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目次


自民党を倒せば日本は良くなる
第1章 張子の虎──自民党の虚像を暴く

1. このままでは日本は確実にダメになる──

●自民党は新たな道すじを国民に提示できない

私の政治の師は、大平正芳元首相です。その大平氏の言葉に、次のようなものがありま
す。

「国民は、政治が何でもできると思ってはいけない。政治家も、そんなことを言ってはいけない。
しかし、政治家は政治がやらなければならないことは、責任を持ってやらなければならないし、命をかけてでもやり抜かなければならない」

1979年に初当選して以来、私は約20年間国会議員をしてきたわけですが、いつもこの言葉を噛みしめながら行動してきました。そして、今日までずっと、政治家が命をかけてやらなければならないことは何か、ということを考えてきました。

私が初当選した1979年には、すでに高度経済成長は終わっていました。そして、高度経済成長の結果として、日本は資源問題や環境問題に直面し、これらの問題に真剣に取り組んでいかなければならない段階に来ていました。それは、すなわち日本が高度経済成長路線から安定成長路線へと、転換しなければいけない時期に来ていたということを意味しています。

言うまでもなく、日本の高度経済成長を支えてきたのは、“加工貿易立国”という国策ともいうべき路線です。しかし、その道すじが高度経済成長の終わりとともに行き詰まりを見せた以上、政治はこれに代わる新たな道すじを提示しなければなりませんでした。

ところが、政治は加工貿易立国に代わる新たな道すじ=ターゲットを、国民に提示しなかったのです。省エネルギーという問題だけは見事にクリアしましたが……。

そうこうしているうちにバブル現象が発生したため、政治家も国民も、加工貿易立国に代わる新たなターゲットを模索する努力を怠ってしまいました。そして、バブルの崩壊を迎えたあとは、その場しのぎの政策に終始したため、666兆円(2001年度末)という返すあてのない借金の山を築いてしまったのです。

いまや国民の方が、この膨大な借金をどうするのかということを心配するありさまです。これは、本来、国民にターゲットを提示することが仕事であるはずの政治家が、その職務を怠った結果です。これでは、政治家は失格だと言われても仕方ありません。

●国家目標を提示することが政治の役割

1991年11月、宮沢喜一氏が首相に就任しました。私も宮沢派に属する者として、宮沢首相の実現に努力した一人です。
ただ、宮沢氏が首相に就任したときに提唱した“生活大国”ということについては、私は何かおかしいと感じました。

というのは、国民が稼いだお金を何に使うかということは、基本的には国がどうこういう問題ではないからです。自由主義の原則から言えば、「自分のお金はどうぞお好きなように使ってください」と言うのが本当だからです。

自分が稼いだお金を、貯金に回そうが、家づくりに使おうが、遊びに使おうが、そんなことは個人の自由なのであって、「お金の使い方をこうしましょう」などという目標は、自由主義社会ではあり得ません。

だから、生活大国は、国家目標とは言えないし、産業政策とも言えないわけで、そんなものを国家目標然として掲げること自体が間違っていると、私は思ったのです。

やはり国が示すべき目標やターゲットは、「辛くても苦しくても、こういうことをみんなでやっていきましょう」というものです。

私は1988年、郵政政務次官のとき、『網の文明』(文藝春秋)という本を書き、これからの日本は“高度情報立国”をめざすべきだと提唱しました。
この内容が正しいかどうかは別として──最近ことのほか情報通信の重要性が日本でも叫ばれるようになってきましたが──、やはり一つの国が発展していくためには、少なくとも国としての一つのターゲットを定め、それを国民に提示することが必要であるということは間違いないと、私は確信しています。

●偶然の発展もないし、理由のない衰退もない

 私は1979年から政権党のなかにいて、あるときは右往左往し、あるときは傲(おご)り高ぶってきた政治家の姿を見てきて、この国は本当に大丈夫だろうかと、いつも思ってきました。
 それでも、事態がある程度前に進んでいるときは、まだよかったと言えます。しかし、バブルが崩壊し、国や国民が進路を見失ったいまこそ、大平元首相の言葉ではありませんが、「政治家が命がけで、政治家の責任を果たさなければならない」ときなのです。

