8/1 進退従命、栄辱委人 (その1) | 8/7 迫り来る自公保体制の危険 (その2) | 8/22 戦略戦術上の総括 (その3)
─ 進退従命、栄辱委人 (その1) ─1. 進退は命に従い、栄辱は人に委ねる 昨年の総選挙直後から考えていた、参議院選挙を終えました。結果は、残念ながら完敗でした。いまは、この事実を厳粛に受け止めるしかありません。 しかし、私には悔いは全くありません。私がこの選挙戦を通じて主張したことは、誰かがいわなければならないことであったし、現時点では私しかいえないことであったと確信しています。だから私は、決起したのだし、戦ったのです。 戦いに臨む者にとって大切なことは、この戦いを行う価値があるかどうかということであり、勝つことができるかどうかではないのです。私はいつもそのように考えてきました。「進退は天命に従い、栄辱は世人に委ねる」と教えてくれたのは、私の政治の師 ─ 大平正芳首相でした。 戦いは、天の時、地の利、人の和が整ったとき、勝利することができるといわれます。残念ながら、今回の戦いは、このいずれにも恵まれませんでした。極めて困難な中での戦いを余儀なくされました。しかし、どんな困難に遭遇したときも、私の戦いへの決意は揺らぐことはありませんでした。そして、全力で戦いを行ってきました。 私の決起や行動を狂気と受け取った方が多くいました。それは最初から覚悟していました。いろんな鬼がでました。いろんな蛇もでました。でも、それはこのような戦いの場合、仕方がないと覚悟していましたので、あまり気にしないことにしました。私が戦わなければならない敵があまりにも大きすぎるのですから、それは寂しいことですが、仕方のないことなのです。 半年間におよぶ長い戦いの中で、いろいろな裏切りや背信に意気阻喪することよりも、いろんな人に出会い言葉では表せない力強いお力をいただいたことを、私は感謝しています。たった一人でも、敵陣に突っ込むことを覚悟した者にとっては、どんな助力もありがたいのです。人の情けのありがたさを感じながら、この半年間を過ごしてきました。 私の行動を狂気という人に、私が返す言葉はただ一つしかありません。憲法が最も大切な自由として保障している「信教の自由」が、自民党や創価学会・公明党によって公然と踏みにじられていることに、あなたは無関心でいられるのですか。誰がために鐘はなる ─ あなたの自由も、必ず踏みにじられるときがくるということです。 3. 政教分離を守る戦いに悔いはなし 私の戦いは、敗北しました。それはそれでいいのです。笑いたい人には、笑わせておいたらいいのです。私がどうなろうが、そんなことはたいした問題ではありません。兵士が国家のために死をいとわないように、政治家が国家や国民のために戦い、敗れて海の藻屑になろうとも、それは使命なのですから。私が最もいま憂いていることは、“この日本という国は本当に大丈夫なのだろうか”ということです。 わが党の当落がなかなかでないので、朝まで開票速報をみていました。その間に当選した自民党の候補者が、「小泉総理の構造改革を進める」といっているのをみて、これは漫画だと思いました。小泉首相のいう「聖域なき構造改革」というのも、単なる言葉の遊びに過ぎませんし、これを支持するというのも、言葉の遊びにしか過ぎません。また、全く具体的な中身のない「改革」という言葉に狂喜乱舞した、多くの有権者がいたということです。 私にとっては、こういうことの方がはるかに恐ろしいことなのです。これに比べたら、私の狂気など可愛いものです。私は、憲法の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という政教分離の原則を守ろうと主張しただけなのです。もし、私の主張することが意味のない不必要なことだという人がいたら、お目にかかりたいと思っています。 4. 自公保体制は、ひとつのファシズム 参議院選挙が自民党の大勝に終わり、わが党がいっていたとおり「自民党が伸びれば、経世会が殖える」という結果になりました。