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第二次小泉改造内閣の政治家度 2004年11月6日
  1. はじめに

    この小論は、永田町徒然草に4回にわたり連載した第二次小泉内閣の大臣たちの政治家としての資質や力量や人物評をまとめたものです。この連載は正直いってかなりの根気を要するものでした。小泉首相のお眼鏡に適った大臣たちですから、多くの人々が期待をするのは知る当然のことです。またどういう政治家をそのポストに任命したかということは、小泉首相のその分野に対する関心や視点を知る上で大いに参考にもなります。ですから、こうした作業も決して無駄なことではないと思い、最後まで書きあげました。それを改めて読み、2ヶ月近くの間に起こった政治的イッシューの中でそれぞれの大臣が行なったことも若干言及して加筆し、また補正もしました。

    第二次小泉改造内閣を論評する上で、私はあえて総論的ではなく極めて各論的に述べてみることにしたのは、微視的分析も政治的動向をみる上で時には必要だと思ったからです。党の役員や大臣が任命権者である総裁・総理と政治的意見が分かれて辞任した場合、それは時には政変につながることもあるのです。近くでは、田中真紀子外務大臣の更迭を期に、小泉内閣の支持率が半分も落ちてしまったこともありました。内外に問題が山積している中、小泉首相の独断に憂いをもっている人が多くなりました。こうした場面で、所管大臣が胸に辞表を入れて小泉首相と渡り合うことが求められる状況もいっぱいあります。こういうことができるかどうかが、その大臣に求められる政治性なのです。

    ですから、私の視点は、各大臣の政治家としての資質や力量に比重をおきました。あえて各大臣の「政治家度」と銘打ったのは、そういう理由からです。私はこれから述べる党役員や大臣にもう4年以上も会っていません。男子三日会わざればカツ目して見るべしという言葉があります。しかし、三つ子の魂百までという言葉もあります。私がこれから述べる方々の人物評は、選挙という政治家にとって一番大切な場面で接触をもった時の印象を中心に、日頃の付合いなどを加味しての私の見立てです。

    こんな人物評をあえて述べるのは、各省庁は当然のことながら極めて官僚化しているからです。いや各省庁のやり方が「官僚的」といわれているのです。自民党も官僚化しています。これは優秀な党官僚がいるというより、優秀な党官僚がいないためにマンネリ・前例踏襲主義に陥っているからです。党も内閣も官僚主義的なやり方を劇的に改めなければ、自民党もわが国の行政も国民が求めているようなものに変わることはありません。そのようなことをこれから述べる人々がやる可能性があるのかということを探る上でこの評論は参考になると思います。

  2. 「一内閣一閣僚」という大原則?

    第二次小泉改造内閣の発足に際して、各マスコミは今回の改造のサプライズはなんだろうかなどということをいろいろと詮索しておりました。しかし、一番大切なことに全く触れませんでした。小泉首相は、その就任直後に「一内閣一閣僚」といったはずです。そういって第一次小泉内閣を発足させたのです。これは、ひとつの見識だと私は思っていました。「派閥順送りで、たった1年くらいしか務めない大臣にいったい何ができるのか」と国民の多くが思っています。現に私自身そうした言を何度も聞いたことがあります。もし官僚主導の行政を政治家主導の行政に変えたいならば、見識と実力をもった政治家を各省庁のトップ(大臣)に据えなければそれはできることではありません。そして、私の経験からいって、そのような大臣ならば劇的に各省庁のこれまでのやり方を変えることができるのです。

    ですから「一内閣一閣僚」というのは、ひとつの見識なんです。小泉首相のこの大原則はどうなったのか、そういう視点から今回の改造人事を論及した解説やコメントがマスコミにまったくなかったのが不思議でなりません。わが国の国民もマスコミも一時的には熱狂しますが、忘れやすく冷めやすいところがあります。しかし、政治や政治家を論評する場合、しつっこさが必要なのです。言換えれば、政治や政治家の一貫性を追及することは大切なことなのです。一貫性のない政治や政治家は、やはりどこかに大きな問題があるのです。一貫性のない政治や政治家は、本当の理想や信念がないことを自白している証拠なのです。

    今回発表された閣僚名簿をみると第一次小泉内閣から大臣を務めているのは、竹中平蔵経済財政・郵政民営化担当大臣ただひとりです。その竹中氏にして直前までは、金融担当の大臣だったはずです。経済財政?金融?郵政民営化、一見関連しているようですが、率直にいってその所管はまったく違います。また省庁のトップでないためにストレートに行政を変える訳にはいきません。小泉首相がいった「一内閣一閣僚」は看板に偽りありということになります。

    司法修習生の時、ある検察官に私はこう教わりました。

    「詐欺師かどうか見分けるために必要なことは、被疑者の供述に一貫性があるかどうかということなんだ。そのためには、同じことを時間をおいてまた角度を変えて何度も何度も質問して被疑者の供述をとるんだ。そうすると同じようにみえてもどこか違ったことをいう。その矛盾を突いていくのが詐欺事件の捜査なんだ」 

    私は検察官にはなりませんでしたが、これは政治家としていろんな人と付き合う時、大変参考になりました。信頼できる人というのは、基本的にその話や行いが一貫しています。小泉政治をどう評価するか、もうそろそろ結論を出してもいい頃でしょう。あれほど強調した「一内閣一閣僚」という大原則をこうも完全にないがしろにした首相だったということは、小泉政治を評価をする上で一つの大事な視点だと私は思います。

  3. 党人事について

    武部 勤 (たけべつとむ) 幹事長(初)

    多くの人々がいまなぜ幹事長に武部氏なのかと思ったことでしょう。武部氏は自民党的には極めて真面目な政治家といっていいでしょう。やることは、極めて実務的に実直に実行するタイプです。しかし、いま自民党に求められているのは、これまでの自民党的な発想とやり方を打ち破ることです。そういう視点から見ると、そういう柔軟さや独創性はこの人に期待しない方がいいでしょう。自民党の運営は、幹事長によって大きく変わります。従って、武部幹事長の下で自民党が大きく変ることはまずないでしょう。しかし、参議院選挙で過半数を割ってもほとんど危機感のない自民党です。そもそもこの党には自らを大きく変えなければならないという意思も能力もないのですから、いまの自民党にはそんなに見識と実力のある幹事長は求められていないということなんでしょう。