 ところが、わが国の政治家は、これとはまったく逆のことをし、またそれが政治だと思っています。最近、国民はようやくその誤りに気づいたようですが、自公保体制はまだ逆のことをやろうと息巻いているのです。

 1978年の第二次オイルショックを、大平首相は次のようにして乗り切りました。
 原油価格が2倍に上がったものは仕方がない。このことを国民に理解してもらって負担してもらうしか方法がない──。
 これは明らかに第一次オイルショックのときとは違う対応でした。しかし、これによって日本は、世界で最もエネルギー効率の良い国へと変貌を遂げたわけです。
 政治家も国民も、もう一度このことをよく考えなければなりません。個人であれ、国であれ、基本的には偶然の発展もないし、理由のない衰退もないのですから……。

 個人も国も、経済が発展し、平和で豊かな日本になることを望んでいるはずです。であるならば、その目標に向かって努力しなければなりません。
 しかし、現状はどうかと言うと、まったく逆のことをやっていると言わざるを得ません。これで良い結果が出たとすれば、それは宝くじに当たったようなものです。私たちはそんなことに期待するわけにはいきません。

 苦しくても辛くても、日本や社会や個人が基本的にやらなければならないことをしっかりと自覚し、みんなで共通のターゲットに向かって努力しない限り、長期的には日本は確実にダメになってしまうことでしょう。仮にダメにならないとしても、明るい展望は決して開けてこないことだけは確かです。

●自由民主党の看板に偽りあり

 日本人はあいまいな民族だと言われています。そのあいまいさは美徳でもありますが、そんなに誉められたものでもないということを、私たちは知らなければなりません。

 私自身、20年間も自民党の国会議員をしてきたなかで、面食らったというか、嫌だったのは、「自民党の良いところは、白川さんのようなリベラルな人もいれば、コチコチの反共主義者で国粋主義者もいることですね」という誉め言葉(?)を言われることでした。
 そんなとき、私は「いったいあなたは、自民党にどうあってほしいと思っているのですか?」と叫びたくなったものです。「こっちは党内で、自民党の路線をどうするかで、死にもの狂いの戦いをやっているのに!」と言いたくなりました。

 自民党の正式名称は、自由民主党です。ですから、自民党は自由と民主に忠実な政党でなければなりません。自由とは、自由主義を標榜する政党ということであり、民主とは、民主的な手続きを大切にする政党ということです。
 自民党は自由民主党と名乗る以上、仮に実体がそうでなかったとしても、自由民主党の名に恥ずかしくない政党になる努力をしなければならないのです。そうでなければ、看板に偽りありということになってしまいます。

 このことは、何も自民党についてだけ、言えることではありません。すべての政党に言えることです。現状は現状として、どういう党をめざすのかをハッキリさせて、その目標に向かって努力する気がないのなら、ウソ偽りの看板は変えなければならないと思います。

 最近、自民党の若手議員のなかには、自民党とは「不自由非民主党」の略だと自嘲気味に言う人が多くなりました。その人自身が不自由非民主党でもいいと思っているのなら、それでもかまいません。しかし、それならば自由民主党と名乗るのはやめてもらわなければなりません。混乱のもとです。もっとも、人間は自分にないものを名前につけたがるものだと言う人もいます。自由で民主的でないから、せめて名前だけでも自由民主党。公明正大にやれないから、公明党。一面の真理かもしれません。

●憲法に立ち返るのが基本

 日本は自由主義の国ですから、人それぞれいろいろな考え方があって当然です。しかし、政治が何か一つのことをまとめようとするときには、何らかの合意を求めなければなりません。そのときに、一番みんなの合意を得やすいのは憲法なのです。逆に言えば、だからこそ憲法と言うのです。

 ところが、これまでの日本では、何か問題にぶつかったとき、憲法にはどう書いてあるのだろうかというように、憲法に立ち返って検討してみるという作業を行ってきませんでした。国民の合意の上に成り立っている原理・原則とも言うべき憲法をないがしろにしてきたわけです。

