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1. 自自公連立の罪と罰国民の多くが強い拒否反応を示していたにもかかわらず、小渕首相が自自公連立内閣を発足させてから3ケ月余となる。小渕首相としては、国民の反対は現実に自自公連立内閣を発足させてしまえば反対は徐々におさまると考えていたのだと思う。 しかし、各種の世論調査では、連立内閣発足後、ますます反対が多くなってきている。日本人は、しょせん権力に迎合し、権力のやることには従うというのは、一昔前の時代認識だと思う。自自公の政策決定が、実に稚拙であったことも、これに拍車をかけた。定数是正・介護保険・児童手当・ペイオフ問題などなど。これも、3党の時代認識が違うところからくるチグハグであり、それは、政党基盤と理念の差異に起因するものである。 1月8日、加藤紘一宏池会会長が山形で
と発言したところ、これに対する官邸や党執行部の反応は余りにも過剰であった。人間、本当のことをいわれると過剰な反応を示すものである。しかし、政治家にとって大切なことは党や国家の利益であって、自分の面子とか立場などは本来どうでもよいことなのである。過ちを改むるに憚ることなかれ、である。それを果断にできる者が、真のリーダーなのである。 私は、昭和54年10月の総選挙で初当選した。以来一貫して自由民主党に籍をおいて今日に至っている。 これまで、いろいろな場面で共に行動してきた私の親しい信頼する同志も、目を伏目がちにして自自公の問題から逃げようとしている。私は彼らの心情が黙っていても理解できるだけに、痛々しくて見ていられない。自民党は、お義理にも自由民主党といえない惨状である。 これと符合するように、党の広報では、「自由民主党」といわずに、「自民党」とする方針を決めたという。平成8年の総選挙のとき、各種公報に「自民党」とするか「自由民主党」とするかで、10数回も議論した末、すべて「自由民主党」で統一することにした。例外はほどんどなかったはずである。天下分け目の戦いに臨むにあたって、これまでの自民党とは違った新しい自民党をつくるのだという決意が私たちをそうさせたのだ。自民党は、自由民主党でなければならない。自由民主党が、自由で民主的な党でなくなれば、国民の支持が離れてゆくのは当然である。魚屋が魚を置いていないのと同じだ。もって瞑すべし。 わが国が、自由主義国家として発展してゆくためには、健全な自由主義政党が存在し、その政党が国民の先頭に立って活動することが絶対に不可欠である。現実の自由民主党が自由主義政党として100点満点をつけられるかは別として、自由民主党の理念はそこにあるし、少なくともこれまではどの政党よりもその役割を果たしてきたことは事実である。 “一寸の虫にも、五分の魂”というくらいだから、一つひとつの政党には、理念―基本的価値観がなければならない。連立を論ずるとき、よく政策の一致ということが言われるが、私はいつもそうだろうかと思っている。私は、理念の一致というべきなのではないかと思っている。理念から政策が導き出される。仮に、表面的な政策が一致していても、理念が違っていたのでは結局は大きな齟齬をきたすことになる。 一例を挙げよう。 しかし、比例区からの定数50削減にすでに合意している自自連立に新たに加わる以上、まったく取り合わないわけにもゆかず、公明党は値切りに値切り20削減は呑んだものの、残りの30は小選挙区から削減すべきと主張している。現実にやれるかどうかは別にして、仮にそうなった場合、確かに定数の50削減はできることはできるが、選挙制度の改革の方向性は全く見出されない。実際問題として、500の定数の内200の比例区定数がある限り、どの政党も過半数を制することは至難なことである。平成5‐6年の政治改革が、政権の選択可能な制度を作ることにあったとしたならば、改革の方向は、比例区からの削減しかないはずである。 したがって、選挙制度の改革をはかりながら定数を削減するというのならば、自由民主党・民主党・自由党の3党で比例区50削減法案を可決すべきであるし、自自公以上の多数があるのだから、可決できるのである。公明党が連立に参加したために定数削減も選挙制度の改革も後退したことになる。 