    与謝野 馨 (よさのかおる)政調会長(初)

    与謝野晶子のお孫さんというのが何といっても最大の売りの政治家です。頭もいいし、碁は国会でも一、ニだそうです。ですから、確かに政策通という雰囲気はあります。官僚の作った政策を理解することもできれば、これにカミソリのような批判を加えることもできる人です。でも、いま日本の政治を担当している自民党がしなければならないのは、これまでのような官僚が作った政策にカミソリ的な批判を加え、ちょっと変更する程度のことではないと私は思っています。

     官僚政治に大胆にナタをいれるようなことをこの人に期待することは、ほとんど無理でしょう。かつての福田赳夫さんや河本敏夫さんのように時の総理や霞ヶ関が何といおうが、自説を断固主張するというタイプの政治家ではありません。しかし、小泉首相がやろうとしていることは、現在の日本の諸問題をどうやって解決するかということではなく、郵政民営化だけなんです。ですから、他の問題は官僚たちと仲良く摩擦なく格好付けれればそれでいいです。そう考えれば、適任の政調会長といっていいのかもしれません。

    久間 章生 (きゅうまふみお)総務会長(初)

    総務会長というのは総務会の議長ですから、平素はその政治的手腕はあまり問題になりません。今回は、郵政民営化法案を党の総務会で承認してもらうという大きな仕事があります。小泉首相が久間氏を総務会長に指名したのは、頭数が一番多い旧橋本派から出しておいた方がいいとでも思ったのでしょうが、郵政民営化問題で党が割れるということはそもそもないでしょう。自民党には、いまやそんなエネルギーはありません。ですから、本当は、総務会長など誰でもいいのです。久間氏個人は、おとなしい地味な人です。この人が怒ったところを見た人はほとんどいないのではないでしょうか。

    安倍 晋三 (あべしんぞう)幹事長代理(初?)

    こういう人事というのはどうなんでしょうか。幹事長代理というのは、総裁派閥から幹事長を出さなくなってから、総理大臣と幹事長のパイプ役として総裁派閥から任命するということが慣習化してきたのです。これまで幹事長をしてきた人をパイプ役として使うというのは、どうなんでしょうか。これは、裏を返せば、安倍幹事長というのは本当はその程度の政治家なんだということになり、せっかく安倍幹事長を任命し新しい将来の人材を作ったはずなのに、この人材を殺すことになります。また党は幹事長中心に運営されるのです。武部幹事長としても前幹事長がいつも横にいたのでは何かとやりにくいでしょうね。小泉氏というのは、こういう人事の妙を知らないのではないでしょうか。安部氏もいくら総裁のいうことでも、こういうおかしな人事は断るべきだったと私は思います。人間、まったくの無役というのも大事なことなんです。

  4. 内閣の人事について

    これから17人の大臣について人物評と政治家度を述べる訳ですが、細かい経歴をいちいち書くのは本来の私の仕事ではありませんし、また客観性を保つためにも、最初に共同通信の大臣評をまず(共同通信社マーク)共同評印で紹介し、その後に白川コメント印で私のコメントを付け加えることにします。

    麻生 太郎 (あそう・たろう)総務大臣・国民スポーツ担当(留)

    (共同通信社マーク)共同評郵政民営化問題では、日本郵政公社側に立ち異論を唱える場面もあったが、最終的には小泉純一郎首相の判断に従った。故吉田茂元首相の孫で「ポスト小泉」候補の1人とされるが、毒舌家で失言も多い。大の漫画好きで週に20冊以上の雑誌を愛読。モントリオール五輪の射撃代表になったスポーツマンの一面もある。64歳。福岡県出身。衆院当選8回。(旧河野グループ) http://www.aso-taro.jp/

    白川コメント麻生氏とは、当選も同期でしたし、派閥も同じだったので、知りすぎているほどよく知っております。非常に自尊心が高く、経営者として世の中のことをよく知っていますから、官僚にとってはやりにくいところが多々あるでしょう。しかし、官僚を動かすためには、理屈がやはり必要なのです。そのためには法律や理論的な根拠がどうしても必要なのですが、麻生氏はこういう面が必ずしも得意ではありません。政調会長やこの1年間の総務大臣としての実績をみればこのことは明らかなのではないでしょうか。

    麻生氏も小泉首相と同じく長い間大蔵委員会に所属しておりました。基本的には大蔵族的な政治家といってもいいでしょう。ですから、旧自治省の行政分野では三位一体の改革ではかなり財務省の言い分をすでに実現しました。旧郵政省の行政分野では郵政民営化についてはすでに踏絵を踏まされたのですから、郵政族の期待に応えるべく担当大臣として頑張るかというならば、それはあまり期待しないほうがいいということはクドクドと述べなくとも明らかなことでしょう。

    しかし、旧郵政族の政治家として私がいいたいことは、郵政民営化を議論していく上でいちばん大切なことが現在忘れられていると思っています。それは、信書の秘密=プライバシーの保護=国家からの自由という問題なのです。郵政担当大臣としてこのことだけは総理大臣やマスコミがなんといおうと断固として主張していくことが必要なんだと思っているのです。そのことを理解し、そのことを主張することが郵政行政を担当する大臣としていま一番求められているのです。この点で麻生氏がどういう言動をするのか、注目していきたいと思っています。

    南野 知恵子 (のおの・ちえこ)法務大臣(初)

    (共同通信社マーク)共同評看護師経験を生かし、医療・福祉政策に詳しい。最近では、深刻な社会問題になっているドメスティックバイオレンス(DV)対策を強化する改正DV防止法や、性同一性障害特例法などの成立に尽力した。濃いピンクのスーツがトレードマークで、周囲からは「肝っ玉母さん」との評も。68歳。鹿児島県出身。参院当選3回。(森派) http://www.c-nohno.com/

    白川コメント法務省も多くの改革すべき課題を抱えています。まず第一は、犯罪の多発です。警察庁と一緒になって犯罪を減らし、日本の治安を取り戻すということが最大の課題でしょう。法務官僚はほとんど検察官ですから、官僚の中でももっとも自尊心が強くてそう簡単には政治家のいうことを聞きません。たいへんなファイターですが、法務官僚を動かすのはちょっと荷が重いと私は感ぜずにはおられません。

