これまでに、フランス国民議会の報告書などをもとに、「カルト」の本質が、最終的には公権力への浸透を目指そうとする、「“宗教”の仮面をかぶった全体主義」であるという説明をしてきました。
こうした状況は既に自・自・公以降の政局では、池田大作(=創価学会・公明党)が事実上の「ウラの総理大臣」となって、99年中の一連の戦争法案の可決に貢献し、さらには、個人情報保護基本法の名のもとに、表現の自由を抹殺する“言論弾圧法”の成立に向けて手を貸していることからも、明らかでしょう。
実際、池田大作の側近中の側近で、現在も公明党をコントロールする学会本部の「組織センター」の最高責任者の1人である野崎勲(政治・謀略担当副会長)は、関係者によれば、宗門の乗っ取りを目指した第1次宗創戦争(1977年〜79年)を仕掛ける直前、内輪の席では、はっきりと次のように言っています。
「宗教団体の衣を着て、池田先生の天下取りがある」
ここで野崎自身が「宗教団体の衣」とはっきり明言しているように、所詮、“宗教”とは「池田先生」が政治権力を奪取するための「衣」(=これはまさしく「仮面」という言葉に置き換えてもいいと思いますが)でしかないわけです。
こうした流れを受け、では、実際に「創価学会=公明党」において、唯一無二の「最高指導者」であり、かつ「グル」、「生き仏」、「妙法の当体(=「妙法」、つまり“仏法の真理”を体現する人)」とされる池田大作が、いかなる形でその絶対的な権限を組織内で行使しているか、ということにスポットを当て、これから具体的に見ていきたいと思います。
「全体主義」の定義は、個々の政治学者によって、さまざまの見解があろうとは思いますが、私なりにわかりやすく説明しますと、「一人のカリスマ的リーダーの指揮のもと、完全な上意下達の指揮命令系統が確立された独裁体制」ということだと思います。
戦前のナチス・ドイツを見てもわかる通り、一般的に独裁体制下においては、神格化されたリーダー(ヒットラー)に対してはもちろんですが、民衆を支配する体制(ナチス政権)への批判もタブーとされます。
すなわち、「全体主義」とは、一つの体制(全体)の中で個人という存在を埋没(もしくは溶解)させていくことで、一握りのリーダー(もしくは唯一の指導者)にロボットのように服従させていく統治システムということだと思います。いわば、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に描かれている世界でしょう。そして、そこでは当然のことながら「自由意思の尊重」とか、「批判精神」といったものものは、一切、認められません。
まあ、思想的には、全体主義(ファシズム)とは、リベラリズム(自由主義)とはまったく対極に存在するものですが、この「全体主義」に「宗教の仮面」をかぶせることで、池田大作さんが「天下取り」という己の胡散臭い欲望を隠すための“アクセサリー”が、いわば「宗教法人・創価学会」という看板でしょう。
ある組織なり、国家のシステムを分析するとき、権力を握っているリーダーがどのようなキャラクターを持っているかというのは、非常に大きなポイントだと思います。
例えば、いま、社会で「カルト」とみなされているグループが最初から「カルト」だったわけではないと思います。
私は統一教会に関してさほど深く研究したわけではないのですが、例えば、『「救い」の正体。』(別冊宝島461)という本に、統一教会の日本での草創期に伝道師を務めた西川勝氏(現在は脱会)のインタビューが掲載されています。
このレポートを読んでいくと、この西川氏に代わって、統一教会の文鮮明が日本での実権を掌握する過程を通して、文鮮明に対する盲目的な服従を強いたり、法外な御布施を請求するようになったこと、つまり、統一教会の「カルト化」が進んだことが読み取れます。
私の取材では、創価学会を見ていくとき、確かに第2代会長・戸田城聖の時代に、既に「カルトの萌芽」というものがなくもありませんが、「宗教」を「政治」に従属させることで、創価学会が「カルト化」の道を一気に突っ走ったのは、やっぱり、池田さんが第3代会長に就任し、学会内部での実権を完全に握ってからだと思います。
そして、池田さんが「権力の魔性」に取りつかれ、「宗教者としての初心」を失っていくにつれ、創価学会の「カルト化」がより徹底されていった、ということではないでしょうか。