このほかにも、介護保険の保険料徴収の延期、児童手当を充実するといいながらその財源を捻出するために、所得税の扶養控除額を10万円引き下げるというチグハグな決定など、要するに基本的理念が逆の方向を向いているのに表づらの政策だけ一致させようとするところからくる矛盾である。理念がおおむね同じでも、現実の政策が違う場合は多々ある。しかし、その場合妥協は十分可能であるし、一定の方向性のある妥協となる。連立政権下の妥協・政策合意とはそのようなものでなければならない。 ペイ・オフ問題では公明党は、多数決で押し切られたので仕方なかったとさかんに弁明している。いずれにせよ、自自公連立は3党のそれぞれの理念を傷つけあっている。その結果、3党の地盤沈下が進んでいる。それにもかかわらず、3党の枢要の地位にある人たちの「3党連立体制の維持」という絶叫だけがヤケに聞こえてくる。 連立は、一定の政治目標を実現するためになされるものであって、連立それ自体が目的ではないはずである。本末転倒のことがあまりにも強調されすぎると自自公連立には、何か別の目的でもあるのかと勘ぐりたくなる。いずれにせよ、理念なき政治の横行が自自公連立の第2の罪と罰である。 自自公連立の第3の罪と罰は、わが国の政治に恐怖と脅しをもち込んだことである。理想や希望にモチベートされる政治もあるし、利益にモチベートされる政治もある。国家とか民族のアイディンティティーが政治を大きく動かすときもある。何らかの目標に向かっているときの政治は明るい。しかし、自自公にはこのような明るさが全くない。それは、この連立の直接の動機が恐怖にあるからである。小渕首相にとっては、総選挙の敗北の責任という恐怖である。小沢自由党党首のそれは、自由党の分裂であろう。創価学会=公明党にとっては、日蓮正宗破門による組織崩壊という恐怖であろう。自由民主党や自由党の政治家にとっては、選挙への恐怖である。 政治の合従連衡というものは、いつも華々しい口上で飾られるものである。しかし、それも大事なことなのである。その華々しい口上が、その連立を規制することになるからである。今回の場合、政治の安定・政局の安定という言葉が踊るだけで、胸ときめくようなものは何もない。政治の安定ならば、自自両党で衆議院において300余議席あった。これ以上を望むは過ぎたるというものである。これだけの議席があっても、政策の遂行ができないというならば、それは遂行しようとしている政策に問題があると考えるべきである。 恐怖によって動機付けられた連立を成就するために用いられたツールは、脅しという次元の低いものにならざるをえない。人柄の小渕の「人柄」が変わった。小渕首相はポストを、創価学会=公明党は票を武器に脅しまくっている。まとまった組織票を持たない自由主義政党の政治家は、票とポスト(票の源泉となる)には脆いものである。自自公連立に際し党内で一番いわれたことは、拠ってたつ基盤が違うのに本当にうまくやっていけるのかということであった。 現状はどうなったか。シマウマの群れに狼が放たれたような状態である。自由主義政党の政治家は、図体が大きく一見強そうに見えてもしょせんは草食動物であり(まれに例外がいないわけではないが)他の動物を食いちぎる能力を持たない。それに対して、一つの強いイデオロギーに統一された組織政党(その基礎となる組織を含む)は、肉食動物である。仮に、その体は小さくとも他の動物を食いちぎる能力を持っている。 自由主義政党の制裁などというものは本質的に制約がある。現にこうして自自公に反対している私たちに対する制裁は、役職につけないことくらいである。ところが攻撃は創価学会=公明党からなされる。おかしな話である。こんな政党をどうして友党と呼べるのだろうか。わが党の幹部は、知っていながら黙って見ているだけである。こんな党執行部に私たちは身柄を託す訳にはいかない。わが党の歴史上、前代未聞の異常な事態である。 国会議員、とりわけ小選挙区で当選した代議士は、昔でいえば一国一城の主だなどといわれている。その一国一城の主でさえこうなるのである。普通の社会ではもっとたやすいことだろう。わが国をこんな社会にしたくない、それは悲惨である。私が、一人の自由主義者として命を懸けて戦わなければならないと思う所以である。 2. 