     案の定、国会答弁で最初からミソをつけてしまいました。これは、法務官僚が検察の独立性ということで南野氏にはちょっと理解できないことを答弁させようと思ったからでしょう。検察の独立性も大事なことですが、分りやすい検察行政ということも大事なことを法務官僚も心がけなければなりません。捜査の独立性ということで、何でも秘密にし、批判に耳をかさないのがいまの日本の検察庁です。

    町村 信孝 (まちむら・のぶたか)外務大臣(再)

    (共同通信社マーク)共同評自民党総務局長を約2年間務め、統一地方選と衆参両院選の「3大選挙」で候補者調整など現場指揮に当たった。第2次森改造内閣での文部科学相以来となる3度目の入閣。旧通産省の出身だが、教育問題に一家言を持つ。義務教育費国庫負担金の削減案には反対姿勢で、今後の「三位一体」改革論議では閣内で衝突する可能性も。59歳。北海道出身。衆院当選7回。(森派) http://www.machimura.gr.jp/

    白川コメント通産官僚出身の政治家です。お父さんは、北海道知事をやり、北海道では名門の政治家です。ですから、非常に恵まれた環境で育った政治家といっていいでしょう。何でもこなせる器用な政治家です。

    町村氏の今回の入閣の最大の問題は、この前の参議院選挙の総務局長だったということです。誰がみたって前回の参議院選挙は惨敗だと思うのです。その責任者は、幹事長であり、総務局長なんです。選挙で惨敗したことに最大の責任のある政治家が、その責任も取らずに大臣になるというのは、一体どういう感覚なんだという気がしてなりません。

    町村氏も自民党の総裁をいずれは担う政治家として期待され、本人にもその意欲があると思うのですが、政党にとって一番大事な選挙に負けたことの責任を痛感していないということは、政党政治家としての資質に疑問を持たざるを得ません。それに選挙で勝つというのは、政治家として最大の能力が求められるし、またその力が発揮できる場面なのです。自民党は、総務局長というは選挙で勝てば大抜擢をするが選挙で負けたら責任を取らせるということをちゃんとしなければ、今後もっとダメな政党になってしまうでしょう。

    谷垣 禎一 (たにがき・さだかず)財務大臣(留)

    (共同通信社マーク)共同評加藤紘一元自民党幹事長の側近として科学技術庁長官などを歴任。財務相として財政改革に取り組んだ実績を背景に「ポスト小泉」をうかがう。裏表のない誠実な人柄が魅力。ただそつのなさが災いし「線が細い」との印象を与えがちで、次期首相を射止めるには「ひ弱さ」からの脱却が鍵。登山と自転車が趣味で政界有数のワイン通。59歳。京都府出身。衆院当選8回。(小里派) http://www.tanigaki-s.net/

    白川コメント谷垣氏の初当選(お父さんの谷垣専一代議士の死去を受けての補欠選挙でした。当時、私は当選2回生でした)の選挙では2私は20日間も旧京都2区におりました。そんな関係で、谷垣氏とは、加藤紘一氏の側近として共に同じ政治活動をしてきました。私の郵政政務次官の後任が確か谷垣氏でした。また私の総務局長の後任も谷垣氏でした。私と違って紳士であり、器用ですし、何でもこなせます。しかし、それが欠点かもしれませんね。

    良くても悪くとも、小泉首相の人気はあの一点突破の個性であり、爆発力なんでしょう。日本の財政は、まさに危機的な状況にあります。日本経済も危機的な状況にあります。このような危機から脱するには、一点突破でもいいからともかくも風穴をあけることが大事なのです。財務大臣として2年目になる訳ですから、これだけは谷垣財務大臣がやったのだということをやらなければ政治家谷垣としての将来に対する国民の期待は生まれてこないでしょう。

    中山 成彬 (なかやま・なりあき)文部科学大臣(初)

    (共同通信社マーク)共同評大卒業後に旧大蔵省入りし、世界銀行への出向経験もある国際派。経済・財政分野だけでなく、防衛、農林、文教各分野にも精通、空手四という武道家でもある。北朝鮮による拉致問題担当の中山恭子内閣官房参与の「夫」と紹介されることが多いだけに、待望の初入閣で妻に匹敵する存在感を示せるかどうか。61歳。宮崎県出身。衆院当選5回。(森派) http://www.nakayamanariaki.com/

    白川コメント個人的な付き合いはあまりありませんでしたが、穏やかな人柄と筋道を立てた言動を通す政治家です。最初に施行された平成8年の総選挙の時、中山氏には立候補する選挙区がありませんでした。平成5年の選挙で落選していたため、宮崎県の3つの小選挙区にはそれぞれ自民党の現職が公認されていたからです。

    中山氏から九州ブロックの当選確実な比例区候補として処遇してほしい、でなければ宮崎2区から新進党で立候補する道を真剣に考えなければならないということをいわれました。当時、私は選挙の事務的な責任者の総務局長をしていました。私はこういう人にはぜひ自民党で頑張ってもらいたいと思い、そう短兵急に考えるなと何度も話しました。しかし、当選確実な順位の比例区で処遇するということはどうしても約束できませんでした。比例区で当選確実な順位で処遇するというのは、現職同士がバッテングする場合以外は認めないというのが大原則でしたから。

    私は何度も中山氏と会い、当選確実な順位を保障することはできないが私も最大限努力するので、あなたも党員の募集をはじめとして1区の大原一三候補、2区の江藤隆美候補の当選のために全力を尽くしてもらいたいとお願いしました。最後は中山氏もこの方向で納得し、最大限の努力をしました。

    ところが、平成8年の選挙直前に当時農水大臣をしていた大原一三氏が病気で倒れ、小選挙区では戦えないということで中山氏は1区から立候補できたのです。厳しい戦いでした。でも、結果は次のとおりでした。

    宮崎1区
    得票数 候補名 党派等
    78,145
    中山 成彬
    自元
    75,152
    米沢 隆
    進前
    23,730
    松浦 利尚
    社元
    12,025
    長友 ちか
    共新
    913
    椎葉 憲一
    連新

    自民党が野党になり、選挙制度が変わり、浪人中という苦境の中で、政治家としてギリギリのお付きあいをしました。もし、この時、中山氏が短気を起こして新進党にいっていれば、中山氏の今日はなかったでしょう。政治家の判断というのは難しいものです。

    尾辻 秀久 (おつじ・ひでひさ)厚生労働大臣(初)