池田大作を頂点とする“創価全体主義”のシステムを分析する前に、とりあえず、池田大作と組織との関係を整理しておきたいと思います。
これまで、いろいろと週刊誌等では、「創価学会」と「公明党」との関係を、「創価学会は公明党の“指示”母体」であると繰り返し説明しています。
確かに、日常の現象面においては、公明党議員の選挙は学会サイドが全部、取り仕切っているわけです。そして、実際に池田の決裁を仰ぎ、公明党をコントロールしているのは、組織センターの首脳である秋谷栄之助会長・野崎勲副会長のラインなのですから、まさに「創価学会は公明党の“指示”母体」という表現は「言いえて妙」なのです。
ところが、そこから先にもう一歩踏み込んで、「池田大作」という個人から見て、「創価学会」と「公明党」は一体、どんな関係にあるのか、ということを見ていった場合、両者の関係というのは、実は非常に難しいものがあります。
と、いうのは、池田大作にとっての最終目的は、カルト(特に巨大カルト)のリーダーがそうであるように、公権力を掌握すること、つまり「天下を取る」ことです。
そして、これまでに見てきた通り、「カルト」とは、「宗教の仮面をかぶった全体主義」のことですから、いみじくも田中角栄が池田大作のことを「法華経を唱えるヒットラー」だと看破したように、池田さんという人は、“宗教者”の仮面をかぶりながも、本質的には「政治家」です。
池田大作の「天下を取る」という戦略が、ヒットラーがナチスを率いて台頭し、政権を掌握していったように、それが議会制民主主義の枠内で行われるという前提に立てば、池田さんの権力の源泉とは「公明党国会議員の頭数」ということになります。
となると、「コロンブスの卵」の議論ではありませんが、池田大作にとっての政権奪取の主体は、あくまで「公明党」であって、池田さんという個人から見た場合、「創価学会」という宗教法人は、池田さんが票をかき集めるための“道具”にすぎない、ということになります。
そういう視点から、創価学会と公明党の関係を見ていくと、「天下取り」を目指す池田さんにとっての「主体」はあくまで“公明党”であって、「従属物」は“創価学会”と捉えることもできます。
最初から、こんなわかりにくいことを申し上げて、非常に申し訳ありませんが、ここで私が言いたかったのは、池田大作という個人から見た場合、「創価学会」という“容器”が決して絶対ではない、ということです。
あくまで絶対的な存在は「池田先生」という個人であって、「池田先生」から見れば、「創価学会」も「公明党」も天下取りのための道具にすぎない、ということです。もし、万が一、何かが起こった場合、池田大作から見れば、創価学会も公明党も、「トカゲのシッポ」のように、いつでも切り捨てることができる存在でしかないのです。
これはある元学会幹部から聞いた話ですが、池田さんが秘かにいちばん恐れているのは、「公明党が自立してしまうこと」なのだそうです。
全共闘の学生運動が華やかかりし頃、池田さんは青年部に指示して、“創価学会版全共闘”である「新学同(新学生同盟)」を作らせていますが、これは、将来、公明党が政権与党入りした時に、池田さんの手を離れて、コントロールが効かなくなった場合、学生たちが街頭デモに繰り出して、国会(=公明党)を包囲する、という発想で立ち上げたのだそうです。
もし、本当に公明党が「創価学会=池田大作」と政教分離しているというなら、神崎や冬柴が、例えば、創価学会の文化会館などにある“池田専用施設”の部分に、なぜ、宗教法人法に保障された“免税特権”が与えられて、固定資産税が非課税となっているかを国会の場で追及し、池田大作を証人喚問の申請をするぐらいでないと、ウソでしょう。口先だけの「政教分離」でしたら、オウムや九官鳥でも言えるわけですから。
実は、公明党議員の選挙を創価学会の丸抱えにさせるのもここに理由があります。
もし、公明党議員が独自の個人後援会を作り(もちろん、だいたいどの公明党議員も表向きは個人後援会の看板を掲げていますが)、独自に票をかき集める動きに出た場合──具体的には議員の総獲得票数の3分の1以上ですが──は、池田さんは躊躇なく、潰しに出るというのです。つまり、公明党議員は常に、学会票の“依存”を受けていないとダメなのです。