 詳しくは第3章で触れますが、日本国憲法は決してGHQ(連合国軍総司令部)によって一方的に押しつけられたのではなく、社会の変革を求めた民衆の願いによって成立しているのです。つまり、「憲法を守る」ということ、「憲法に忠実である」ということは、敗戦のなかから私たちが打ち立てようとした「自由主義革命」の理念を継承することにほかならないのです。

 そういう意味で言うと、私は自民党のなかに昔からいる改憲論者の罪は重いと思っています。私は別に改憲を主張することを否定しているわけではありません。彼らが憲法に対する忠誠心を持たずに、ただ改憲のみを主張してきたために、何かの問題があったとき、憲法に照らしたらどうなんだろうかということを考えるシステムというか風潮を、日本からなくしてしまったことが問題だと言っているのです。

 一方、護憲論者と言われる人たちにも、どこか自信が欠如していました。そのため、国民の多くが、本当の意味で憲法を大切にしなくなってしまったのです。

 2000年1月に国会のなかに憲法調査会ができ・、憲法改正をも視野に入れた議論が始まったわけですが、現実問題として憲法を改正することは非常に難しいのではないかと思っています。

 それは日本国憲法が、改正手続きに衆参両議院の3分の2以上の賛成と国民の過半数以上の賛成という厳格な要件を必要とする硬性憲法だからです。もちろん、手続き上改正の道がないわけではありませんから、改正されることはあるかもしれませんが……。
 ただ、私が言いたいのは、改憲とか論憲を主張することはかまいませんが、少なくとも改正されるまでは、いまある憲法を忠実に守る姿勢が大切だということです。

●自由こそが富と心の豊かさの源泉

 「人はパンのみにて生きるにあらず」という有名な言葉があるように、人は、物質的な豊かさだけでなく精神的な豊かさも備わって、初めて幸せが得られるものだということを、昔から知っていました。

 しかし、いまの日本には、精神的なものに対する価値というか、人間の幸せに対する位置づけというものが、なくなってしまったのではないかと思っています。

 ただ私は、俗な政治家がよく言う「物の豊かさよりも心の豊かさが大事な時代になりました」という言い草は大嫌いです。なぜなら、それは政治家が口にする言葉ではないからです。

 政治家は精神の領域にまで立ち入るべきではありません。政治が担当できるのは、みんなが共通に合意できる、まさに物質的なことを決めたりすることであって、一人ひとりがどういう精神的なものを求めるかは、政治が関与すべきことではないと私は思うからです。

 ただし、精神的なものが人間の幸せにとって大切だということは、政治家も知らなければなりません。そして、そういう分野を担当している哲学や文学といった学問や、放送・出版というものに対して、政治は最大限の配慮を払う必要があります。それは、すなわち思想・良心・信教の自由を大切にすることです。

 自由こそが、すべての富の源泉であり、精神的な豊かさの源だと、私は思います。もちろん、自由があるからといって100%幸せになれるという保証はありません。しかし、自由がなければ100%幸せになることはできないのです……。

2. 自民党は張子の虎である──

●実体のないもろい存在

 プロローグで、私はいまこそ平成革命が必要だと言いました。その平成革命で、倒すべき相手は自民党であり、自公保体制であることは言うまでもありません。

 ただ、皆さんのなかには、「自民党というのは、なんだかんだと言ってもそれなりの政党だ」と思っている人も多いのではないでしょうか。だから、「そんな自民党を倒すことなんて本当にできるのか?」「自民党はそう簡単には倒れないのではないか?」という考えに至るのでしょう。無理もないことだと思います。

 しかし、実はまったく違うのです。
 私はかつて自民党のなかで、とりわけ初めての小選挙区制の下における衆議院選挙で、選挙実務の総責任者である総務局長を務めました。ですから、自民党の舞台裏を含めて全部知っています。そのときの経験から言うと、自民党というのは、実は組織政党としてはほとんど実体のないもろい存在だということです。

 ところが、こういうことは誰も知りません。むしろ、冒頭で書いたように、多くの人は自民党はしっかりとした基盤を持った政党だと思い込んでいます。そこが自民党の最大の
強さであり、虚像なのです。