自自公連立の背景と問題点55年体制はなやかなりしころ、公明党と民社党は、中道政党として発足した。中道政党と自ら名のることからして公明党と民社党は野党でありながら、政権党であった自由民主党とそれぞれ特別の関係を持ってきたことは広く知られたことである。しかし、自由民主党と民社党との関係が党と党との関係であったのに対し、自由民主党と公明党の関係は必ずしもそうではなかった。それは、自由民主党のなかの田中派―竹下派―小渕派との特殊の関係であったことは、広く知られている。それは、昭和47年に起きた言論妨害事件を機に出来上がったといわれている。田中派―竹下派は公明党の候補がいない選挙区では創価学会と水面下で気脈を通じ合いながら勢力を拡大し、創価学会は自由民主党のなかで肥大化する田中派―竹下派と太いパイプを持つことにより組織防衛をはかった。 竹下派―経世会の分裂に際し、公明党は小沢氏についた。その結果、自由民主党から徹底的に攻撃されることになる。このとき旧竹下派は橋本総裁を出してはいたものの分裂の結果、衆議院議員は30名足らずしかおらず党内に対する影響力は極めて小さい派閥であった。このとき、党内に大きな勢力を持っていたのは三塚派であり、宮沢派であった。平成8年の総選挙により勢力を伸ばした小渕派は、自自連立により小沢氏との関係を修復した。これにより自由民主党と公明党との関係、いや、旧経世会と創価学会との関係が復活する環境はすべて整った。自自連立は、自公連立の導入路であるとの指摘が当時からなされていたが、それはそのとおりといわなければならない。それは自自合流によって完成されることになる。今後とも自自合流は当然のことながら執拗に画策されることであろう。 自自公連立はこのような背景をもつものであるから、それは小渕派と創価学会=公明党による、小渕派と創価学会=公明党のための連立としての役割を果たすことになることは明らかなことである。現に、神崎公明党代表は、平成11年11月23日、総選挙で自由民主党が敗れても小渕総裁である限り連立を維持するとはやばやと露骨に自由民主党内を牽制している。これが、自自公連立の本質である。 平成6年に成立した「自社さ連立」は、ひとつのリベラル連合であった。55年体制下で激しく対立していた第1党と第2党の連立には、初めのうちは戸惑いや反発があった。しかし、これがリベラル連合であることが判明するにしたがって、国民の理解と支持は次第に拡がっていった。自社さ連立を決断したとき、自由民主党はリベラルな方向に舵をとることを決断し、日本社会党は現実の政権運営に責任を持つことを宣明した。新党さきがけがその触媒役と接着役を果した。リベラルな方向をめざした政治は、それなりに国民の支持を集める事に成功した。最初のうちは必ずしもそうではなかったが、しばらくすると政権のあり方として最も支持の高かったのは自社さ連立政権であった。 しかし、自由民主党の国家主義的色彩や新保守主義的傾向の強い人々は、その成立の当初から強い不満をもち、陰に陽に保保連合を模索する動きをした。マスコミは、これを自社さ派と保保派の路線対立と表現した。もうひとつの「保」とは、新進党の中の旧自民党系の人々であった。現在の公明党の人々は、当時新進党の中にいたが、この人々はこうした流れに必ずしも積極的ではなかった。 平成10年は参議院選挙の年であった。自社さ連立は終焉のときを迎え、衆議院ですでに過半数を確保していた自由民主党は、参議院で過半数を獲得し名実ともに自由民主党政権をつくることを目標とした。そして、それは必ずしも不可能な目標ではなかった。 平成9年末に新進党はすでに解党していた。野党第1党は、旧新進党の一部を加えた新「民主党」であった。当然のことながら多くの選挙区で、自由民主党と民主党との対決という構図となった。一方、旧公明党は改めて「公明」の名で参議院選挙に臨み、小沢党首ひきいる自由党も初めて国政選挙に参戦した。公明も自由党も反自民を強調し、半年後、1年後に自由民主党と連立を組むなどということを予測する人は、ほとんどいなかった。 参議院選挙は予想を超える自由民主党の敗北であった。そして、梶山静六・小泉純一郎両氏をおさえて総裁となった小渕恵三首相の支持率は、20パーセント前後という低いものであった。不況は一層深刻化し、金融不安が現実のものとなりつつあった。