ですから、常に公明党議員に対しては「オマエはいったい誰のおかげで(つまり、“創価学会=池田先生”のおかげということですが)当選できたのか」とプレッシャーをかけ続けることで、常に公明党議員の反逆の芽をつみつづけているというのか、絶えず自立心を削ぎ落としているわです。こういう現象も含めて、私は「池田大作=創価学会・公明党」が、「反リベラル」、つまり「全体主義」そのものであると指摘しているのです。
話を、池田大作と「創価学会・公明党」との関係に戻しますが、第1次宗創戦争(52年路線)のごたごたで、時の日蓮正宗法主・細井日達上人から「会長辞任か、破門か」の二者択一を迫られた池田大作は、仕方なく「創価学会第3代会長」の職を辞し、「名誉会長」という一歩退いたような名前の職に就くことになります。
ところが、内部関係者によりますと、この時点で、学会の内局のエリートたちは、「池田先生」を守るために、「公明党の解散」はもちろん、「創価学会の解散」というところにまで踏み込んで真剣に議論している、というのです。
池田をよく知る元側近は私にこう証言しています。
「池田の信奉者たちは、ギリギリのところ、公明党も創価学会も解散させて構わないハラでいます。『池田先生さえ無事であれば、自分たちは新しい組織のもと、再び党を作って、今度は誰にも気兼ねすることなく、暴れまくってやる』。こうした決意は既に52年路線の時に固まっていましたから。反学会系ジャーナリストや共産党の批判にやり方を見ていると、『城を攻め落とせば、城主も滅びるだろう』という計算のようですが、それはまったくの幻影なのです。城が炎上したときには、既にそこに城主はいないのですから」。
実際、「池田大作=創価学会・公明党」を取材してくと、何というのか、新鮮な驚きの連続なのです。「事実は小説より奇なり」と言いますが、あの組織というのは、(いちおうそれでもタテマエ上は)民主主義の形態を取っている日本における「民主主義国家内・チョー独裁国家」ともいうべき存在なのです。
こうした形で見ていきますと、学会員の中でも、忠誠心の強い人たち、つまり、選挙のブロック台帳で言うところの「Aランク」の人たちですが、彼らの忠誠の対象は、創価学会や公明党といった組織ではないのです。あくまで忠誠の対象とは「池田先生」という個人なのです。
私も含めて、一般有権者の目から見ると、例えば、自・自・公路線の確立にしても、「昨日まで大げんかしていた敵(=自民党)と、どうしてあっさり組めるのか。学会員の間に議論とか、動揺はないのか」と思ってしまいますが、実際に学会員の人に話を聞きますと、ほとんど、動揺といったものはありません。
でもって、「なぜ、そうなのか」という質問をすると、例えば、次のような返事が返ってきます。
「それは、公明党は池田先生の作られた政党だから。池田先生の言っていることを信じていれば、間違いない」
つまり、“神聖不可侵”なる「池田先生」が作られた政党だから、「公明党のやっていることに間違いはない」という論法なのです。
これを聞いた私は、思わず腰が抜けそうになりました。水戸黄門の印籠ではありませんが、「池田先生」という切り札を出すと、「ははーっ」と思考が停止し、みんながひれ伏してしまうあの感覚に酷似しています。
また、あるとき、学会関係者と話していて、こんなことがありました
「池田先生がおられるところが、実は本部なのです」
私は思わず、「エッ」と驚きました。通常、「本部」といえば、東京都新宿区信濃町にある「創価学会本部」を指しますが、池田大作はいつも信濃町の学会本部に詰めているわけではありません。秘書役である第一庶務のスタッフを引き連れて、東京・八王子の創価大学をはじめ、全国各地の会館、研修所にある池田専用施設を泊まり歩いていますが、つまり、「学会本部」とは、常に「池田先生のいる場所」なのです。
池田が創価大学に行けば、そこが「学会本部」となり、熱海の研修道場に泊まれば、そこが「学会本部」となるのです。
まさにこれなど、毛沢東の中国共産党をほうふつとさせる、“法治主義”ならぬ“人治主義”の真骨頂ですが、こうしたエピソードも、学会内部における「池田独裁体制」を象徴する一コマ、といえるのではないでしょうか。
池田独裁体制のポイントをひとことで説明するならば、それは「(池田大作は)常に絶対的な権力を行使するが、責任だけは絶対に取らない」ということだと思います。そして、その要諦は「オモテの権力に就かない」ということでしょう。
例えば、創価学会において、法律上の最終責任を負うのは、「理事長は宗教法人創価学会における代表役員を兼務する」(創価学会会則第14条の2)と規定されている現・理事長の森田一哉です。