 私に言わせれば、自民党はまさに“張子の虎”です。見かけだけで、中身がないのです。このことに気づけば、こんな政党を政権の座から引きずり降ろすことなど、いとも簡単なことなのです。

 そして、政権党でなくなれば、自民党など数年も待たずして雲散霧消してしまうことでしょう。
 私は、ここで変な内幕暴露的な自民党ものを書くつもりはまったくありません。また、そんな必要もありません。事実に即して、誰もが知っていることを少し深く分析すれば、自民党が張子の虎であることは自明の理だからです。

 本来であれば、政治評論家や政治学者が、私がこれから書こうとしているようなことを明らかにすべきなのですが、自民党がこの伏魔殿を隠し続けてきたために、なかなか明らかになりませんでした。そこで私がこれから一つひとつ自民党の虚像を暴いていきたいと思います。

●自民党政権だから日本が繁栄したというウソ

 まず、よく言われるのが、「戦後の日本がこんなに繁栄することができたのは、自民党が政権を担ってきたからだ」ということです。

 日本は戦後、世界に類を見ない発展を遂げました。これはまさに一つの奇跡です。しかし、それが自民党のおかげだったのかというと、決してそうではありません。
 戦後、日本が繁栄することができたのは、日本が自由主義陣営に属したからであって、実は自民党のおかげでもなんでもないのです。

 もちろん、自由主義陣営に属したことだけが、戦後の日本の繁栄の原因だったと言うつもりはありません。皮肉にも、自由主義陣営に属しながら、官僚主導によるきわめて非自由主義的な手法を採ってきたことが、日本の成功の大きな原因だったと言えるでしょう。
 つまり、戦後の日本は、官僚が「右だ」と言えば、国民は一致団結して右に行ったわけで、この全体主義的というか、非自由主義的な手法が日本の発展の秘密だったのです。

 このやり方は原理原則から言うと、明らかに矛盾です。なにしろ自由主義社会のなかで全体主義的なことをやってきたわけですから……。

 自由主義社会のなかで、全体主義的なことをやれば、一時的にはその集団や国家が短期的な成功を収めることは可能です。戦後の日本の発展が、まさにその好例です。

 しかしながら、それはあくまで一時的な成功にすぎず、それでは決して永続的な発展を続けることはできないのです。それを証明したのが、バブル崩壊後の日本でした。
 本来であれば、経済がある程度発展したら、この矛盾を解消し、自由主義的経済政策に舵を切らなければいけないのに、自民党はそれをしなかった。というより、できなかったのです。

●自民党は真の自由主義政党ではなかった

 なぜ、自民党はそれができなかったのか──。
 その理由は、自民党の政党としての目的が、ただ単に社会主義陣営に行かせないということだけだったからです。つまり、自民党という政党は、自由主義陣営に属するツールとしての政党ではあったけれども、本当の意味での自由主義政党ではなかったということです。

 そのため、自民党にとっては、その構成員たる所属議員は自由主義陣営にいようという人であれば誰でもよく、別に真の自由主義者でなくてもよかったのです。現に自民党には自由主義者でない人、たとえば単なる反共主義者や国粋主義的な右翼全体主義者がたくさん入っています。

 したがって、自民党には本当に自由主義で国を治めることがどういうことなのかが、わかる人がいなかったのです。
 こうしたことは、自民党だけに限ったことではありません。当時の民社党や公明党もだいたい似たようなものだったわけで、そういう意味では日本には真の自由主義政党は育っていなかったのです。

 同時に、当時の社会党も、真の社会主義政党かというとそうでもありませんでした。社会党は労働組合政党だったわけですが、労働組合政党イコール社会主義政党ではないのです。
 だから、戦後の日本には、真の自由主義政党もなければ、真の社会主義政党もなかったと言えます。ただ、世界中が東西に分かれて冷戦をしていたために、それぞれ存在価値があったものですから、政党としての体をなしてこれたということだと思います。

 逆に言えば、これが日本の政党の限界だったのかもしれませんし、当時の日本人の政治のレベルだったと言えるでしょう。

3. 自民党に政権担当能力などない──

●官僚の筋書きどおり演技するのに慣れているだけ

「政権担当能力があるのは自民党だけです」

──これも自民党の議員たちが、選挙のときによく口にするフレーズです。
 本当にそうでしょうか?