こうしたなかで、金融国会とよばれる臨時国会が平成10年秋に召集され、小渕内閣は政策的にも政局面でも後退につぐ後退をせまられていった。こうした状況のもと、水面下で自自連立、自自公連立が仕組まれていった。 一方、野党は政局運営のイニシアティブをとりながらも金融破綻という未曾有の危機に対する恐怖からか、小渕政権打倒というカードを切らなかった。解散・総選挙に対する不安が、それぞれにあった。民主党は総選挙に対する準備がほとんどなかった。公明党(平和と公明が合併し「公明党」となる)と自由党は小選挙区制のもとでは、現在でもそうだが当時としても、現有議席の確保すらとうてい望むべくもない本質的弱点をもっていた。小渕首相だけでなく、自由民主党の議員も選挙に対して完全に自信を失っていた。参議院選挙の野党各党の得票率をみれば、都市部において勝利の展望をもてるものはほとんどいなかった。 以上のようなそれぞれの恐怖が、自自公連立の動機であり、誘因であり、目的であった。自自連立に際しては、選挙協力が大きなテーマになり、自公連立にあたって解散の時期が大きな密約になったことなどは、このことを雄弁に物語っているといえよう。政党や政治家が、保身に走ったとき、政治はダイナミズムをなくし、政治的光彩を失うものである。自自公連立によって、巨大与党が誕生したものの迫力と勢いを感ずることができないのはここに原因がある。これが自自公連立の第2の問題点である。 国会議員となって20年余となるが、いちばん返答に窮し複雑な思いを抱くのが、次のような賞賛(?)である。
自由民主党は、自由主義政党であるから当然のこととしていろいろの考えの人がいる。しかし、品ぞろえがいっぱいあればよいというものではないと私は思っている。デパートではないのだ。自由主義といっても、リベラルな考え方もあるし、新保守主義と言われる考え方もある。現実の政策面では、現に激しく対立することも多い。また、政権党には、主義主張に関係なくいろいろな政治家が集まるものである。だがそれにもかかわらず、たとえ自由主義政党であっても、政党である以上ひとつの方向性はもっていなければならないということである。風の向くまま気の向くままでは政党としてその役割を果たすことはとうていできない。そこが長所だ魅力だといわれても、ほめられているのか貶(けな)されているのか判らない。 先に述べたとおり、自社さ時代の自由民主党は、自由民主党としては珍しくリベラルという方向性をはっきりと示した。自自公となって、自由民主党は何らかの方向性を示したといえるだろうか。顔ぶれをみると、新保守主義的といえる感もしない訳ではないか、現実の政策は全く逆である。自社さ時代よりも、自己責任・自助努力ということを無視した政策が採用されている。目立つのは、国家主義的・管理主義的傾向だけである。 自由党は、小沢党首の個性もあって、新保守主義的な理念に忠実な政党と思われてきた。自由民主党と比べればスケールは小さいのだから、同じ自由主義政党であってもそれが可能であろうと思われてきた。平成10年の参議院選挙で大方の予想に反して520万票を獲得したのも、このような期待によるものであろう。自自連立によって、日本の自由主義政治にひとつの方向性が出てくると期待していた向きも多かったが、それは完全に裏切られた。自由党が、自民党化してしまった。融通無碍の政党となってしまった。これがそもそも小沢自由党の本質だという人もいるが、私は、日本の自由主義政治の発展のために残念に思う。 自自連立の無方向性・無価値観は、公明党を加えることによって、ますますヒドイものとなってしまった。アクセルとブレーキを一緒に踏むようななことが随所に見られる。公明党は、自他とも認めるように、自由主義政党ではもともとない。中道政党というだけで、スローガンはあるものの政治的価値観はつまびらかではなかった。それは宗教政党の限界であり、本質であるといってもよい。また、公明党の融通無碍なところはつとに知られているところである。 自自公連立に理念などを求めることが本来間違っているかもしれない。いや、そうに違いない。理念がないから、「政治の安定」というお題目を唱えるしか能がないのであろう。