しかし、1億7500万円もの大金の入った金庫を側近が外に放置して、マスコミから叩かれたり、また、政教一致を自民党あたりから突かれて、国会に証人喚問を要請されたりと、「世間をお騒がせした」として、道義的、社会的、そして政治的責任を追及される場合があります。
そのような場合に、矢面に立たされるのが、創価学会会則第9条で「この会を統理する」と規定されている創価学会会長(=秋谷栄之助)です。
だとすると、組織機構上のトップは秋谷会長ということになろうかと思います。
ですが、秋谷さんが学会内部の最高実力者だと思っている人は、地球上のどこを探してもいません。
創価学会におけるドンは、「この会は、総務会の議決に基づき、名誉会長を置くことができる」(創価学会会則第7条)としか規定されていない、「名誉会長」なる職にある人です。そして、この「名誉会長」の条項には、負うべき責任の範囲、権限、任期等の説明は、一切、言及してないのです。
つまり、もっぱら学会内部で権限を行使するのは、この「名誉会長」なのですが、権限を行使することに伴って派生する「責任」(特にここでは最終責任ということですが)を取らされるのは、既に説明した通り、「理事長」もしくは「会長」なのです。ですから、国会から証人喚問を要請されれば、秋谷さんが“人身御供”として、差し出される、というわけなのです。
これは公明党においても同様のことが言えます。
ちょっと自慢めいた話で、大変、恐縮なのですが、拙著『シンジケートとしての創価学会=公明党』におきまして、藤原弘達氏や内藤国夫氏といった学会ウオッチャーとしては先輩の方々が、(おそらく)一度も触れていないであろう、ささやかな“スクープ”を書きました。
というのは、「池田大作はこれまでに一度も公明党の役員はおろか、党員だったことすらない」という衝撃的な事実(笑)です。
実は、藤原弘達氏が1969年に出版した『創価学会を斬る』に対する言論出版妨害事件を起こすまでは、創価学会の幹部は、おおっぴらに公明党の役員を兼職し、名実ともに「政教一致」を地で行っていました。が、事件後は、こうした兼職を禁止。とりあえず、「政教分離」のフリをしてきたのです。
ところが、奇々怪々なことに、1964年の公明党創設の時点ではもちろん、その前身の公明政治連盟を1961年に発足させた時点に遡っても、池田大作は一度も「公明党委員長」や「公明党書記長」といった役職はおろか、なんと「公明党員」だったことさえないのです。
でありながら、池田さんは、公明党に対し、党の規約や党則には一切出てこない、その「公明党創立者」なる肩書きで完全に支配下に置いているのです。
これは、実に不可思議な現象です。
というのは、これまで「独裁者」であったヒットラーでもちゃんと「ナチス党員」だったし、スターリンも「ソ連共産党員」、また、宮本顕治も「日本共産党員」です。田中角栄ですら、ロッキード事件で逮捕されてからは、形式上は自民党を離党して無所属になりましたが(ですから“闇将軍”と言われたのですが)、それまでは当然、「自民党員」でした。
こうした前例と比べても、正式な「党籍」を一度も持たない人間が、党外から一つの政党をコントロールするのは、史上例を見ない“怪挙”といえるのではないでしょうか(笑)。
話を戻しますと、池田大作という創価学会・公明党における最高指導者は、実際には絶対的な権力を内部で行使しながらも、このように「オモテの権力」に就いていないわけですから、いくらマスコミや野党がギャアギャア騒いだところで、少なくとも本人は「責任を感じる必要はない」わけですし、周りもその責任追及が難しいのです。
そして、そういった責任(尻ぬぐい)は、あまた大勢いる、「池田先生」をお守りする側近たちが全部かぶってくれるわけですから、こんなキラクな立場はないでしょう。
このように、池田さんが「闇の法王」というべき立場に隠れていったのは、1969年から70年にかけての「言論出版妨害事件」がきっかけです。
もちろん、当時は池田さんは「創価学会第3代会長」でしたが、実はそれまでは「宗教法人・創価学会」の責任役員を務めたり、一時期ではありますが、代表役員にも名を連ねていて、当初は「オモテの権力者」として、責任の所在がはっきりしていました。