中曽根元首相や野中元幹事長の高笑いが、私にはハッキリと聞こえます。また、多くの選挙区選挙で、自民党の候補者が創価学会・公明党の推薦を受けたことにより自公保体制は、ますます固まりました。 自公保体制は、いまや一つのファシズム体制となりつつあります。ファシズム体制の中で、自由がどのようになっていくのか、民主主義がどのようになっていくのか。それを予測することは、そんなに難しいことではありません。長引く不況の中で、国民がそのようなものを選択することは、あり得ます。しかし、全体主義的な体制の下で、経済が発展したこともないし、国民の自由が拡大した例も、歴史上ありません。日本だけは例外だいうのは、慢心か無知かのどちらかでしょう。 経済的発展のためにも、自由が必要だということを国民は忘れたのでしょうか。それとも、そのことに気が付いていないのでしょうか。国民の幸せも、国民の冨も、国から与えられるものではないのです。それは、国民が自らの努力によって掴むものなのです。そのために、自由は絶対に必要な条件なのです。自由があるからといって、人は幸せになれるわけでもありませんし、豊かになれるものでもありません。しかし、自由がなければ人は幸せになれることもないし、自由のない国が経済的に発展することも絶対にありません。 私がこの戦いで主張したのは、このことだけです。このことが理解されなかったことが残念ですが、それが国民の選択だというのならば致し方ありません。ただ、私のこの信念にいささかの揺らぎもありませんし、私は自由のための戦いを止めません。当面は、このサイトを通じての戦いになりますが、事情ご賢察の上、今後ともご支援をお願い申しあげます。 2001年8月1日 [付言] 今回は総論的・情緒的な感想を書きましたが、順次、戦略的・戦術的な総括をしていくつもりです。なお、私と一緒になって戦った宮崎学氏が、彼なりの総括をしています。ご紹介します。「参院選挙は完敗であった http://www.toppa.org/2001-7/010730.html 」 |
─ 迫り来る自公保体制の危険 (その2) ─1. 自公保体制の中での選挙 私は、今回の戦いを“自公保体制に対する戦い”と考えていましたが、今回の選挙を戦って感じたことは、すでに自公保体制はあらゆる分野で固まっており、自公保体制という、一つの全体主義体制の中における戦いを余儀なくされたということです。 その一つが、自公保体制のマスコミ支配ということです。いまや、マスコミは自由でもなければ、中立でもありません。自公保体制の中に完全に組み込まれてしまっています。これは、自民党の単独政権時代にはありえなかった現象です。もちろん、その中心的役割を果たしているのが、創価学会・公明党であることは、いうまでもありません。創価学会・公明党がその圧倒的資金や組織力でマスコミ支配を狙い、そのために継続的に力を注いできたことは、ここで詳述する必要はないでしょう。 今回の小泉フィーバーや「聖域なき構造改革」呪縛も、実は、体制の危機を感じた自公保体制が意識的・組織的に仕掛けたものと思わざるをえません。4月からの常識を超える小泉首相・田中外相の露出作戦、無批判な「構造改革煽り」など、これまでの報道やジャーナリズムではおよそ考えられないことです。これが選挙期間になると、わが党をはじめとする少数政党の徹底的無視という、これまた、これまでの選挙では考えられない報道姿勢に終始しました。 高度情報社会ということがいわれて久しくなりますが、残念ながら、現在の選挙ではテレビ・新聞を中心とするマスコミの影響が圧倒的に大です。これは、今回の選挙結果を見ても明らかです。わが党は、あたかも体制翼賛選挙の中における非推薦の政党・候補者として戦わなければなりませんでした。私は、高度情報社会ということを信じて、インターネットなどを駆使して戦いましたが、残念ながら、マスコミ中心の選挙であることを覆すことはできませんでした。 今回の参議院選挙から、比例区は非拘束名簿方式に変わりました。