この激動の時代、あらゆる分野で大胆な変革を断行しなければならない局面で、無目的にただ「政治の安定」=「社会の安定」を求めることは、変革を阻害することになりかねない。現に、そういう弊害が随所に見られるようになってきた。これが、自自公連立の第3の問題点である。 3. 日本の新たなる危機――自自公現象「我思う。ゆえに我あり。」 デカルトのこの言葉から近代は始まった。健全な批判精神こそ、国家や社会の進歩の原動力であった。自由主義者の自己証明は、健全な批判精神を持っているかどうかだといっても過言ではない。自自公連立の話が出はじめたころから自由民主党や自由党に、この批判精神というものが急速になくなっていった。健全な批判精神の喪失――これが第1の自自公現象であろう。 一例をあげれば、地域振興券であろう。自由民主党や自由党の中で、不況対策をどんなに議論しても、地域振興券などといった発想は絶対に出てこないし、仮にそのようなことが提案されても採用されることは100%ないであろう。しかし、これが現実に行われたのである。自由主義政治のモラルハザードである。最初は、4兆円という話もあったが、国民の拒絶にあって7000億円に減額された。もし、国民の反対がなかったならば、ほんとに4兆円になったかもしれない。7000億円の国会対策費だという説明もなされたが、国の防衛に関する法律をこのようなもので解決することは、政治の堕落であり国家に対する冒涜である。 いま(平成12年11月24日)、国会では定数削減法案をめぐって与野党の激しい攻防が行なわれている。しかし、その無内容性は先に述べたとおりである。政治的茶番とはこういうことをいうのであろう。政治不信を惹き起こす最たるものといわざるを得ない。 健全な批判精神を奪ったものは何か。それはすべてが無原則かつ無方向な自自公の中で、強烈な組織原則と強力な統率力を持つ創価学会という組織と票である。自由主義の政党や政治家は、自由主義社会がそうであるように、武装された組織に対しては弱いものである。自由民主党の支持団体は数多くあるがそれらもまた自由主義的であるため、創価学会のような絶対の統制力を持つ団体は極めて少数である。また小さな団体でなければ、その性質からして絶対の統制力など持ちようがない。それが自由主義的団体というものである。強大にして強力な統制力というものは、自由主義的団体にとっては自己矛盾なのである。そのような支持団体しか持たない自由主義政党や自由主義政治家にとって、強力にして強大な創価学会という組織が放つ魔力は、これを幻惑するに十分なのであろう。これに対しても本当は、健全な批判精神で十分に分析する必要はあるのだが…。 村山元首相は、
といい、政権が取れなければ必ず空中分解すると予測していた。私は、新進党が比例区で自由民主党を抑えて第一党に躍進した平成7年の参議院選挙の後、加藤紘一幹事長のもとで事実上選挙を取り仕切る総務局長に就任した。そして平成8年10月20日の小選挙区制のもとで初めて行われた衆議院総選挙まで、全精力を新進党との戦いに傾注した。 村山元首相がいったとおり、新進党との戦いは創価学会との戦いであった。創価学会という組織、創価学会票といわれるものについては、多少他の人よりも経験も知識を持っていると思っている。いま、自由民主党や自由党の議員、そして、一部の民主党の議員の批判精神を奪っている創価学会票なるものを分析し、私見を述べる。
以上のように775万票という公明比例票は、ちょっと冷静に分析すれば絶対の味方でもなければ、それほどの神通力を発揮するものでもない。いま、シタリ顔をして得意満面なのが創価学会=公明党の幹部諸公であり、これに怯え平伏しているのが自由民主党および自由党ならびに民主党等の一部の議員である。この現状を、私は第2の自自公現象と呼ぶ。 自自連立の際、競合する小選挙区の候補者を現職とするという一項目があった。その現職には、比例で当選した重複立候補者を含むか含まないかなどという笑えない話があった。自公両党の選挙協力も始まった。公明党の小選挙区立候補者がいるところでは、自由民主党はできるだけ候補者をたてないようにするというものらしい。そんな選挙区は、いくつもないが…。 連立与党の選挙協力とは、いったいどのようなものでなければならないか?それは共通の敵に対する共同戦線であり、お互いの身の保身ではない。