ところが、言論出版妨害事件では、「人間サンドバック状態」と呼ばれるほど、すさまじいばかりの批判を池田さんは受けました。まず、この時点で、オモテの権力に就くと、その権限を行使したことに伴う責任を追及されることの怖さを身を持って感じたのではないかと思います。
でもって、こうした考えが決定的になったのは、1976年にロッキード事件で田中角栄が逮捕されたことだといわれています。
角栄逮捕について、池田大作は、内輪の席でこう漏らしています。
「田中角栄はああなって失脚したが、自分はその轍は踏まない」つまり、この発言の真意とは、「オモテの権力に立つとやられる」ということです。
ですから、第1次宗創戦争(52年路線)の敗北で、当初は不本意ながら就いた「名誉会長」職だったわけですが、しかし、池田さんにとっては、これで立場上は「責任を取らなくていい」ことになったわけですから、デメリットばかりでもなかったのです。
こうやって、池田大作を頂点とする創価学会・公明党というシステム見ていきますと、「池田大作に責任を波及させない」、つまり、「池田先生を守る」ということが徹底していて、何というのか、驚きを通り越して、“ギャグ”としか思えない話が次々と出てきます。
例えば、自社さ時代に自民党が中心となって、徹底した新進党攻撃をやった際に、旧公明党系議員を中心に、国会内でピケを張り、目を血走らせながら「絶対に池田先生を守る」と踏ん張る光景を見て、失笑を漏らされた人も多いかと思います。
ここでいかに議員たちが「池田先生の証人喚問阻止」へ向けて、どれだけ体を張ったか、つまり、それが「忠誠心の深さ」ということですが、こうした行動が学会内部においては、大きな査定ポイントとなります。
昨年6月の総選挙では、自・公での選挙協力が進む中で、経世会(旧小渕派)の議員を中心に、『人間
池田大作』という“先生礼賛ビデオ”を見る勉強会をあわてて開いたことが、写真週刊誌等で報じられていましたが、これも、個々の自民党議員がどれだけ池田先生に対して、忠誠を誓っているかを判断する材料になります。
そして、こうやって、先生の足の裏を嘗めるように擦り寄ってくる議員には、“学会票”というプレゼントが待っているわけです。
また、内部関係者によれば、学会本部というところは、日本の官僚組織のように、文書による決裁システムを導入していて、政局の分析や宗門の動向を始めとして、重要な情報は文書で池田大作の元に届けられるそうです。
池田さんはこれらにさっと目を通し、例えば、政局にかかわる報告であれば、具体的な処理を執行部に任すのか、さらにもっと細かい報告を要求するのか、といった指示を矢継ぎ早に出します。
ですから、例えば、学会内部の最高執行会議で検討され、決議された事でも、池田大作の決裁(だいたい赤エンピツで具体的な指示の書き込みがなされるか、「了承」したことを示す「〆」のサインが入ります)がないと、実行に移せません。
したがって、緊急案件でも、池田さんの決裁が下りるまでは、学会首脳の秋谷さん、野崎さんといえども、ブラブラしながら待っているしかないのです(もっとも決裁が下りても、往々にして、池田さんの動物的カン、もしくは気まぐれで、口頭で指示がコロコロ変わることも珍しくありませんので、側近は心の休まるヒマがないといいます)。
これはある元学会幹部の人から聞いた話ですが、日中国交正常化にあたって、公明党の竹入義勝委員長(当時)らの訪中団が北京を訪れていますが、実は、中国共産党でもまったく同様のシステムで、毛沢東のGOサインが出るまでは、何も実行に移せないため、側近が手もちぶたさにブラブラしていた光景を見たといいます。
これを見た公明党の関係者が「なーんだ、ウチの学会本部とまったく同じじゃないか」と、思わず感想を漏らしてしまった、とのことです。
そこで実に面白いのが、こうやって池田大作に提出される文書は、必ず、宛て先が「空欄」になっている、ということです。
というのは、万が一、脱税事件でも起こって、捜査当局からガサ入れを受けて、関係書類が押収されても、その責任が池田大作に及ばないようにするための“知恵”なのだそうです。つまり、こうした報告事項を池田大作は「知らなかった」と言い逃れさせるために、ということです。これを見ても、「池田先生をお守りする」ということが、いかに徹底しているかがわかるでしょう。もはやここまでくると、ベルを聴いただけでヨダレを垂らすパブロフの犬のように、条件反射ともいうべき“動物的忠誠心”のレベルに達しているといえるのではないでしょうか。
(つづく) |