この制度に変わった時から、多くの人々は“7割近くは個人名による投票になる”と予測してきました。マスコミなどの世論調査でも、個人名で投票するという回答が、7割近くありました。私もそう思ってきました。しかし、結果は、7割が政党名で投票しました。一つには、政府やマスコミの新制度に対する広報が圧倒的に不足していたことが否めません。このような大きな制度改正があった場合、これまで、政府やマスコミは意味もなく周知徹底に努めてきたものです。 これとは別に、良くも悪くも、20年近く党名を書くという習慣が染み付いていたのかもしれません。しかし、それはそれとして、社会全体から急速にに、「個」を大切にするという風潮がなくなりつつあるのではないかという気がして、しょうがありません。これだけ、価値観の多様化とか個性の尊重ということがいわれている昨今ですが、政治的には、個人を尊重する・個人の意思を至上のものとする、ということが確立されていないということです。逆のいい方をすれば、個が頑固に確立されていない、ということでしょう。 こんな中、個が確立されているとは思われない創価学会・公明党の投票行動が、7割近く、見事に統制された個人名による投票であったことは、矛盾というか、皮肉であったと思います。歴史は、最初は悲劇として、2回目は喜劇として現われるといいます。3年後の参議院選挙では、どのような投票行動になるのか興味があります。自由主義社会の政治が、個人を中心として組み立てられていることは、いうまでもありません。 3. 自由人よ、武装せよ! いずれにせよ、今回の参議院選挙を通じて、自公保体制がいままで以上に固まり、この体制は、ひとつの全体主義的なものとして、国民に迫ってくるでしょう。選挙戦の最中、「小泉首相も、本当は公明党との連立に反対なんでしょう」などという、何ら根拠のない期待の声をあちこちで聞きました。「だから、自民党を勝たせるのだ」という人も、結構いたのではないかと思います。ですから、私はこういうのを、アバタもエクボだというのです。 小泉氏は、自公保体制にただの1回も疑問を呈したこともありませんし、自民党が単独過半数を制したら、公明党との連立を解消するなどといったこともありません。小泉氏は、公明党の推薦を受けた自民党候補者のところにあれだけ応援にいったのですから、彼が公明党との連立に反対などということは、まったく根拠のない、期待にしか過ぎません。また、せっかく政権の中に入り込んだ公明党が政権から離脱するなどということは、期待するほうが甘いといわれてもしょうがないでしょう。 これまで、いろんなところで述べてきたように、自公保体制の根本的な問題点は、自由ということに本質的に反するということです。憲法がもっとも大切な自由として国民に保障しているものが、「思想・良心・信教の自由」です。公明党の政権参加は、信教(=信仰)の自由を徹底するために設けられた「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」(憲法20条1項後段)という政教分離の原則に明らかに抵触するものです。 この原則をおろそかにする体制が、国民の自由というものをないがしろにすることは、疑う余地がありません。自公保体制が進める、マスコミに対する攻勢・管理・支配、個人情報保護法という美名でわが国のコンピュータをすべて管理しようとしていること、憲法9条改正と有事法制制定などにみられるように、わが国の自由は危殆に瀕しつつあります。しかし、自公保体制は、自らその非に気が付くということはなく、行くところまで行くでしょう。 かなり恐ろしい事態が刻一刻と迫っている、と私は考えざるをえません。残念ながら、わが国の自由の力は、それほど強いと楽観できるものではありません。自民党の中のリベラル派もすでに殲滅されて、見る影もありません。いま、あらゆる分野に散在する自由人が、小異を捨てて、大同につかなければなりません。一人の自由主義政治家として、私は訴えます。 自由人よ、武装せよ! 2001年8月7日 |
─ 戦略戦術上の総括 (その3) ─1.
