は政権交代の是非を賭けたものとなってきた。反自公保・政権交代の旗を高く掲げる候補者には強い追い風が吹いている。三〇〇の小選挙区で、野党候補が小泉内閣の失政・悪政への具体的な批判を行うことにより、これまでの、マスコミが無理やりつくりあげてきた小泉人気が崩れている。 小泉首相が「改革」という美名で進めてきた弱者切捨て・中小企業つぶし・地方切捨て・対米従属の卑屈な外交の実態が選挙戦を通じて明らかにされつつある。 若干の例外を除けば、民主党と社会民主党の選挙協力は順調に行われている。これは小選挙区の下では、勝利の決定的条件なのである。 以上を要すれば、政権交代を掲げる陣営は、極めて順調かつ有利な戦いを行っている。もっと大きな自信をもって戦えば、一挙に政権交代を実現できるのである。私は、そう確信している。 長い間、自民党政権が続き政・官・業癒着の選挙を続け、今もそれを行っている自公保連立政権を民主党を中心とする野党が倒すことは、やはり、ひとつの革命だと私は思う。また、そうでなければ政権交代の意味が無い。 あらゆる面で行き詰ってしまったわが国の現在の局面を転換するためには、革命を起こさなければ展望は開けてこない。だから、革命は、いま、必要なのである。 いま一番必要なのは、政権交代を訴える陣営にもっとも必要なことは、自から革命を行っているという認識と自覚であると私は思う。 政権交代という革命を行う客観的条件は基本的に整っている。あとは、この条件を活かし、一挙に政権交代の実現まで持ってゆく、主観的な力量である。三〇〇〇の小選挙区で戦っている候補者に、まずその気迫が求められる。と同時に、その候補者を支援している国民一人一人の支援者に同じことが必要である。 革命のチャンスなど、そう頻繁に訪れるものではない。それは、また仕掛けたからといって簡単に乗るものでもない。天の時、地の利が整ったとき、はじめてチャンスとなる。 天地人。あとは人の和、すなわち、政権交代を訴え、求める陣営の革命的な自己変革が今一番必要なのである。このような自己変革を成し遂げた者が、現在の日本の革命家なのである。少なくとも、私はそのような人物として、この歴史的な選挙を戦っている。 |
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