 私に言わせれば、自民党の国会議員というのは、官僚が書いた筋書きの上で、ただ単に演技をするのに慣れているだけのことです。たとえて言うなら、歌舞伎役者の家庭に育った子供が歌舞伎役者になるのと同じようなものなのです。

 歌舞伎役者という職業は、あまり一般的ではありません。だから、歌舞伎役者の所作を一般の人が見る機会というのは、それほど多くありません。ところが、歌舞伎役者の子供というのは、父親がやっていることをいつも側で見ているため、歌舞伎役者の所作が自然と身についていくのです。

 自民党の議員たちも、この歌舞伎役者の子供と同じで、身近にいる先輩が首相や大臣、政務次官をやっている姿を、戦後ずっと見続けてきました。だから、だいたいこういうふうにすれば務まるんだということを、肌で覚えることができる環境にあったために、大臣になっても、それなりに振る舞うことができただけのことなのです。

 官僚が書いた筋書きどおりに演技しているだけのことで、その演技が自民党の議員は、身近で先輩たちの姿を見てきた分だけ、野党の議員よりも多少上手いということにすぎないのです。
 ところが、これが政権担当能力かというと、決してそうではありません。

●官僚をコントロールしてこそ大臣

 かく言う私も、1996年11月に第二次橋本内閣で、自治大臣・国家公安委員長に任命されたことがあります。私は、地方行政の経験もなければ、自治省関係や警察庁関係のことをやる国会の地方行政委員会や党の地方行政部会に属したこともまったくありませんでした。ですから、その方面の知識はほとんどなかったのです。

 本来ならば、自治省や警察庁に関する党としての考えをほとんど知らない私が任命されたのですから、この地方行政部会を担当している自民党の職員が来て、党としての自治省や警察庁に対する考えや留意事項をレクチャーしなければならないと思います。

 しかし、私の場合に限らず、党の政策関係の職員が大臣に任命された政治家に、こんなことをすることはまったくありません。
 要するに、党としては自分の党から出るというか、出すというべきか──多分前者なんでしょうが、本来は後者でなければならないのですが、いずれにしても党を代表して大臣になる人に、大臣在任中にせめてこれだけはやってもらいたい、というものなど何もないということですし、大臣になる人にもそのような意識というか意欲などは何もないということです。

 私の場合、加藤幹事長から「自治大臣・国家公安委員長に内定したぞ」という電話をもらったのは、いわゆる「呼び込み」の電話がある二時間くらい前のことでした。そうこうするうちに目立たないようにこっそりと自治省と警察庁の官房長が分厚い資料をもってきて、さっそくレクチャーと称する詰め込みの勉強が始まったのです。

 官邸に呼ばれて橋本首相から正式に任命され、一般的な留意事項や首相の新しい内閣における重点政策が伝えられました。この場で、橋本首相から「行政改革に全力を尽くしてほしい」ということが、私だけでなくすべての大臣に申し渡されました。

 これがすむと、さっそく大臣就任の記者会見が始まるのですが、私の場合、この待ち時間が小一時間ほどありました。両省の官房長が私に渡してくれた記者会見用のペーパーを読むと、先ほど橋本首相が言われた行政改革の視点がまったくないのです。正直言って一言も書いてないのです。

 そんなバカな話があるか、ということで改めて記者会見用のペーパーを見ると、他の点でもどうでもいいことしか書いてないのです。抽象的というのか、一般的というのか、要するに十年一日のようなことしか書いてないのです。
 おそらく10年前も自治大臣や国家公安委員長に任命された人に同じようなメモを渡し、歴代の大臣に任命された人はそれを読んできたのでしょう。しかし、私はどうしてもそんな気にはなれませんでした。