少なくとも、自社さのときは、どうしたら新進党に勝つことができるか、バラバラに戦って漁夫の利をしめられることをどうやって防ぐかを第一にして選挙協力することにし、いくつかの選挙区で候補者調整をし、成功した。 自自公三党で行なわれている選挙協力は、基本的な発想が違う。楽をしてお互いに当選する道を模索する選挙協力のように見えてならない。政党が違う以上選挙のとき相争うのは仕方のないことである。ただ、それぞれ立候補したために、相手方に漁夫の利をしめられることが予想される場合に、選挙協力が始まるのである。 例えば、自由民主党と自由党の候補者が競合しているため、下手をすると民主党に漁夫の利をしめられそうな場合、そこで初めて選挙協力の必要がでてくる。自由民主党と公明党の候補者が競合する場合でも同じであろう。この場合、自由民主党の支持者に公明党候補者に投票するようにいっても簡単にはそうならないから、自由民主党の候補者を立てることの方が得策だと私は思っている。公明党に配慮して候補者の擁立を見送った場合、かえって民主党などの候補者を利することになる場合の方が多いであろう。 いずれにせよ、現在のような選挙協力は、与党3党とりわけ自由民主党の縮小再生産となる選挙協力でありとうてい容認することはできない。 自自公3党、それぞれ自党の理念を損ない、また党の主体的な力を削ぐ自己破滅の道を進みつつあるのに、これに対する反省も反発もない異常な状態――これが、第3の自自公現象である。 4. 自自公連立の命運と21世紀の政治の枠組自自公連立の命運は、どのようなものか?少しは政治と選挙に先見性がある者ならば、その答えはきわめて簡単である。自自公連立の命運は、近く行なわれる総選挙までである。自自公連立は、総選挙において国民によって総清算される。 自自公3党は、現在衆議院で355議席を占める巨大与党である。一見、難攻不落の城に見える。しかし、平成12年10月までには、総選挙という国民の洗礼を受けなければならない。公明党と自由党が大幅に議席を減らすことは、選挙制度からいって避けることはできない。 両党に所属する衆議院議員は、平成8年の総選挙において野党第1党の新進党という大きなカサのもとで当選してきた。小選挙区制は大きな政党に有利な仕組みである。公明党と自由党は、現有議席から見ても世論調査の支持率からいっても、現在第3党と第4党である。当時、野党第1党というスケールメリットの中で当選してきた議員は、そのメリットを現在の野党第1党の民主党に奪われてしまう。 これに加えて、公明党も自由党も与党であるということが、デメリットとなる。与党第1党である自由民主党は、300の小選挙区のほとんどに候補者を立てる。ひとつの小選挙区に与党候補が2人、3人と立候補すれば、与党支持票を自由民主党候補がかっさらってゆくのは火を見るよりも明らかである。自由民主党には、大政党という安定感と安心感と長い間の信頼関係がある。自由党の一部の候補者を別にすれば、公明党と自由党には、与党としての実績もなければ安定感もない。与党支持者は保守的なものである。両党が、いくら与党であることを強調してみても、これまでの経緯や規模から見て安心感と信頼感がない。また、いつまで本当に与党でいるかという安心感もその保証もない。公明党や自由党が保守的な与党志向票を集めるのは、当事者が考えるよりはるかに難しい。 自由民主党はどうであろうか。公明党や自由党の候補者と競合する選挙区が、現在のところ90ある。これらの選挙区で自由民主党はスケールメリットで与党志向票の大半を獲得することはできても、やはり分散することは避けえない。小選挙区制の選挙はオセロゲームに似ている。公明党と自由党が与党だということは、野党志向票を民主党や共産党で分けてよいということになる。失礼、社会民主党もいた。しかし、社民党が候補者を立てる予定の選挙区はまだまだ少ない。野党志向票は、民主党が大きく獲得することになろう。 しかし、これ以上に大きな問題は、自自公連立のドロを自由民主党が1党でかぶるということである。自自公連立に対する国民の評価は依然として厳しい。どの世論調査をみても、反対・好ましくないが月ごとに強くなっている。自自公連立に反対の風圧は、図体の大きい自由民主党の候補者が1人で受けなければならない。