    (共同通信社マーク)共同評財務副大臣や総務政務次官などを歴任した。日本遺族会副会長を務め戦後処理問題や、ドミニカ共和国への日本人移民問題などに熱心に取り組む。防衛大在学中に母を亡くし、妹の面倒を見るため帰郷。その後東大に入学し、学生時代に世界70数カ国を旅した行動派でもある。温厚で誠実な人柄で知られるが、頑固な一面も。63歳。鹿児島県出身。参院当選3回。(旧橋本派) http://www.otsuji.gr.jp/

    白川コメント時の小淵首相や自民党執行部(森喜郎氏が幹事長でした)が自自公連立にまっしぐらに走り出していた1999年8月13日、私たちは「公明党との連立内閣に関する意見書」を自民党国会議員19名の連名で発表しました。

    私たちは、100名くらいの賛同をいただけそうな人たちに話しかけましたが「選挙で創価学会を敵に回したくない」「派閥の親分が小淵支持、自公賛成だから勘弁してくれ」「私は今回どうしても大臣(政務次官)になりたいから勘弁してくれ」など様ざまの理由でたった19名の決死隊だけでこの意見書を発表したのですが、その中の唯ひとりの参議院議員が尾辻氏でした。

    当時、参議院は村上天皇と呼ばれるほど、村上正邦議員が権勢をふるっていました。もちろん、村上天皇は自公連立推進派だった訳です。尾辻氏の政治活動が困難になっても困りますから、「尾辻先生、あなた一人しか参議院ではいないのだから意見書の名簿から外そうか」と私はいったのですが、「白川さん、いいよ。これは私の信念ですから」と事もなげにこたえました。

    さすが防衛大学校出身だけのことはあるなーと感じ入った次第です。尾辻氏とはそういう人です。

    厚生労働省は、いまや伏魔殿的なところが目立ちます。尾辻大臣は一見地味に見えますが、このように腹のすわったところがありますから、官僚が舐めてかかったらたいへんなことになるでしょう。また、いくつかの点でバッサリとやって貰いたいことが、厚生労働省にはあります。期待したいと思います。尾辻氏はお父さんを戦争で亡くしている、苦労人です。

    島村 宜伸 (しまむら・よしのぶ)農林水産大臣(2回)

    (共同通信社マーク)共同評農相就任は橋本内閣当時に続き2度目。東京下町育ちの明るい性格で、べらんめえ調で本音を語る論客として知られる。村山内閣の文相当時、日本の戦争責任に関し「いちいち謝罪するのはいかがなものか」と失言、物議を醸したことも。故島村一郎元衆院議員を父に持つ二世議員。中曽根康弘元首相の秘書を経て国政入りした。70歳。東京都出身。衆院当選8回。(亀井派) http://www.shimamura-yoshinobu.com/

    白川コメント私よりも1期先輩(昭和51年初当選)のため、いろいろなところで一緒に活動する機会がありました。甲高いちょっとカスれた感じ(ハスキーとはちがいますね)の声でよくしゃべります。話が上手で、退屈をさせません。こういうのを江戸ッ子というのでしょうか。

    平成5年の総選挙で自民党が野党になった時、「民主政治研究会」を発足させ、山崎正友氏などを呼んで勉強会を精力的にやったのが島村氏でした。私が創価学会問題を考えるようになったのは、島村氏が代表を務めるこの会がキッカケでした。いま、島村氏は自公連立の問題をどう考えているのか聴いたことはありません。尾辻氏のところでのべた意見書には名前はありません。

    中川 昭一 (なかがわ・しょういち)経済産業大臣(留任)

    (共同通信社マーク)共同評農相を務めた故中川一郎氏の長男で、父親の遺志を継ぎ銀行員から政界入り。党内きっての農水族だが、昨年の内閣改造で経産相に就任し、自由貿易協定(FTA)推進に尽力。政治家として幅を広げた。懸案だったメキシコとのFTA締結を粘り強い交渉でまとめた実績が認められ留任した。超党派の拉致救出議連会長も務めた。51歳。北海道出身。衆院当選7回。(亀井派) http://www.kantei.go.jp/jp/koizumidaijin/031119/09nakagawa.html

    白川コメント初当選の時期がだいぶ違いますし、年齢もかなり違いますので、大学も同じなのですが中川氏とはほとんど付き合いはありませんでした。お父さんは青嵐会の代表的政治家で、いわゆるタカ派と呼ばれる政治家でした。そして、それがまたサマになっていました。

    このお父さんのイメージを引き継がなければならないと思っているのかどうか分りませんが、政治的なスタンスは一貫してタカ派的でしたね。でも端正な顔立ちと若さが災いしてか、お父さんのようにあまりサマにはなっていませんがね。年齢的にも経歴からいっても十分に自民党のリーダーを狙える立場にいるのですが、日本のリーダーをめざす以上、歴史的認識や思想的にあまり偏っているとそれが障碍になるのではないかと私は思います。

    北側 一雄 (きたがわ・かずお)国土交通大臣(初)

    (共同通信社マーク)共同評弁護士時代は消費者金融や悪徳商法の被害対策に奔走。庶民の目線に立った「現場主義」は政治家になっても変わらない。選挙区は違うが、父・義一氏も衆院議員を六期務めた。創価大一期生で「クールな論客」が評。野党時代は金権疑惑を鋭く追及。連立政権入り後も納得できなければ自民党議員と激論する場面も。サウナがストレス解消法。51歳。大阪府出身。衆院当選5回。(公明党) http://www.kitagawa-sakai.org/

    白川コメント個人的にはまったく付き合いがありませんから、その人となりなどを語る資格は私にはありません。でも、一度「朝まで生テレビ」だと思うのですが、公明党問題についての番組で議論したことがあるような気がします。その時の印象として、少なくとも「クールな論客」という印象は受けませんでした。むしろその逆という気がしました。前の公明党出身の坂口厚生労働大臣に比べれば、はるかに党派性を強くもった大臣だと思います。もちろん公明党としての党派性のことです。

    今回小泉首相は、人事について他の人には一切相談しなかったといわれてますが、公明党とだけはシッカリと話し合っているのですよね 。どうしてマスコミはこのことを指摘しないのでしょうか。公明党が今回要求した大臣ポストは経済産業大臣か国土交通大臣でした。私はこれを聴いた時、公明党もいよいよ本丸に手を入れてきたなと思いました。