 私は、両省の官房長にもう少しマシなペーパーはないのかと聞きましたが、「特に別のものは用意していない」と言うのです。「だったら、ここで書けよ」と言いたかったのですが、どうもそんな気はないように見受けられましたので、私は自分で書くことにしました。

 自治省設置法と警察庁設置法を出させ、その最初の部分をよく読んで、私は記者会見用の発言メモをつくりました。少なくとも最初に渡された記者会見用のペーパーよりは、血の通った政治家らしいものになったと思いました。このことは、自治省や警察庁に対する私のメッセージでもあったのです。
 私は、国民を代表して官僚をコントロールするために諸君の前に来たのであって、官僚にコントロールされる人形ではないというメッセージをこういう形で伝えたかったからです。

 その後の国会答弁にしても同じようなもので、やはり大臣の答弁は官僚が書きます。しかし、私は原則、自分の言葉でしゃべりました。

 こんなことを引きあいに出したのは、自分が偉いなどと自慢したいからではありません。自分の言葉でしゃべることが偉いとか偉くないという問題ではなくて、私が言いたいのは、官僚をコントロールすべき大臣がその役所をどうしたいという意欲がなければ、政権担当能力があるなどと、そもそも言えないのではないかということです。

 つまり、官僚の振り付けどおりに踊れる人というのは、政権担当能力があるのではなくて、歌舞伎役者の子供がほかの子供よりも、歌舞伎の真似事をするのが上手いのと同じレベルの話だということです。

●官僚は優秀だが、傲慢であり不遜である

 よく日本の官僚は優秀だと言われます。
 確かに、戦後の日本の発展を実質的にリードしてきたのは官僚なわけですから、それなりに優秀なのでしょう。しかし、同時に官僚は傲慢であり、不遜です。なぜなら、政権は官僚のものではないにもかかわらず、自分たちのものにしようとしているからです。

 公務員の任免権は国民にあることになっていますが、それは有名無実もいいところです。現状においては、行政を担う公務員のうち、内閣や地方自治体の首長については選挙によって選ばれますが、その下の官僚組織は、雨が降ろうが槍が降ろうがまったく関係なく、百年一日の如く、自分たちだけは安泰だと思っていますし、安泰であろうとしているのです。

 まさに日本は官僚国家であり、この根本を崩さない限り、真の民主主義国家になることはできませんし、行政改革も決して進まないのです。

 さらに、官僚が優秀であるということそれ自体も、いまや間違いであると言える時代になりました。なぜなら、新しい時代の課題を自ら感じ取り、自己改革・自己革新する能力が官僚にはないからです。そんな官僚組織を優秀・有能と呼ぶことはできません。この世は生々流転、諸行無常なのですから……。

●官僚に踊らされている自民党

 こうした傲慢で不遜な官僚をコントロールするのが、本来、大臣たる者の役割です。ところが、前述したように、自民党の多くの大臣は官僚の振り付けどおりに踊っているだけなのです。私も、そうした一人だったと言われても仕方ありません。
 しかし、大臣はその役所のトップなわけですから、やる気さえあれば官僚をコントロールすることはできるのです。実際、私は自治大臣・国家公安委員長時代に、いくつかのことを決断し、実行しました。

 たとえば、自治省の役人の地方自治体への連続出向の禁止です。それまでは、地方自治体のあるポストを自治省からの出向者が歴任し、そのポストが事実上、自治省ポストとして固定してしまっているケースが多々ありました。

 この問題を、国会で野党議員から指摘され、私自身もこれは地方分権に反すると思いましたので、答弁のなかで「わかりました。自治省が連続して同じポストに出向させることはもうやめさせます」と答えたのです。そして、役所に戻って事務次官を呼び、「今日、国会でこういう答弁をしてきたから、このとおりやってください」と申し渡しました。

 自治省にとっては、まさに青天の霹靂(へきれき)だったと思います。しかし、大臣であれば、これくらいのことは簡単にできるのです。それくらい大臣というのは、絶対的な権限を持っているのです。その権限を行使せずに、いまだに官僚に踊らされている自民党に、政権担当能力などないことは明白だといえるでしょう。

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