自自公連立の代表選手は自由民主党なのである。国民の6割の有識者が嫌悪感、そこまでゆかなくても好ましくないとみられていることが、選挙でどうでてくるか。本当に自力のある候補者でないと簡単には勝てないと思う。 このように分析すれば、自自公3党とも相当大幅に議席を減らすと予測せざるを得ない。与党3党で120議席減らしたってまだ過半数に届く、自自公は大丈夫と思っている向きもあるようだが、それは身勝手というものである。与党3党の中で、それぞれ責任論が噴きあがるであろう。その中で、自自公連立の是非が改めて問題となる。 公明党や自由党において党首の責任がどう問われるか私は知らない。しかし、自由民主党においては、小渕総裁の責任が問われることだけはまず間違いない。 自自公連立の運題は、以上のようなものである。それならば、放っておいてもよいかというと、そうではない。自自公連立に対する批判や戦いを徹底的にしておくことは絶対に不可欠である。そうしないと自由民主党が犯したと同じ過ちを何度も繰り返すことになるからである。 自由民主党は、平成8年10月に行われた総選挙に向け、「新進党は創価学会党である」「新進党は、憲法の政教分離の原則に反する」と徹底的に批判した。それがいま自自公連立である。自自公連立に対し、国民が強い拒否感をもつ原因のひとつにこのことがあると私は思う。 現在、民主党をはじめとする野党は、「自自公連立反対」の一点張である。しかし、なぜ「反自自公」なのか、私にいわせれば、いまひとつ論拠が不十分なような気がする。野党の主張は、「巨大与党がけしからん」「選挙のとき反自民といいながら自民党と連立を組むとはけしからん」というものである。 「巨大与党はいけない」というのであれば、どの政党も選挙で大勝ちしてはいけないということになる。こんな馬鹿な話はない。「選挙のとき反自民といいながら、自民党と連立を組むことが悪い。」というのであれば、野党はいつも反自民ということを掲げるから、自民党と連立を組む政党はなくなってしまう。反自民を標榜した政党が、自民党と連立を組んだ場合、その是非を次の選挙で問われることは避けられない。しかし、政党というものは、そもそも自党以外については「反」なのである。そうでなければ選挙にならない。反自民も、相対的なものであり、したがってこの点も根源的な批判ではない。 自自公連立の根源的な問題は、やはり「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない。」という政教分離の原則なのだ。この問題をクリアーしてないから国民は納得せず、自自公連立政権を信頼していないのである。民主党などの野党の自自公連立に対する非難の声は大きいが、政教分離に反するとの批判は少ない。これでは自由民主党と同じ過ちをおかす虞があって危ない。自公連立は駄目で、民公連立ならばよいというのは、単純に考えてもおかしい。 民主党内に「政治と宗教を考える会」が結成されたと聞き、私が会長の熊谷弘代議士に面談を申し入れたのも、そうした危惧からであった。私は、自由民主党の「憲法20条を考える会」の経緯を率直に話した。熊谷代議士は、このことを完全に了解し純粋に政教分離を求める会としてやってゆく決意を披瀝された。「政治と宗教を考える会」が、そのようなものであるとすれば、私たちが設立した「政教分離を貫く会」とその目的は一致することになる。必要があれば党派をこえて連動することもありうる。 日本の政治は連立の時代に入ったといわれる。私は、必ずしもそう思わないが、当面連立政権が続くことはやむをえないであろう。しかし、自自公であれ、自公であれ、民公であれ、公明党を加えた連立は自自公連立と同じような運命をたどることになるであろう。細川・羽田内閣が短命だったのも、いまになって考えると公明党を加えた連立だったからであろう。 なぜ、そうなるのか。それは、政教分離問題の根が深いところにあるからだと思う。政教分離の問題に対する国民の理解は、以前にくらべ格段と違っている。前回の総選挙の際、自由民主党が徹底的にキャンペーンを行ったことも寄与しているかも知れない。しかし、それ以上に国民は、こまかいことは知らなくても政教分離問題が「自由」に深く関わる問題だということを肌で感じているからである。そして、それは正しいのである。 憲法19条は、