    経済産業大臣は、日本の経済界に対する影響力を狙ってのことでしょう。国土交通大臣は、自民党の選挙基盤そのものに手を入れることを狙ってのことでしょう。そして、小泉首相は公明党に後者を与えました 。自民党の選挙を支えるのは、都市部は別として地方ではなんだかんだといっても建設業界なのです。自民党も最後はいつもこれを頼りにして選挙をやってきました。

    特定郵便局長会は自民党の最大の選挙マシーンだといわれていますが、選挙の実態を知っている者としては建設業界の力に比べればそれは問題になりません。建設業界こそ自民党の選挙マシーンなのです。ですから、建設業界のウェイトが少ない都市部では自民党は選挙に勝てなくなったのです。こういう地域にもちゃんと特定郵便局はあるのですから、もしこれが自民党の本当の選挙マシーンだとしたら、都市部に弱い自民党にはならないハズです。

    これまでも、東京都や大阪府などでは、議会に多くの議員がいるために、公明党は建設業界にかなりの影響力をもっていました。しかし、議会レベルでみるかぎり、地方では公明党の勢力は決して強くありません。新潟県をみても、県議会では公明党の議員は1人しかいませんし、ほとんどの市議会で1〜2人くらいです。ですから、建設業界は自民党の選挙マシーンでいられたのです。しかし、「これからはそうはいきませんよ」という創価学会・公明党のメッセージが、今回の国土交通大臣の要求だったのです。

    市議会くらいになれば、ほとんどのところに公明党の地方議員がおります。市としては、相変わらず国土交通省に陳情せざるを得ません。市町村として国土交通大臣に直接陳情したかったら、公明党の議員を窓口にしなければできないなどといった、党派性を発揮しなければいいのですがねぇ。北川大臣はその経歴からしても、党派性の極めて強い人ですから、要注意です。

    それから、旧建設省だけでなく旧運輸省も、港湾や空港などの公共事業をたくさん持っている役所なのです。日本の公共事業の大半を支配する巨大官庁のトップを手に入れた創価学会・公明党がこれからどうするか、そして、大事な選挙マシーンに手を入れられた自民党がどうなるか、注目しておく必要があります。

    小池 百合子 (こいけ・ゆりこ)環境大臣(留)

    (共同通信社マーク)共同評環境に関するイベントに積極的に参加、地球温暖化対策や廃棄物の不法投棄対策に尽力、続投となった。負けん気の強さと、ものおじしない明快な口調で、官僚のおぜん立てでなく自分で提案する政治姿勢をモットーにしてきた。中東、イスラム通でアラビア語通訳、テレビキャスターから国政に。保守党などを経て自民党入りした。52歳。兵庫県出身。参院当選1回、衆院当選4回。(森派) http://www.yuriko.or.jp/

    白川コメント私が小池さんに初めてお会いしたのは、「ルックルックこんにちは」というテレビ番組で、小池さんが竹村健一氏のアシスタントをしていた当時でした。竹村氏の担当していたコーナーに私が出演した時です。初当選から間もないころでしたから、いまから20数年前です。

    その後、小池さんはテレビ東京の夜のニュース番組のキャスターになりました。そのキャスターをやめた頃、当時自民党の若手議員で作った自由主義経済推進機構が毎月発行する機関誌『新時代』の巻頭対談のインタービューアーを、小池さんに頼みました。この雑誌の事実上の編集長だった私は、小池さんと一緒にいろんな人(そのほとんどは経済人でした)と対談しました。ですから、毎月1回は最低お会いしていました。3年間くらいお願いしたと思います。

    平成2年の選挙で私は落選しました。そして、平成4年のあの日本新党ブームといわれた参議院選挙で小池さんは当選。平成5年の総選挙では兵庫2区から立候補し、衆議院議員に当選しました。私もこの選挙で復活したので、数年ぶりに再会したわけです。この時は、まさに細川内閣で細川ブーム絶頂期でした。小池さんは、日本新党のプリンセス。一方の私は、落ち目の自民党の一代議士でした。

    ある時、食堂だったと思うのですが、小池さんとちょっと話せるような機会があったので、私は親しく話しかけたのですが、「あら、白川さんですよね」という感じで終ってしまいました。その後、小池さんと話す機会はいくらでもありましたが、私は小池さんとはお話をしていません。小池さんとは一緒の党にいたことがありませんから、小池さんがどういう政治家なのか、私にはコメントできるだけの付き合いはありません。

    なぜこんな小さなことを、男の私が女々しく書いたかというと、政治家が人と付き合う時の基本的な心構えというか、接し方を知ってもらいたいと思うからです。政治家は多くの人々に会い、多くの人々に向かって話をするのが仕事みたいなものですが、だからといって、人との接し方が薄っぺらではダメなのです。時間は短くとも濃密な心を揺さぶる何かがなければ、政治家ではないのです。ましてや、政治家と政治家の付き合いは、時には命がけの戦いをすることにも繋がる、大事な真剣勝負なのです。

    日本新党?新進党?自由党?保守党?自民党(しかも森派)と歩み、いまや環境大臣をされている訳ですから、小池さんの政治家としての嗅覚は鋭いのかもしれませんが、政治家の能力は、これとはまた違います。20年以上前から小池さんを知っている者として、環境大臣として何をやるのか、じっくりとみさせてもらいたいと思っています。

    去る11月5日、環境税なる構想を小池大臣が発表しました。その構想の是非をここで論じるつもりはありません。でも、自動車が排出する二酸化炭素に対しても税をとるというのです。ガソリンなどには、すでに世界一高い税金がかけられているのです。少なくともガソリンなどには新しい税金をかけるのではなく、すでに取っている税金の一部を環境対策に回すべきと私は考えます。実質的には、ガソリン税などの軽減ということになりますが、総額からみたら一割くらいでしかありません。財務省や国土交通省の官僚には遠慮するが、高いガソリン税を払っている国民にはまったく配慮しない環境省の官僚の考えにそっくり乗った構想だと私は感じました。

    細田 博之 (ほそだ・ひろゆき)官房長官(留)

    (共同通信社マーク)共同評福田康夫前官房長官の辞任で急きょ長官に起用された。地味だが、官僚出身の手堅さで内閣のスポークスマン役をこなした。説明を尽くそうと定例会見が長時間に及ぶことも。首相の信任は厚いが、内閣の要として力量も問われる。情報技術(IT)政策に強く、「選挙博士」の異名も。イチローの活躍に一喜一憂する大リーグファンでもある。60歳。島根県出身。衆院当選5回。(森派) http://homepage1.nifty.com/h-hosoda/topframe.htm