数値
3 : 「新党・自由と希望」の都道府県別の得票数と得票率は以下のとおりです。
都道府県の中で、最も得票率の高かったのは新潟県で、5.01%でした。有効投票に対して1%を超えた都県は7つあり、福井県の1.91%、山梨県の1.63%、山口県の1.58%、千葉県の1.29%、東京都の1.21%、三重県の1.11%、茨城県の1.08%の順でした。 高度情報社会ということがいわれて久しくなりますが、残念ながら、現在の選挙ではテレビ・新聞を中心とするマスコミの影響が圧倒的に大です。これは、今回の選挙結果を見ても明らかです。わが党は、あたかも体制翼賛選挙の中における非推薦の政党・候補者として戦わなければなりませんでした。私は、高度情報社会ということを信じて、インターネットなどを駆使して戦いましたが、残念ながら、マスコミ中心の選挙であることを覆すことはできませんでした。
各党の総得票に対する個人名の比率がもっとも高かったのは、皮肉にも公明党でした。わが党はこれに次いで個人名の比率が高い政党でした。47人もの比例区候補者を擁立した自由連合でも、個人名の比率が48%強でしかありませんでした。自由主義政党であることを標榜している自民党の個人名の比率が29%、自由党のそれは14%弱でした。これは制度の問題か、それぞれの政党の体質の問題のどちらかだと思います。 3. 選挙報道の壁 今回の選挙戦を通じて私が最もつらく思ったことは、報道がわが党をはじめとするミニ政党を、完全に無視したことでした。最初から過剰な期待はしていませんでしたが、これほど徹底的に無視されるとは思いませんでした。これは、これまでのマスコミの選挙報道とは明らかに違ったものでした。私自身、一党の代表として、選挙間近から選挙期間中にかけて、いかなる全国紙や全国ネットのテレビ局からの取材もうけませんでした。 泡沫政党の立候補を抑制するために、数年前に供託金などが大幅に引き上げられました。そして、比例区の場合、候補者一人あたり600万円の供託金になりました。10人の候補者を比例区に擁立する場合、6000万円が必要になります。実際に、この供託金というハードルをクリアーするのに、私は非常に苦労しました。 しかし、この高いハードルを超えて立候補した政党については、報道機関は、もう少し報道してもいいのではないかと率直に思いました。多くの支援者から、なぜテレビや新聞に出ないのかというお叱りをいただきましたが、出ないのではなく、出してもらえないのです。別に泣き言をいうつもりは全くありませんが、このような報道姿勢に、私は、意図的なものを感ぜずにはいられませんでした。 私は、これが自公保体制だといいたいのです。自公保体制とは、自由を抹殺する体制です。政治的にも、新規参入者を排除する体制です。そういう体制の下では、こういうことは不自然でも何でもないのでしょう。選挙後、私が 「自公保体制と戦うつもりだったが、自公保体制体制はすでに完成しており、これとの戦いは戦前の大政翼賛会と戦う非推薦候補者のようだった」といったのは、こういう意味です。そして、今回の参議院選挙を通じて、自公保体制は一層強固になりました。 4. 最後に 私は、宏池会というところに長くいました。宏池会という派閥は、池田勇人氏が作った派閥で、吉田政治を継承する政治集団でした。ですから、私はよく 「負けっぷりを良くする」 ということを教えられました。「負けっぷりを良くする」とは、吉田首相が敗戦直後の日本の政治を担当する際、またGHQとの交渉の際や諸外国と外交にあたって、よく周辺にいっていた言葉だそうです。 今回の選挙について、間違いや反省すべきことは沢山あります。それらを一つひとつ明らかにすることも大切なことと思います。しかし、それらを全部明きらかにして、仮に、そのような過ちをしなかったとしても、おそらく、今回の選挙の結果は変わらなかったでしょう。そうである以上、私は、今回の選挙についてあれこれを論じる必要はないのではないかと思うのです。 ですから、私は最初に「今回の選挙は完敗であった」といったのです。完敗した者が、あれこれいってみても仕方ありません。人をしていわせしめよ。我はわが道を行く。これしかありません。ただ、私に、いまなお悔悟の念が全くないのは、今回の戦いは 「進退は天命に従い、栄辱は世人に委ねる」 との信念と確信に基づくものだったいうことです。 私のこのような信念と矜持に基づいて始めた戦いに、多くの方々から大きなご支援をいただいたことに、心から感謝を申し上げ、かつ、そのご支援に応えることができなかった不徳と非力をお詫び申し上げ、この総括を結ばせていただきます。 2001年8月22日 |
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