憲法20条1項前段は、
とある。 新憲法によりわが国は自由主義国家として力強く歩み出した。この流れを止めることは、誰もできない。その源流が、憲法19条と20条なのである。自自公連立に対する戦いは、「国民の思想・良心・信教の自由」を護る戦いなのである。大義のある戦いであり、負けることのできない戦いであり、負けるはずのない戦いなのである。 「自自公新党」「保守・中道大連合」など。問題の本質を全く理解していない発言が自自公連立推進派から次々と流されてくる。それは、無理、無駄というものである。すべて徒労に終わるであろう。そんなことより、事の本質に想いをいたし、正道に立ち返ることが自由民主党の生き延びる道なのである。 自自公連立の命運はすでに明らかである。終焉のときは、刻一刻と近づいている。それでは、ポスト自自公は何か、多くの人々の関心のあることろであろう。また、自自公連立推進派からは、自自公以外の組み合わせはないではないかという声も聞かれる。 自由民主党が次の総選挙で負けると決まっているわけではない。いま第1にやらなければならないことは、自由民主党が、どうしたら過半数を確保できるのかということなのである。そのためにも、私たちは自自公連立を1日も早く解消すべきだと主張しているのである。 参議院の過半数割れがあるじゃないかというが、それならば総選挙の意味がない。政権のあり方は、衆議院の議席によって決定されなければならない。参議院の議席によって政権のあり方が決まるのであれば、第1院たる衆議院の権能が侵されることにさえなる。平成元年の参議院選挙で大敗して以来、自由民主党は参議院で過半数割れをしているのである。それでも、自由民主党は政権を立派に運営してきた。参議院の過半数割れは自自公連立の根拠づけには断じてならない。そういう考えは政治のダイナミズムを失う。 しかし、自自公連立のまま総選挙に突入すれば、自由民主党の過半数確保は実際のところ極めて難しい。そうすると、やはり連立政権にならざるをえないというのが現実的な考えであろう。だから、ポスト自自公はやはり自自公しかないのだ、と自自公連立推進派はいう。そうなることを望んで、自自公連立に固執しているのではないかとさえ私には思えるのだが…。 本当にそうだろうか。また、本当にそれで良いのか。 改革というのスローガンを掲げない政権というものは滅多にないものである。国民の信任が少ない政権ほど、改革というスローガンを濫発したがるものである。改革には、二種類のスタイルがある。政権が、権力を使って強制して行う改革がある。社会主義国家や全体主義国家の行う改革のスタイルである。もう一つは、政権が国民のエネルギーを引き出して実行する改革である。自由主義国家の改革はこのような改革でなければならない。このタイプの改革は、費用もかからないし権力を極端に行使する必要もない。しかし、一つだけ不可欠な条件がある。それは、政権に対する国民の信頼があるということである。 今日、わが国に政治、経済、社会のあらゆる分野でドラスティックな改革を断行しなければ21世紀の展望が拓けないということは多言を要しないであろう。私たちが断行しなければならない改革は、ドラスティックなものでなければならない。しかし、それは自由主義的な手法で行わなければ決してその実を挙げることは不可能であろう。それは、わが国が自由主義社会だからである。国民の信を失った政権を無意味に続けさせることは、改革を進めるうえで許されない。それは、犯罪的でさえある。 このように考えれば、ポスト自自公は断じて自自公ではない。国民の信頼を得られる連立の形態を、一人ひとりの政治家が模索しなければならない。そのキーは、ごく普通の意味におけるリベラリズム=自由主義ということになろう。真の自由主義者がすべてをのりこえ大同団結をしなければならない。そうしなければ21世紀の展望を切り拓く政権はできない。 すべての自由主義者、団結せよ。そのときは刻一刻と迫っている。 (2000/2/7 Web初版上梓了、2000/3/23誤字脱字等一部修正) |
白川勝彦OFFICE
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