    白川コメント平成4〜5年の2年間は、選挙制度の改革が国政の最大のテーマでした。その結果として、現在の小選挙区比例代表並立制という選挙制度となりました。この時期、選挙制度について最も深い知識をもっていたのが、細田氏でした。選挙制度のことは、細田氏に聞けばなんでも分るという程のものです。「選挙博士」というのは本当です。細田氏は通産省の役人だったのですが、まさか通産省で選挙制度を勉強していた訳ではないでしょう。衆議院に当選後、勉強したはずです。このように何でもよく勉強しており、極めて有能な政治家であることは間違いありません。

    大平正芳氏が池田内閣の官房長官だった時(たぶん当時は官房長官は国務大臣ではなかったと思うのですが)、「池田内閣とは、私のことである」といって、池田総理から怒られたという話を聞いたことがあります。官房長官というと内閣のスポークスマンといわれます。それだとしたら、誰が考えたって大平氏は有能な官房長官とはいえないでしょう。また、大平氏もそんな自惚れではないでしょう。

    官房長官のいちばん大変で大事な仕事は、各省庁間の利害を調整し、内閣としての方針を示すことなのです。役所の自己利益の主張というのは、それは凄いものです。しかし、内閣の中のそれぞれの役所が別のことをいっていたのでは、内閣の方針がどうなのか分りませんし、それでは済まされないこともでてきます。それを調整し、内閣としての決断をする。それが官房長官のいちばんの仕事なのです。大平氏が「私が内閣そのものである」といったのは、そういう意味合いでいったのだと、私は思います。

    私が知っている官房長官の中でいちばん凄かったのは、中曽根内閣の後藤田官房長官だったと思います。各省庁間の言い分をよく理解した上で、ほんとにバサッと、切る時は切りました。その切れ味は、カミソリではなくナタでしたね。細田氏は万能選手ですから、各省庁の言い分を正しく理解する力は誰よりもあります。後は、ナタのように切る政治家としての力でしょう。もっとも、今の総理大臣は自分で最初に切ってしまいますから、バラバラになったパーツをどう繋ぎ合わせるか、苦労しているようにもみえます。

    選挙博士という言葉が出ましたので、もう一言。選挙の神様といえば、なんといっても田中角栄氏でしょう。日本全国に人脈をもち、かつ資金力もあり、またセンスも抜群でした。選挙そのものが好きでしたね。田中氏と話をしていると、その半分はいつも選挙の話でした。毛沢東は「権力は、銃口から産まれる」といいましたが、「選挙から、権力は産まれる」と考えていたのが田中氏だったと思います。しかし、田中氏のこの考えは、その通りなのです。

    「私の専門は選挙学」といったのは、竹下登氏です。ですから、どうしたら平成8年の総選挙で勝てるのか、朝から晩までこのことばかり考えていた総務局長の時、私は竹下氏に教えを乞おうとして、事務所を訪ねました。でも、竹下氏は、「白川さん。もう私の出る時代じゃないですよ」と笑って答え、何も教えてもらえませんでした。中選挙区の選挙と小選挙区の選挙は、実は全く違うのです。国会議員の中で、いちばん選挙のことに詳しいのは加藤紘一氏でしょう。細田氏にも、選挙制度の専門家ではなく、選挙の専門家になってもらいたいと思います。政党には、そういう人がいるのです。

    村田 吉隆 (むらた・よしたか)国家公安委員長・防災担当大臣(初)

    (共同通信社マーク)共同評旧大蔵官僚出身で、内閣府副大臣(金融担当)を務めるなど金融通で知られる。故藤井勝志元労相の女婿で、地盤を継承。大蔵省在職中には、フランス留学や中国勤務を経験し、フランス語と中国語に堪能。堀内派の政策委員長で政策全体にも明るいが、「役人の殻を抜け切れていない」との評も。園芸とチョウの採集が趣味。60歳。静岡県出身。衆院当選5回。(堀内派) http://murata-yoshitaka.jp/

    白川コメント昔、こんなことがありました。共同のコメントにある故藤井勝志代議士(労働大臣をされました)に声をかけられ、ある料理屋で、当時大蔵省の役人だった村田氏とお会いしました。奥さんもご一緒でした。一方、私は田中秀征代議士と同道しました。藤井氏は三木派の代議士でしたが、とにかく田中秀征氏と私に来てもらいたいというのです。なぜ田中氏と私に声がかかったかというと、きっと、自民党の憲法調査会で田中氏や私が、自主憲法制定論なるものに反対の意見を述べていたことで、目を付けられたのだと思います。私は3回生、田中氏は1回生の時だったと記憶しています。

    事前には知らせられていませんでしたが、藤井氏は、自分としてはもう引退をしたいと思っているが、女婿の村田氏がなかなか後継者として立候補する決断をしない。ついては、けし掛けてくれないかという会合でした。頼まれた訳ではありませんが、田中氏も私もまったくゼロから出発して代議士になったものです。村田氏に政治への志があるのであれば、藤井氏の地盤があるのだから、何の躊躇もいらないじゃないかというのが田中氏と私の意見でした。しかし、村田氏の決意は固まらず、そうしようということにはなりませんでした。側におられた奥さんも、村田氏が決断できないことに少しイライラしているような感じでした。ですから、田中氏も私も「奥さん。あなたが出たらどうですか」と本気になっていったことを懐かしく思い出します。

    こんなことがあってから、1回見送ったと思うのですが、村田氏は平成2年の総選挙で初当選しました。同じ宏池会に所属していましたので、親しくお付き合いしました。快活で人柄がよく、また正義感をもった政治家です。官僚出身だけに政策にも明るく、期待するところが大きいのですが、私も務めた国家公安委員長というのは、なかなかその手腕を発揮するのが難しい役職なのです。警察大臣ではないので、警察官僚に向かって直接指揮命令はできないのです。

    防災担当大臣というのがどういう権限をもっているのか分りませんが、これも、かつての国土庁長官と同じようなものだとしたら、これまた、災害復旧などについて独自の予算を持ち、災害復興事業が直接できるわけではないのです。各省の予算を使いながら、これを進めていかなければならないのです。国土政務次官をやりましたので、そのもどかしさはイヤというほど味わいました。台風の被害も、新潟県中越地震の被害も甚大です。思い切った災害復旧や災害対策が必要です。財務省と丁丁発止でやりあって、国民に困窮を救い、災害に強いわが国を作るために頑張らなければならないときです。

    凶悪犯罪が多発しています。多くの国民が、日常生活に不安をもつようになりました。「日本は世界でいちばん治安はいい」との神話は、すでに過去のものとなってしまいました。また、今年は多くの災害にみまわれました。こうした時、政治家としての国家公安委員長が何ができるのか、防災担当大臣として何ができるのか、それが問われている時だと、私は思います。

    防災担当大臣としても、国家公安委員長としてもその活躍が期待されています。国民の期待は大きいものがあります。いうならば、舞台は整っています。後は、村田大臣としてどう蛮勇を奮うかということだけです。

    大野 功統 (おおの・よしのり)防衛庁長官(初)

    (共同通信社マーク)共同評東大卒業後、旧大蔵省に入り、主に関税、国際金融畑を歩いてきた。政界に転じてからは郵政、国防、年金と守備範囲を広げ、自民党内屈指の政策通として重宝される存在に。しかし、その器用さが災いしてか、所属派閥の入閣候補の一番手ながら先送りされ、ようやく初入閣を果たした。「いすで仕事をするな」が座右の銘の苦労人。68歳。香川県出身。衆院当選6回。(山崎派) http://homepage3.nifty.com/e-ohno/

    白川コメント口八丁・手八丁というのは、大野氏のためにある言葉といっても好いくらい、よくしゃべり、仕事ができます。演説の中にジョークというか洒落をいれるのですが、こちらはその努力は認めますが、イマイチでした。

    逓信委員会一筋だった加藤常太郎代議士(旧香川県2区選出ー13回当選)の女婿で、その後継者だからだと思うのですが、大蔵省出身でありながら党の通信部会には必ず出席し、その有力メンバーとなりました。当時すでに私は郵政族の準幹部でしたから、大蔵省出身の大野氏が通信部会に入ってきてくれたことを多いに喜び、いろいろと助けてもらいました。

    通信部会のテーマのひとつは、電気通信政策の改革でした。こちらは、通産省とよくバッテングしました。もうひとつのテーマは郵便貯金や簡易保険をめぐる大蔵省と銀行・保険業界との対立でした。私も大蔵委員会には長く所属しておりましたので、ある程度の知識はありましたが、とても大蔵省出身の大野氏に適うはずはなく、本当に助かりました 。いま小泉首相がいう郵政民営化とは、このころの議論とまったく同じです。だから、大蔵族の総理大臣がそのレベルを一歩もでることなく、国政の中心課題としているだけなんだと私は前から指摘しているのです。

    私は国防部会にはあまり出席していないので、大野氏が防衛政策についてどのくらいの造詣があるのか知りませんが、口八丁・手八丁の人ですからすぐ身に付けるでしょう。大野氏の選挙区のライバル、月原茂アキ元衆議院議員(自民党?新進党?自由党?保守党?自民党)は防衛庁出身の官僚でしたから、これと張り合って意外に防衛問題は勉強していたのかもしれません。

    伊藤 達也 (いとう・たつや)金融担当大臣(初)

    (共同通信社マーク)共同評米カリフォルニア州立大学大学院に研究員として留学、米国サクラメント市長や下院議員の政策スタッフを経験して、政界入りした。政策に強い半面、党務の経験が浅く、国会での駆け引きなど調整力は未知数。日本新党から自民党に移った「外様」という事情もあり選挙が安定せず、自民党内や旧橋本派内で立場が確立していないのも弱みだ。43歳。奈良県出身。衆院当選4回。(旧橋本派) http://www.tatsuyaito.com/

    白川コメント日本新党?新進党?自民党という経歴です。若い政治家であり、日本新党も新進党もともに解散したのですから、党を変遷したことをとやかくいうつもりはまったくありません。伊藤氏とは、総務局長として何度か会ったことがあります。

    それは、私が総務局長に就任した平成7年10月時点では、伊藤氏が立候補する予定の東京22区には自民党から立候補する適当な候補者がおらず、私は、旧日本新党出身の議員には事情が許すならばできるだけ自民党から出てもらいたいと思い、日本新党にいた友人を介して何度かお会いし、このことをお願いしたからです。しかし、残念ながらどうしてもダメでした。

    すべての小選挙区から自民党公認候補を立候補させるというのは、加藤幹事長と私の大原則でした。ですから、東京22区から別の候補者の擁立をしなければならなくなりました。しかし、新進党ブームの最中、自民党から立候補しようという地元の候補はなかなか現われてくれませんでした。そこで、私が中心になって進めた公募に合格した進藤勇治君から東京22区に立候補してもらいました。結果は次のとおりでした。

    平成8年総選挙 ─ 東京22区
    当落 候補名 得票数 政党等
    当選
    伊藤 達也
    69,707
    新進・前
    比・当
    山花 貞夫
    63,974
    民主・前
     
    進藤 勇治
    49,837
    自民・新
     
    松田 佳子
    35,762
    共産・新
    比・当
    保坂 展人
    13,904
    社民・新
     
    佐藤 和友
    2,526
    諸派・新

    その後、平成10年に伊藤氏は自民党に入りました。そして平成12年の総選挙では比例区東京ブロックの順位第3位にランクされ、当選しました。一方、東京22区からは進藤君が立候補しました。その結果は次のとおりでした。

    平成12年総選挙 ─ 東京22区
    当落 候補名 得票数 政党等
    当選
    山花 貞夫
    104,132
    民主・前
     
    進藤 勇治
    77,761
    自民・新
     
    鈴木 盛夫
    39,503
    自由・新
     
    岡田 隆郎
    38,318
    共産・新
     
    酒井 松美
    5,635
    無・新
     
    友野 康治
    2,687
    自連・新

    そして、昨年の総選挙ではいわゆるコスタリカ方式で進藤君が比例区に回り、伊藤氏が小選挙区から立候補しました。その結果は、次のとおりでした。なお、伊藤氏は順位4位の重複立候補者であったために復活当選し、新藤君は順位26位の比例候補者であったため、当然のことながら当選しませんでした。

    平成15年総選挙 ─ 東京22区
    当落 候補名 得票数 政党等
    当選
    山花 郁夫
    113,931
    民主・新
    比・当
    伊藤 達也
    105,385
    自民・前
     
    若林 義春
    24,859
    共産・新
     
    佐藤 盛隆
    4,001
    無・新

    なぜ、こんなことをクドクドと書いたかというと、進藤勇治君という一人の政治家を紹介したかったからです。平成8年からもう8年も経っています。そして、自民党がいちばん苦しかった時、我々の意気に感じて自民党に飛び込んできてくれた一人の青年の志を、自民党はまだ成就させていないということを知ってもらいたかったからです。小選挙区制で行なわれた最初の平成8年の選挙の前に、伊藤氏が自民党に来てくれていたら、進藤君には別の政治家としての道を歩んでもらえたと思うと、平成7〜8年にかけて伊藤氏を口説けなかった私の力足らずが悔やまれてなりません。


    進藤 勇治 略歴

    1951年11月1日生まれ 。東京大学工学部卒業、東京大学大学院修士課程修了。工学博士号取得(東京大学)。マサチューセッツ工科大学国費留学。
    通産省 工業技術院 国際研究協力企画官
    自由民主党本部衆議院新人候補者公募試験に合格し、党本部合格者で唯一の党公認を得る。
    現在、府中市 、調布市 、狛江市 、稲城市で活動中。
    自民党東京都衆議院比例区第五支部・支部長。

    自由民主党が野に下った後の村山総理の時代の平成7年12月に、自由民主党本部において衆議院新人候補者の公募試験が実施されました。私はこの試験を受け合格しました。

    そして、平成8年の衆議院議員選挙に際して、党本部公募合格者で唯一の党公認を得た私は、自民党の再生と日本の将来のために、職を辞し、わが身をなげうって出馬いたしました。

    当時の橋本龍太郎総裁のもと、私は自民党の再起をかけ、新進党、民主党らの候補者を相手に激戦の選挙戦を闘いました。


    以上は、進藤君のWebサイト(http://www.shindoyuji.com/)からの引用です。なお、伊藤氏には氏の尊称を付けながら、進藤氏を進藤君と書いたのは、進藤氏が誇りにしている公募の実行責任者として彼に親しみをもっているからです。伊藤氏が国会議員であり、進藤氏が国会議員にまだなっていないからではありません。進藤氏がいずれその志を成就することを願ってやみません。政治家の栄光の陰には、こういうことがあることを知っていただければ幸いです。

    竹中 平蔵 (たけなか・へいぞう)郵政民営化・経済財政担当大臣(留)

    (共同通信社マーク)共同評自民党参院議員のバッジはつけたが、改革路線で党とのあつれきは消えない。だが、小泉純一郎首相とのきずなは固く、内閣の看板として残った。景気回復は「構造改革の成果」と胸を張る。慶大教授から入閣して三年を越え、官僚を動かす術も覚えた。経済財政諮問会議を舞台に、あらゆる経済問題に関与するが消化不良との声も。53歳。和歌山県出身。参院当選1回。(無派閥) http://web.sfc.keio.ac.jp/〜heizo/

    白川コメント私は竹中氏にはお会いしたこともありませんから、コメントはしません。皆さんの方がよくご存知でしょう。

    村上 誠一郎 (むらかみ・せいいちろう)行政・規制改革担当大臣(初)

    (共同通信社マーク)共同評衆院大蔵委員長、財務副大臣などを歴任。小泉純一郎首相が進める郵政民営化には批判的で、首相の「踏み絵」発言に反発してみせた。閣内でも歯に衣(きぬ)着せぬ発言を貫けるか。故河本敏夫元通産相の秘書から政界入り。曽祖父、父も衆院議員を務めた政治一家。待望の初入閣を果たした。岡田克也民主党代表の義兄。52歳。愛媛県出身。衆院当選6回。(高村派) http://sei-murakami.web.infoseek.co.jp/

    白川コメント村上氏とは、彼の当選前から親しく付き合っていました。何度か彼の選挙区にも応援に行きました。私のもっとも親しい国会議員の一人でしたし、彼もまた私の政治活動を助けてくれました。特に細川内閣と対峙して自社さ政権をつくる時は、私と一緒になってその理論面やら活動面で私をサポートしてくれました。

    経済問題に明るく、財政には一家言をもっており、いつも私を口説いていました。私は村上氏のいうことが正しいのかどうかについて判断する力はありませんでしたが、官僚の経済政策や財政運営はなっていないと悲憤慷慨していました。そして、この十数年間、日本の経済は最悪になり、財政破綻の一歩手前まで来ているのですから、きっと正しかったのでしょう。

    村上水軍の末裔だということを誇りにしており、体もでかいですし、馬力もあります。好漢です。でも、行政・規制改革担当というのは、村上氏の得意な分野ではないような気がするのです。しかし、能力はある政治家ですから、きっと何かやってくれると期待しています。有能な人物というのは、いつでもどこででも仕事ができるものですし、また、仕事をしなければならないのです。

    就任早々、ダイエーの再建という国民の多くの人々が関心をもっている大きな問題に取り組まなければならなくなりました。産業再生機構というのは、一体何のためにできた役所なのか分らないところがあります。ここは、村上大臣として思い切って辣腕を振るい、産業再生機構の存在価値を世に示すいい機会だと思います。ガンバレ、村上水軍!

    棚橋 泰文 (たなはし・やすふみ)科学技術・IT担当大臣(初)

    (共同通信社マーク)共同評東大卒業後に通産省に入省、その後弁護士事務所を開いて中華航空機事故被害者弁護団に加わるなど人権派弁護士として活躍した。旧橋本派のホープとして期待される。自民党青年局長として党改革に取り組み、定年制や候補者公募制の導入を提唱。昨年九月の党総裁選では世代交代を訴え、独自候補擁立に動いた。41歳。岐阜県出身。衆院当選3回。(旧橋本派) http://www.jimin.jp/jimin/giindata/tanahashi-ya.html

    白川コメント端正な顔立ちと同じように、すべての面において端正な政治家です。当選回数も違い、年齢も離れていますから、あまり付き合いはありませんでした。父君は、通産事務次官もされた通産一家です。科学技術・ITを担当する能力を十分もっていることは間違いありませんが、政治家としてこうした分野にどういう足跡を残せるのか、ナタをふるえるか。何といっても3回生ですからねぇー。

白川勝彦

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